13.ロティアとフフラン
「フフラーン! どこにいるのー!」
ロティアはガラス製の東屋が点在する広い庭を歩き回り、何度も声を張り上げた。しかしフフランの返事は一向に聞こえてこない。他のハトは見かけたが、みんなフフランと違って少し灰色をしていたり、全身灰色だったりしている。
ロティアは額ににじんだ汗をぬぐって、立ち止まった。
フフランはきっと気分が悪くなって、外に出かけただけだ。だから、こんなに心配しなくても、きっと帰ってくる。
それはわかっている。これまでの三年間も、小さなケンカをした後は、フフランは家を抜け出していた。そしてちゃんと帰ってきていた。だから今回だって帰ってくるはずなのだ。
しかしロティアはどうしても落ち着かなかった。
今回、フフランを怒らせたのは親しいロティアではなく、出会ったばかりで話したこともない少年だ。フフランがどれだけの怒りとつらさを感じたのかはわからない。
ロティアは頭の奥が熱くなって、グッとくちびるをかみしめた。
その時、リジンの声が聞こえてきて、すぐに白いバラのアーチの向こう側からリジンが現れた。長い髪を髪を結って走ってくる。
「見つかった?」
「……いえ。この家の庭にはいないのかもしれません」
リジンは眉間にしわを寄せ、「そう……」とささやいた。
「ごめん。俺が言葉を濁さずに、ロティアとフフランをちゃんと紹介すればよかった」
「リジンさんのせいじゃありません。むしろわたしがお仕事について行きたいなんて、言い出さなければよかったんですよ」
「俺を知ろうとして提案してくれたんだから、君も悪くないよ。見知らぬ男の家に居候するなんて、よく考えたら不安がないはずがない」
ロティアとリジンは自然とうつむき、ジッとだまりこんだ。
相手を責めようという気持ちは、ふたりにはない。
ただ、この状況を生まないためにできることはあった、過去の選択を誤った、という後悔はあった。
どこからか「フフランー」と声が聞こえてくる。子どもたちも捜索してくれているようだ。
ロティアはグッと拳を握り締めて、顔を上げた。同じタイミングで、リジンも顔を上げ、ふたりの目が合う。
「後悔していても仕方ないですよね。とにかく今はフフランを探しましょう」
「……うん。庭は子どもたちに任せて、俺たちは近所を探してみよう。ハトは途方もない数がいるだろうけど」
「大丈夫です。わたし絶対にフフランは見分けられます」
自分に言い聞かせるようにそう言い、ロティアはリジンと共に門へ向かって走り出した。
大きな庭を有する邸宅街では大声は出せないため、ふたりは二手に分かれて邸宅街をくまなく捜索することにした。邸宅の庭には鳥の他にもリスやウサギ、ハリネズミなどが忍び込んでいて、美しく手入れをされた芝生の上に寝転んでいる。お茶をするご婦人たちはその光景に慣れているのか、少しも相手にしていない。
「ああいう子たちと仲良くなって、おしゃべりでもしてくれてたら良いんだけど」
ロティアは庭に気を取られている人のふりをして、ゆっくりと白い道を歩いた。家の者と目が合うと、「良い庭ですね」と言って、怪しまれないようにした。
そうしていくつのも家を過ぎると、やがて邸宅街は終わってしまった。一本道路を隔てた向かいの道は、よくある色の煉瓦道に代わっている。
この邸宅街から出てしまっていたら、捜索範囲はとてつもなく広がってしまう。
ロティアは道の端によってしゃがみこんだ。
不安と悲しみと怒りで、大きく息を吐く。
「ロティア、大丈夫?」
優しい声に顔を上げると、息を切らせたリジンが立っていた。額と首元には汗が流れている。
ロティアはのろのろと立ち上がり、「はい」と答えた。
「……ちょっと、暑くて参ってました」
「それならそこのカフェで少し休んで。俺は街に捜索に行ってくるから」
リジンは向かいの通りの角にあるカフェを指さした。オープンテラスに座るお客たちは、カラフルな冷たい飲み物で体を冷やしている。
