第一章 都落ち

第1話 アルバイト






「こいつ、オモシっていいます」


 クラブのVIP席に陣取る男の前に、ゆうじに連れて来られて紹介された。


「あの先輩、すいませんけど、僕、これからちょっとバイトがあって……」

「さっき、付き合うって言ったよな?」


 強引に、首に腕を回して、ゆうじが俺を逃がさないようにした。


「はあぃ、オモシ君。どうぞ、よろしくね。変わった名前だね……本名は、カタシ?どっちも変わっているね……バイト?バイトあるよ、お金に困ってる?困ってるよね。いいバイトがあるんだよ、 ちょっとだけ手伝ってくれないかい?」


 その男は、酔ったような口調で、俺を上目め目線で見上げた。

 金髪の、一見、ホスト風の格好をした舌足らずの男で、まるで酔っているかのような話し方をするが、それでいて、時折見せる鋭い目つきに、断ることができない威圧感を感じさせた。

 男の名前を、奈多といった。



  *       *       *



 その日、俺は、バイトに行こうとした途中、同郷のセンパイ、有野ゆうじと再会した。


「オモシ?……よお、久しぶり、わかるよな、ゆうじ」


 渋谷のスクランブル交差点を渡り切ったところで、いきなり腕を掴まれて、引き留められた。

 驚いて振り返ると、そこに、サングラスをかけた、見知らぬ男が立っていた。


 オモシ、高校の時につけられていたあだ名を久しぶりに呼ばれたので、その男が、当時に付き合っていた誰かと分かった。


「俺だよ、ゆうじ。覚えてない?」


 とサングラスをずらすと、現れた二重の大きな目。


「あっ……」


 ハズレの先輩……俺は一瞬で、いやな気持になった。


「ああ、どうも、お久しぶりです」

「ちょっと、こっち来いよ」


 ゆうじは、俺を交差点の先の店先に引っ張っていった。


「お前、お金に欲しくない?」


 ゆうじは開口一番、金に関して聞いてきた。


「二万だよ……ちょっとやるだけで、一日三万払うから。ほんの数時間、大した時間じゃないから。ちょっと手伝ってよ」

 と、両手を合わせて、顔の前に持ってくる。


 実際、俺はお金に困っていた。

 東京に出てきて、三年。大学を中退して、両親の仕送りも途絶えて、人生の行き場を失っていた。


 しかし、ほんの二、三時間で数万になるアルバイトなんてどうせろくなもんじゃない。頭では分かっていたが、現状が、強く断ることを躊躇させた。もう少し話を聞いて断ればいいと思った。


「詳しく話すから、ちょっと、そこの店に入ろうや」


 有野ゆうじとは、高校の頃の同じ野球部に所属していた先輩後輩の間柄であった。

 中肉中背で、見た目も良かったことから、女生徒には人気があり、頭もきれ、親も金持ちとあり、周囲にも一目置かれていた。

 しかし、後輩からは、完全に嫌われていた。なぜかと言えば、高飛車で、無理難題を突き付けてくるだったからである。

 で、ついたあだ名が、ハズレのセンパイ(名字が、有野だったので、有野センパイが逆転して、無しのセンパイと先に呼ばれ、それが転じて、ハズレのセンパイとなった)であった。


