第4話 ゆうじの正体



 4



 その夜、突然ゆうじが俺のアパートにやってきた。それだけでも珍しいのに、いつもと様子が違い、落ち着きがない。


「どうしたんですか?」


 俺が聞くと、首を左右に振って、一言、「見つかった」とつぶやいた。


「何をです?」


 敵対グループWaxの、組織の幹部たちの残党者狩りが激化し、幹部連中の大部分は捕まって、リンチを受けたり、行方不明になっていた。

 難を逃れた幹部は、東京を後にして、どこかへと雲隠れしたようだと、うわさ話に聞いた。


 しかし、ゆうじの「見つかった」は、それではなかった。


「ゆうじさん、どうしたんですか?」


 無言で俯くゆうじに問いかけるが、まるで、悪事がバレた子供のように、ゆうじは無言で怯えていた。


「……お前も逃げた方がいいぞ」


 質問には答えず、徐ろにゆうじがいった。


「逃げる?何、言ってるんですか?」

「ここに二百万ある。これを持って、どこにでもいいから、行け」


 と、コートのポケットから、手を出すと、テーブルの上に札束を投げ出した。


「どうしたんですか、この金?」


 驚いて、思わず聞いた。


「組織のお金だ」

「マジ、ですか?」


 組織の金、三億円を盗んだ男は依然として、姿を晦ましたままだ。

 敵対する組織の急襲により、その問題がうやむやになりつつあるが、そもそも、Waxに付け込まれたのも、その事件があったからである。

 また、盗んだ男が見つからないのは、組織内に、他に仲間がいたからだという、噂があった。

 その理由として、ボスの金をうまく盗んで組織に見つからずに、逃げきれているのが、その証拠だというのが、まことしやかにささやかれていた。


「……じゃあ、金を盗んだ仲間ってのは、ゆうじさん?」

「ああっ、だが、そんなことはどうでもいい。肝心なのは、お前も仲間だと思われてることだ」

「どういうことですか?」

「銀杏たちに、仲間だと思ってる。そして、俺は銀杏たちに追われて命が危ない」

「そんな……俺が金を盗んだ仲間……そんなわけないじゃないですか」

「銀杏は、そうは思ってない。お前を捕まえて、必ず、俺たちの情報を聞き出そうと、何でもするはずだ。だから逃げろ、この金を持ってな」

「そんな嫌ですよ、関係ないっすから。銀杏さんたちが来たら、そういいます」

「そんな事言って通るお気楽な相手じゃないんだよ、分かっているだろう、お前?」


 確かに、先日の幹部連中のリンチで、あの大きな男は、病院に搬送されて、後日、亡くなったということ話だ。そして、銀杏はボスを裏切り、Waxを手引きした男だという噂されている男であり、そんな男から、命を狙われたら、俺など助かる見込みはない。