そうだ、今日は暑い日だ。
太陽がじりじりと照り付ける、夏らしい日だ。
そう思ったロティアは「あっ!」と声を上げ、リジンに飛びついた。
「リジンさん、この辺りに鳥が水浴びできるような噴水や水辺はありませんか?」
「中央広場には噴水があるけど、人も多いから、鳥がくつろげるかどうかはわからないな……」
「それなら、丘の上の公園はどう?」
新しい声に振り返ると、そこにはサニアが立っていた。青色のワンピースに汗のシミができている。
「丘の上の公園なら、暑い日にはあんまり人が行かないの。日を遮るものがないから暑いって言って」
「どこか教えてくれる、サニア?」
「案内するよ。こっち」
サニアはふたりの手を引いて歩き出した。
「あ、あの、サニアさん。ありがとうございます」
「兄弟のせいで大変なことになっちゃったんだから、どうにかするのが義理でしょう。それに、わたしはリジン先生に興味ないから、三人ほど不機嫌じゃないんだ」
サニアの言葉に、ロティアは「やっぱりね」と思った。
フォードもリリッシュもユレイも、ロティアに嫉妬をしていたのだ、大好きな先生と一緒に急に現れたことに。
「いい加減三人には困ってたんだ。リリッシュは、双子ってだけでかわいいってちやほやされるから、わたしの言うことに合わせて、って頼んできてさ。声をそろえるのは簡単だからまあいいけど。でも、リジン先生のことは好きにならないでって。矛盾してると思わない? ユレイもリジン先生の気を引きたくて変なことばっかりするし、フォードもリジン先生の周りの人にはすぐにつっかかるし。本当に面倒な兄弟だよ」
「……それは、大変ですね」
兄のロシュとロゼに冷たくされたことは過去にあったが、今では基本的に優しいし、困らされることもほとんどない。自分って恵まれていたんだな、とロティアは思った。
チラッとリジンを見ると、困ったように眉をハの字にしている。人から好かれるのも大変なようだ。
「まあ、みんながおかしいだけで、リジン先生は悪くないけどね」
「……気を使わせて、ごめんね」
「本当のことだってば。リジン先生のこと以外でも、みんなワガママだから。ワガママ兄弟なんだ」
リジンは「うんー……」と歯切れの悪い返事をした。
「リリッシュとは一卵性の双子だから、顔も声も似てて、背も体重もほとんど一緒。でも、わたしとリリッシュは別の命を持った生き物でしょう。リジン先生には興味ないし、ロティアに悪意も持ってない。むしろロティアと仲良くしたいと思ってたくらい」
そう言って振り返ったサニアは、ロティアににっこりと微笑んできた。
「だからさ、フフランが見つかったら、わたしと友達になってくれない?」
ロティアは心から安心して、にっこりと微笑み返した。
「もちろんです! フフランもきっと喜びます」
そんな話をしているうちに、道は緩やかな上り坂になり、やがて丘が見えてきた。周りにはおしゃれなカフェや雑貨屋が軒を連ねている。しかし人の数はまばらだ。
「冬はあの丘の上の大きな木が、ガラス玉で飾られてきれいだから人気だけど、今はあんまり人がいないんだ」
「そうなんですね。案内ありがとうございます、サニアさん。ふたりはどこかのカフェで休んでいてください」
「一人で行くの?」
「はい。いなかったら無駄足ですし、もしいたら、その時はふたりで話したいので」
ふたりはすぐに了承して、見晴らしの良いオープンテラスのカフェに入って行った。ロティアはハンカチで汗をぬぐうと、丘を登り始めた。
丘は背の低い木がポツポツと生えているだけで、確かに日よけがなく、暑く感じられた。しかしビルばかりの街で、このあたりだけは緑が多く、空気が澄んでいる。夏に来ても十分良いところだ、とロティアは思った。
三分も経たないうちに頂上が見えてきた。確かに白い石でできた噴水も見える。細かいしぶきが上がっているようだ。