 ゆうじは、高校を卒業すると有名私立の大学へと進学した。

 しかし、数年経って、風の噂で彼が大学を辞めて、連絡が取れなくなったという話を聞いた。

 何でも、どこかの芸能事務所に所属して、俳優の活動をしているようだというが、ゆうじがメディアに出たものを見たことはなかった。

 数年後、悪い連中とつるむ様になったと噂が流れ、そして、さらに数年が経ち、今回の再会となった。


「お前は今、何してるの?」

「居酒屋でバイトです」

「フリーターか?」

「ええ、まあ……」

「センパイは何をしているんですか?」


 連れられて入ったコーヒーチェーン店で、向かい合った俺は、ゆうじに聞いた。背もたれにもたれて、遠くを見るように、見てくる視線は昔のままであった。


「俺は今、ある仕事を手伝っている」

「どんな仕事ですか?」

「お前、今日、ヒマか?」

「えっ?いや、これからバイトがあって……」

「そんなつまらんバイトなんて、いいだろう?どうせ真面目にやってないんだろうし……」


 確かに、ゆうじの言う通りであったが、だからと言って、ホイホイついてはいくわけがない。


「いや、それが、店長がうるさくて……休んだりしたら、鬼電の嵐で、辞めようって一言でも言ったら、家まで押しかけてきて、辞めさせない裏工作まで……」


 ゆうじの眼差しが痛い。


「じゃあ、これから、俺がお前のバイト先まで行ってやるよ。そんで、オモシは辞めるって言ってやる」

「あ、いや、そんないいですよ」

「大丈夫、退職代行やってたことあるから、マジで、どんなブラックでも一発で、辞めさせてきたから」

「いや、良いです。自分で、休むって電話しますから」


 いったいどんなことを言われるか、恐ろしかったので、俺は店の外に出て、店に電話を入れてバイトを休んだ。



「なんだ、やけに早いな」


 戻ってくると、ゆうじが言った。


「ええ、まあ……」

「じゃあ、行くか」


 と席を立って、店を出た。

 横を歩くゆうじは、高校時分と違い、陰のあるような雰囲気を纏っていた。どこか、つまらなそうで、それでいて、壁を感じさせる無言の様子に、俺は言葉をかけることなく、ただ、後についていく。

 年齢は、俺の一つ上だから、二十六か。それにしてはずいぶんと老けて見えた。


「今まで、どんな仕事をしていた?」


 渋谷の街を歩きながら、ゆうじが振り返りざまに聞いた。


「……居酒屋の前は、ビルの警備員、その前が、チラシ配り、キャバクラのスカウトなどもやったことがありますが、すぐに辞めました」

「フッ、お前も長続きしねーな。一日、五万になる仕事を紹介してやる」

「それって、ヤバいヤツじゃあ……?」

「そんなものを紹介するわけないだろう。完全に合法だから、安心しな」

 とゆうじは笑った。


  *         *        *



「じゃあ、なにするか説明するね」


 その男が髪をかきあげたとき、手首がタトゥーが見えた。


 いかにも堅気ではない、絶対に関わってはいけないと頭ではわかっていたが、腰が椅子から持ちあがらない。

 深夜二時の新宿。

 雑居ビルの 二階にある狭い居酒屋、土曜の夜というのに店内は空いていた。


「おれ、ここの肉春巻きか大好物なんだ、食ってみろ」


 奈多がそういって、運ばれてきた肉春巻きは、スーパーの惣菜コーナーに置いてあるのを温め直したような物であった。


「どうだ、うめえだろう?」


 ゆうじはさっきからタバコをぷかぷかとふかして、隣で、薄いハイボールを飲んでいる。

 当然、肉春巻きには、手をつけない。

 奈多が、ゆうじに了解を得ずに、彼の前の肉春巻きをお皿を取り、食べ始めた。


「うめえ、うめえ」


 まるで、「ミャン、ミャン」といいながら食べる猫のようだ。そして、肉春巻きを飲み込むと、ビールのジョッキを手にして、口へ流し込んだ。


「で、仕事っていうのは簡単なもんさ。ちょっとしたお使いをしてきてほしいだけなんだべ。場所は決まってないんだけど、その都度、教えるからさ。遠くなることもあるけど、心配しなくてもいい。車は用意するし、その分のお金も払う」

「具体的に、何をするんですか?」

「だから言ったろ、聞いてなかったのか?お使いだよ。俺たちの指示に従って、品物を取りに行ってもらったり、連絡係になってもらったりするだけ。後で指示をして、俺たちが指示を出し、それをちゃちゃっと行って、取ってくるだけさ」

「それって、受け子の仕事じゃないですか?」

「バカ、違うよ。全然違う……まあ、何かを取りに行くっていう点は似てるけど、こっちは完全に合法。詳しくは話せない。だって、君の、名前なんだっけ?」

「重です」

「そう、カタシ君がもし、俺たちと同じことしようとしたら、俺たちが食いっぱぐれることになるからね。それくらい、お金になるの。だから、二万円払えるの」


 何とも要領を得ない話であるが、絶対に、特殊詐欺の片棒を担がれるということは分かった。


「あの、すいません。やっぱり、そういうのは、ちょっと……」

「そんなこと言うなよ、お前。せっかくお前、俺がこう、おごってやったんだからさ、お前それを食べたんだから、一回ぐらい手伝ってくれてもいいんじゃねえ?もう俺たち、仲間みたいなもんだろう?それでも断るのか?」

「いや……じゃあ、ここは俺が払うんで、それで、勘弁してください」

「やるよな。試しに一回、手伝うだけでもいいだろう?俺の顔を立てると思ってさ」

 ゆうじが鋭い目つきで俺を見たその瞬間、昔のいじめられていた過去が蘇った。


「えっ?いやぁ……」

「なっ」

「はあ……」


 横から、ゆうじの一言により、俺は、断ることができなくなった。


 結局、だらだらと話が続き、その日は、終電を1時間すぎた頃、新宿のど真ん中で、解放された。

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