アトモスフィア
指先が痛いくらいに冷えていて、ポケットの中にいれたくらいではまるで効果を感じなかった。仕方ない、とマフラーの上から首筋に指を突っ込んだ。予想以上の冷たさにぶるっと震えがきたが、爪先から首筋の熱を奪って指がじんわりとほぐれていく。
人気の無い公園に差し掛かる。アスファルトから砂地の地面に変わったことで、ザッ、ザッっと足を滑らせる足音が思ったよりも大きく響いては暗がりに消えていく。ブランコやすべり台といった遊具は街灯に照らされ、とても小さく、寂しそうに見えた。いや、日中の子供たちが遊ぶイメージとのギャップで、温度が低く感じるとでも言おうか。
公園を抜けると、自宅のマンションが見えた。この寒さももう少しの辛抱だ。少し足早にエントランスに向かうと、何度か見かけたことのある男性と行きあった。
「こんばんは」
「こんばんは」
連れ立ってマンションに入る。郵便受けを確認しようと集合ポストに向かうと、彼はそのままエレベーターに向かった。ポストはピザのメニューやよくわからない広告ばかりで、郵便は一通もない。広告をまとめて雑巾の様に捻りながらエレベーターに行くと、さっきの彼がちょうど乗り込むところだった。
「すいません」
そう言って滑り込むと、彼は「こんばんは」と挨拶してきた。どうやら、さっき挨拶した住人だとは気づかなかったようだ。何度も同じ人に挨拶をすることを滑稽に感じながらも、ペコリと頭を下げてこんばんはと返した。なんとなく、捻った広告は後手に隠した。
「……今日は寒いですね」
「ほんとに。急に寒くなりましたね」
沈黙の苦痛に耐えかねたのか、彼がつぶやくように言った。こちらも当たり障りのない言葉を返す。会話は噛み合っているのに、お互いを見ていなかった。
結局沈黙が我々を包み、エレベーターの上昇するモーター音だけが耳に届いてくる。
「じゃあ、お先に」
そう言って、彼は居心地の悪い空間から先に離脱した。私がもう一つ上の階で降りる頃には、妙な気詰まりは霧散していた。廊下を歩いていくと、下の階で鍵の開く音と「ただいま」という声。今しがたエレベーターで聞いた彼の声だったが、先程とは違って随分明るい声だった。
私も自宅に到着し扉を開ける。感知式の玄関の明かりがぱっと灯った。
「ただいまー」
残念ながら返事はない。リビングに入って電気を点けると、ソファの上で、毛布に包まった我が家のお猫様が身じろぎした。
「ただいま、オレオ」
私はもう一度優しく声をかけた。
オレオが少し面倒そうに「みゃあ」と鳴き、私はマフラーをほどいた。
了
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