どうかあれが、フフランが遊んでいる水しぶきでありますように。
ロティアは最後の力を振り絞り、ダーッと駆け上がった。
丘の上には大きな木が一本あるだけで、他に木は一つもなかった。噴水は木の根の辺りに設置されている。その噴水では、サニアの予想通り、ハトだけでなく様々な動物たちが水浴びをしていた。
ロティアはヨタヨタと噴水の方に歩いて行きながら、目を凝らした。
雪のように白く、優しい心を持ち、明るくかわいい大好きなハトはいるだろうか。
暑さのせいで、視界がぼやけてくる。
ロティアは本当に最後の力を振り絞り、大声で叫んだ。
「フフラーン! いたら返事してー!」
「えっ! ロティア!」
ビュンッという風を切る音と共に、細かい水しぶきを上げながら、フフランがロティアの目の前に現れた。
雪のように白く、優しい心を持ち、明るくかわいい大好きなハトが目の前にいる。
ふたりはハトが豆鉄砲を食らったような顔で見つめ合った。
「……ロティア」
「……よ、よかった、フフラン」
ロティアはその場に座り込み、ぼろぼろと涙をこぼした。フフランは地面に降り立ち、おずおずとロティアの顔をのぞきこんだ。
「ごめんな、ロティア。心配かけて。もうじき帰ろうと思ってたんだけど」
「……ううん。わ、わたしこそ、ご、ごめんね。わたしのせいで、フフランが、嫌な思いを」
「違うよ! どう考えたって、羽根をもぎ取ったあのチビが悪いだろ! ロティアのことも、リジンのことも、オイラはちっとも怒ってないぜ?」
「で、でも、わたしが傍に、いてあげられたら、護れたのに……」
わたしの傍にいたら、痛い思いをしないで済んだかもしれない。
そもそもわたしが、リジンさんともっと仲良くなりたいと思って、焦って、仕事について行きたいなんて、無茶を言わなければ……。
わたし、自分のことしか考えてなかった。
あの優しいフフランが、こんなに怒ることが起こるなんて。
一番大切な存在を失うかもしれなかったという恐怖と悲しみと後悔で、涙がとめどなくあふれてくる。
フフランはロティアの膝の上に乗り、羽根の先で濡れたほほをぬぐってくれた。
「ロティアは悪くないから、気にしないでくれよう」
「……泣いて、困らせて、ごめん」
「困ってないって! 冷静になってくれよ、ロティア。ロティアのせいじゃないだろう。だから謝らなくて良いよ。むしろ、謝るのはオイラの方だ」
ロティアは汗が染みたハンカチで涙をぬぐい、「……どうして?」と弱弱しく言った。
フフランは気まずそうにうつむき、地面を細い足の先で蹴った。
「……オイラ、あいつらに腹が立ったんだ。ロティアは何にも悪くないのに、あんなに嫌われてさ。だから、絶対に口きかねえと思って、寝てるふりしたんだ。そしたらあのチビがオイラの羽根をもいだんだ。だから、もちろん痛かったけど、大げさに怒ってやって、家を出てきたんだ。アイツらには良い薬になるだろうって。だから、オイラも悪いんだ。大事にしてごめんな」
想像もしていなかった言葉に、ロティアは目をパチパチさせた。
「……わたしのために?」
「そうだ。嫌だったんだよ、ロティアが傷つくのは。オイラは出会った日からずっと、ロティアには笑っててほしいって思ってるから」
止まりかけていた涙がまたロティアの頬を流れ出した。
「そ、そんなに、思っててくれたの?」
「当たり前だろ! ロティアは、『フフランと出会ったのは奇跡で宝物だ』ってよく言ってくれるけど、オイラにとってもそうなんだよ。ロティアのことが、大好きなんだよ」
ロティアは震える手でフフランを抱きしめた。フフランの羽根に涙がポツポツと音を立てて落ちる。
「……あ、ありがとう、フフラン」
「……オイラこそ、探しに来てくれてありがとな、ロティア」
そう答えるフフランの声も震えていた。
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