12.絵画教室での事件

 カールしたまつ毛に囲われた大きな目がふたつ並ぶ四つの顔が、ロティアを不思議そうに見上げてくる。

 ロティアはこめかみに汗をかきながら、必死に笑顔を作った。


「ほら、みんな。席について」


 準備を終えたリジンがそう言うと、子どもたちはロティアを見たまま「はーいっ」とかわいらしく答えた。そして、目線をそのままにして、それぞれの席ーどれもフカフカそうなソファだーに座った。

 リジンがパンッと手を叩くと、子どもたちはとびきりの笑顔に戻ってリジンの方を見た。


「おはよう。今日はこの前の続き、水彩画を描こう」

「リジン。あれ、誰?」


 そう言ったのは、一番背が高い男の子だ。大きなチェック柄の上下のそろいを着て、ネクタイまできちんと締めている。装いこそとてもおしゃれで紳士らしいが、その目は紳士らしいとは言い難い。蛇のような目でロティアをにらんでくる。

 ロティアの肩に乗っているフフランは、ロティアにだけ聞こえる声で、「なんだ、コイツ」と文句を言った。


「俺の仕事の関係者だよ。今日は仕事の様子を見に来たんだ」

「それじゃあ、恋人じゃないってこと?」


 次に無邪気な声を上げたのは、一番背の低い男の子だ。小さなチェック柄のそろいを着て、なぜか室内でも帽子をかぶっている。


「俺が仕事場に恋人を連れてくるような人に見える?」


 リジンが眉をクイッと上げて少し怖い顔をすると、双子に見える女の子たちが同時に声を上げた。


「「そんなわけないじゃない。フォードもユレイも失礼よ」」

「なんだよ、お前らだって気になってたくせに」


 背の高い男の子はツンとそっぽを向いた。すると、滝のように長い髪をした双子が、またそろって声を上げた。


「「わたしたちはリジン先生を信頼してるもの」」


 「かわいこぶってるだけじゃん」と小さい男の子。


「「あんただってそうでしょ!」」


 言い合いが激しくなりそうになった時、リジンがふうっとわざとらしく息を吐いた。全員が、ロティアも、リジンを見る。


「楽しく絵を描くために、俺はここに来てるんだよ」


 ロティアに一度だけ見せた凄みのある目だ。その顔を見ると、子どもたちは一瞬にして大人しくなった。

 子ども相手にもあの目をするなんて。ロティアは凍り付いた空気の中でゴクリとツバを飲んだ。

 リジンは全員の顔を順に見ると、顔をほころばせた。


「さあ、絵を描こう。この時間にすることは、絵を描くことだからね」





 子どもたちが今描いているのは理想の庭だ、と行きの馬車で教えてもらった。

 ロティアは教室替わりに使われている豪華な花柄の壁紙や、調度品が置かれた談話室の後ろに立って、子どもたちの絵をのぞきこんだ。


 一番背の高い男の子・フォードの庭は、ブルーベルがカーペットのように咲き乱れる木陰の庭だ。細かいブルーベルはきちんと釣鐘の形をしていて、少ない陽光の中でもすくすくと育っている様子が描かれている。等間隔で立つ木々は背が高く、庭を覆っている。黒を使わずに木陰を表現しているおかげで、暗い絵には感じられない。


 双子の一人・リリッシュの庭は、鳥かごのような形の東屋が中央に鎮座し、バラの生け垣で囲われた王宮の庭の思わせるデザインだ。庭の入り口には、鳥の形に切られたトピアリーが二つ並んでいる。東屋には人がふたり書かれていて、一人はリジンのように黒く長い髪をしていた。


 双子のもう一人・サニアの庭は、どうやらハーブの庭のようだった。ロティアの家にも薬草の庭があり、それと光景がよく似ているのだ。ラベンダーは波のように連なって植えられ、裏口の周りに置かれた様々な植木鉢には、バジルやセージ、ローズマリーなどが植えられているようだ。人の手によって作られた庭という印象を最も受ける。


 一番背の低い男の子・ユレイの庭は、庭と言うよりは畑だった。カボチャやジャガイモ、トマトなど、季節が異なる野菜が一緒に実を付けている。きっと自分の好きな野菜を描いたのだろう。納屋の壁には桑や鋤が立てかけられ、軒下にはパプリカが干してある。細かいところまで想像力を働かせて描いてるのが伝わる絵だ。


「この絵って、みんな想像だけで描いてるんですか?」


 ロティアは、ちょうどユレイの傍に歩いてきたリジンに尋ねた。


「うん。でも、この子たちは田舎にセカンドハウスがたくさんあるから、みんなそのどこかしらを参考に描いてるとは思うよ」

「へえ。すごいですね。てことはみんなご兄弟なんですか?」


 「そうだよ」とリジンが答えると、「おいっ」と声が上がった。フォードだ。ロティアをにらみつけている。


「リジン、俺、もう完成したんだけど」

「見せて」


 リジンはロティアに微笑みかけてから、フォードに歩み寄った。

 あんなにあからさまににらむなんて。

 何も悪いことをしていない相手から理由もなく嫌われることは、生きていれば何度も経験する。しかし何度経験してもけっこう堪えるな、とロティアは思った。ため息をつきそうになると、フフランが柔らかい頭をほほにすり寄せてきた。


「大丈夫だぞ」

「……うん。ありがとう、フフラン」


 その時、「ねえ」と別の声が上がった。リリッシュがロティアを手招きしている。


「何ですか? わたし、絵のことは助言できないんですけど」

「違うわよ。もっとこっちに寄って!」


 リリッシュは筆を持ったまま、ロティアの手を引いて、自分とロティアの顔が同じ高さになるようにした。その姿勢が窮屈だったフフランは、ロティアの肩から飛び上がり、ユレイのそばの窓の縁に座った。