「でも、どこへ逃げればいいんですか?逃げるところなんて……」


 その時である。玄関のチャイムが鳴った。


 俺は、人生でこれほど驚いたことがない、というくらいに体を震わせた。


「……は、はぃ」


 条件反射で、出て行こうとする俺をゆうじが制した。目くばせをしてから、顎を突き立てた。

 俺は息を殺し、玄関へ向かっていき、除き穴から覗くと、外に奈多さんが立っていた。


「奈多さんです」


 振り返り、俺は小声で言った。


「奈多?……いいだろう、入れて」


 ドアを開けると、奈多さんがなだれ込むようにで入ってきて、


「あー、助かった。お前らしか、もう頼るやつはいない」

「何があったんですか?」


 奈多は、顔中、傷だらけ、痣だらけで、息も絶え絶えであった。あの飄々とした男は、どこかに行っていた。


「あいつらが探している、俺はもう東京にいられない。逃げるんだ、だから金を貸してくれ」

「あいつら?」


 俺は、あいつらが誰か分からず、ゆうじさんの方をちらりと見た。ゆうじは奈多をジッと見つめたまま何も答えない。

 すると、奈多が、テーブルに置いてある二百万円に気づいた。


「おい、金があるんじゃ……こんな大金……お前ら、どうした?」

「いや、これは俺が、こいつの親から借りた金です」


 とっさにゆうじが言った。しかし、奈多は何かを感じ取り、一瞬で悟ったように、


「……まさか、お前ら……お前がやったのか?」


 奈多の目が、ゆうじに注がれる。


「いや」

「そうだったのか、ちきしょう。なんてこった、こんな近くにいたのか」


 奈多が、悔しそうに、体を反転させてゆうじに背中を見せた。その瞬間、ゆうじの手に、ナイフが握られていることに俺は気がついた。


「あっ……」


 全身に鳥肌が立つ。

 ゆうじがゆっくりと、奈多の背後に歩み寄る、その時だった。


 ――どんどんどんどんどんどんっ


 激しくドアを叩く音が響いた。


「開けろ、おらっ」


 外から、近所迷惑な、大声が聞こえてきた。


「やばい、つけられてた」


 奈多が、ゆうじを振り返った時、ゆうじはとっさにナイフをポケットにしまった。

 その動作に、一瞬不自然さを感じたようだが、奈多は外の方に意識を向ける。


「捕まったら、殺される。お前ら、どこか逃げるとこないか?」


 右往左往として、本気で狭いアパートのどこかに隠れ場所を探す。


「誰なんです?」

「Waxに決まってるだろう?」


 奈多は、部屋の中を行ったり来たりして、どうしていいのかわからない、といった感じだ。


「ここは5階だ、とても逃げられん」


 ゆうじが押し殺した声でいった。


「隣の部屋が空いているので、なんとか、そっちへ逃げられるかもしれない」


 俺が言った。


「よし、ベランダ伝いに、隣へ行こう。とりあえず、ベランダから隣の部屋に移るんだ」


 奈多は、信じられないほど機敏に、窓を開けてベランダに出た。

 ベランダは、幅一メートルくらいのコンクリートで、隣との境に、簡易の壁で仕切られている。

 奈多は、ベランダの欄干に足をかけて、簡易の壁に手をかけて一気に欄干に上り、隣の部屋のベランダに飛び移った。

 続いて、ゆうじが難なく、隣の部屋のベランダに乗り移り、最後に俺が、欄干に足をかけると、「いたぞ」

 としたから叫び声がして、その拍子に、欄干から足を滑らせて、下へと滑り落ちてしまう。


「ああっ」


 落ちた、と思った一瞬、何かが背中にひっかかり、俺をその場にとどめた。

 ゆうじの手である。ゆうじは物凄い力で、俺を捕まえて、落ちるのを防いだ。


「ベランダに逃げたぞ」


 下で叫び声がする。 必死に欄干を掴み、はい上がる。


「ありがとうございます」

「礼は助かってから言え。それより、見つかったら意味ないだろう?」


 見ると、奈多はベランダを次々に渡り、端の方へと向かっていく。

 ゆうじと俺もそれに倣い、後についていく。

 それにしても、いざというときの奈多の動きはいつもの緩慢な姿と一致しない。


「逃げ場はない。上だ」



 下の連中が、どこかへと走っていく。


「お、いたぞ」

「そっちへ行ったぞ」


 どこをどうやったか、ドアの鍵を開けて、男たちが部屋に侵入してきたらようだ。

 ベランダに出て、俺たちの姿を確認した男たちが騒ぎ出す。

 間一髪、間に合って、俺たちは雨どいを伝い、下へと降りていく。


「下へ行ったぞ」


 しかし、下にいたはずの男たちはどこへ行ったのか、姿が見えない。


「おい、下に行った。何している?」


 部屋のベランダで叫んで、下の仲間を探す男。しかし、先ほどいた下の連中は姿を消したままだ。

 その間、俺たちは雨どいを伝い、五階から地上へと降り立った。

 下にいた男たちが、下りてきた俺たちに気づき、こちらへ向かい猛然と走ってきた。

 その時である。アパートの駐車場に、ヘッドライトを照らして、一台の車が入ってきた。

 ジープタイプの軽自動車だ。確か、右隣りの部屋の兄ちゃんである。(空き室が左隣り)

 すると、ゆうじがいきなり、その車の前に飛び出して、車を止めた。そして、運転席のドアが開くと、隣の兄ちゃんが出てきた。身長百八十以上のガタイがいい、三十くらいの男だ。しかし、ゆうじは構わず、男を運転席から引きずりだし、殴って車を奪った。

 あまりの見事なカウンターに、茫然としていると、「行くぞ」 運転席に乗り込み、俺たちに向かって言った。躊躇している俺と、すぐに助手席に乗り込む奈多。


「おい、待てよ」


 鋭い叫び声が後方に迫ってくるのを感じて、俺は思わず、車に乗り込んだ。


「なんで、俺まで乗らなくちゃいけないんですか?」


 しかし、ここで捕まったら命の保障はない。

 ゆうじはすぐにアクセルを踏み込み、アパートの駐車場から、車を走らせ、駐車場に止めてある車やガードレール、カーブミラーなどに車をぶつけながら、沿道へと出た。

 そこから一気にアクセルを踏み込み、スピードを上げて、信号にも引っかからずに、瞬く間に追っ手から距離を取った。

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