 リリッシュはチラッとリジンの方を見てから、蚊の鳴くような声でささやいた。


「あなた、本当にリジン先生の恋人じゃないの?」

「まさか、違いますよ。知り合ってまだ三日ですし」


 リリッシュは長いまつげの目を細めて、ジーッとロティアを見た。すべてを見透かそうとしているような目だ。ロティアは必死に作り笑いを続ける。


「ふーん。まあいいわ。少なくとも『まだ』恋人じゃないってことだものね」


 リリッシュはロティアの手をパッと離し、筆に絵の具を付けた。


「これはね、わたしとリジン先生が将来住むお家の庭なの」

「へえ、素敵ですね」


 ロティアがホッとしながらそう言うと、リリッシュがまたすべてを見透かそうとするような目で、ロティアの方を見た。


「わたし、大人のそういう子供騙しっぽい言葉嫌いよ」

「こ、子供騙しなんて、心外です。本当に素敵だと思いました。バラが赤だけなのもこだわりが感じられます。東屋のテーブルクロスも赤だし、今日のお洋服も赤色じゃないですか。お好きなんですね」


 ロティアが少しムキになってそう言うと、リリッシュは赤いワンピースに身を包んだ自分のことをゆっくりと見下ろし、ツンと唇を尖らせた。


「ちょっとはよく見てるってことね」


 そう答える口元には笑みが浮かんでいる。

 ロティアはホッとして、リリッシュの絵をじっくりと眺めた。


「絵がお上手ですね。リリッシュさんの絵、本当に気に入りました。もうすぐ完成ですか?」

「ええ。あとは空を塗って、影をつければ完成よ。ずっと絵の中の時間で迷ってるの。朝は一日の始まりで希望があるし、昼は陽光がたっぷりで心地よいし、夕方は言わずもがなロマンチックでしょう」

「確かにどの時間も同じくらい魅力的ですよね。いつが良いかな……」


 ロティアとリリッシュは一緒になって首をひねった。


「リリッシュは朝が弱いんだから、朝は無しだよね」


 そう言ったのは、隣の席に座るサニアだ。サニアは青色のワンピースを着ている。


「確かに、いくらリジン先生と暮らせても、朝が弱いのは治らないわね」


 リリッシュとサニアはニコッと笑いあった。その顔は年相応の女の子に見えてとてもかわいらしかった。


「サニアさんも完成間近ですか?」

「うん。あとはリジン先生に見てもらって終わり。だから暇なんだ。お話ししようよ。名前は?」

「ロティア・チッツェルダイマーです。よろしくお願いします」


 サニアは、フォードやリリッシュに比べて、ロティアに敵意を持っていないようだ。双子で顔が似ていても性格は違うんだな、とロティアは思った。


「ロティアね。ねえ、さっき絵の助言はできないって言ってたでしょう。だったら何のためにここに来たの? 先生の同僚なんだよね?」

「えっ、えっと、それは……」


 ロティアは何と答えたらよいのかわからなかった。

 リジンに懐いている子どもたちに、リジンの家で住み込みで働いていると言うのは気が引ける。その上、みんなにとっての先生の絵を取り出して、まっさらにしているなんて。ショックを受けさせるかもしれない。

 ただの付き添いだ、って言えば良いかな。


 そう思って口を開いた時、「いてえ!」と大声が上がった。


 全員が声の方を見ると、フフランがバタバタと飛び回り、ユレイの手にフフランの羽根が一本握られている。

 リジンはフォードの絵を机に投げつけ、ユレイにずかずかと歩み寄った。


「フフランの羽根をもいだの!」

「ち、違うよ、取れただけで……」

「ウソだ! ソイツが、オイラが寝てるのをいいことに、羽根を引っ張ったんだ!」


 フフランは全員の頭上を飛び回って叫ぶと、すさまじい勢いで窓の外へ飛んで行った。


「フフラン!」


 ロティアは急いで窓に飛びついたが、フフランの姿はもう青空と灰色の街に混ざって見えなくなっていた。


「フフラーン! 戻ってきてー!」


「なんてことをしたんだ!」


 地球に穴を開けるような怒鳴り声が上がり、ロティアはビクッと震え上がった。

 恐る恐る振り返ると、リジンがユレイの手首を握り締め、眉間に深いしわを寄せて、錐のように鋭い目でユレイをにらんでいる。


「生き物を傷つけるなんて!」

「お、驚いたら、おもしろいかと、思って……」


 ユレイの声は震えている。よく見ると、足もガクガクと震えている。他の子どもたちも、呆然としている。こんなリジンを見たのは初めてだ、という顔だ。


「その驚きが痛みを伴っていても、面白いと思うの、ユレイは」

「で、でも……」


 リジンの空いている手が振り上げられると、ロティアは窓枠から手を離してその手に飛びつこうとした。しかしその必要はなかった。振り下ろされた手は、ユレイの手の中にあったフフランの羽根を奪い取っただけだったのだ。


「ロティア。俺は奥様に事情を説明してくるから、君は先にフフランを探しに行ってくれる? 俺もすぐに手伝いに行くよ」

「は、はい」


 ロティアはカバンと外套は置いたまま部屋を出た。

 廊下を進んでいくと、窓を磨いている従僕に会った。事情を短く話すと、従僕はすぐに外へ案内してくれた。邸宅はロティアの家よりも複雑で、お客はとても一人では出られないのだ。



 外に出ると、ロティアは立ち止まってふーっとため息をついた。

 自分がユレイに腹が立つのは理解ができる。当然の権利だ。


「……でも、リジンさんが、あんなに怒ってくれると、思わなかったな」


 ロティアはそうつぶやいて、ひとまず庭の中を捜索し始めた。

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