第1話 復活探偵
多分、これは探偵の仕事ではない。
そんなことを頭の片隅で考えながら、令人は今日も大都会の片隅で、日々の業務に勤しんでいた。
「あん? なんだ、おっさん。なんか用……」
とりあえず、生意気な口を聞く若者の腹部に拳をたたき込み、動きを止める。
その後、素早く首根っこを掴んで路地裏に引っ張り込むと、抵抗しようとする男の心を折るため、二、三発顔面を殴って鼻を折った。
「ど、どうして……っ?!」
突然の暴力に涙目になりながら若者が叫ぶ。
人を呼ばれるのも面倒か、ぼんやりとそう考えた令人は男の顎を掴んで黙らせた。
「どうして?」
男の疑問に答えるよう、ゆっくりと囁きかける。
「それはお前が、いたいけな女子高生のあられもない写真を撮って喜ぶ変態野郎だからだ。あぁ、誤魔化さなくていい。もう証拠は揃っている」
「……!」
その言葉に全身を硬直させる若者。
令人はその隙に彼のポケットからスマートフォンを取り出すと、押さえつけた若者の指を拝借して指紋認証を解除する。
慣れた手つきでアルバム画面を確認。やはりというかなんというか、依頼人の娘以外にも何人か被害者がいるようだった。
「盗撮したデータを全て消せ。クラウドのバックアップも全てだ」
「お、俺は何も」
「誤魔化す必要はないと言ったろ。急げよ。十秒ごとに一本ずつ指を折る」
その言葉に冗談の色が見えないことに気づき、息をのむ若者。
慌てて自分のスマートフォンを操作し始める。
「あぁそれと、安心しろ。お前のパソコンとハードディスクのデータは、さっき壊しておいた。……今度から窓ガラスの施錠に注意しておいた方がいいぞ。後ろめたいことをしているなら尚更だ」
「え?」
言われたことが理解できなかったのだろう。
若者がぽかんとした表情で顔を上げ、令人を見つめた。
令人はそんな彼の顔をまじまじと見返し……、
とりあえず十秒たっていたので彼の右小指をへし折っておく。
「あああああああっ!? なんだ!? なんなんだよ、あんたっ!?」
「なんだって、ただの探偵だよ」
「嘘だっ!! 探偵がこんなことするもんか!」
確かにそうだ。
令人は素直に納得しながら、再び若者の右手に手を伸ばす。
ぐだぐだと話していたら、更に二十秒が経過してしまった。
二本分のペナルティを与えなくてはならない。
※
繁華街の裏路地にひっそりと建つ、古いモルタル塗りの五階建て雑居ビル。
その四階に令人の仕事場である「九練探偵事務所」のオフィスがあった。
今日も今日とて事件を円満解決に導いた令人は、いつものように狭い階段を登り、その自宅兼職場へと帰還を果たす。
帰宅中、少し雨に降られたせいで服が濡れてしまっていた。
軽く水滴を払いながら時計を見ると、時刻は既に夜の九時を超えている。
「…………」
彼女がいた頃は、こんな時間に戻ってきたら決まって「遅いぞ不良少年!」と窘められたものだったが……。
そんなことを思い出しながら、令人は深くため息をついた。
彼女が消えてから十年。
自分は一体何をしているのだろうか、という疑問が常に令人を苛んでいる。
探偵業とは名ばかりのチンピラまがいの仕事で日銭を稼ぎ、なんとか事務所の維持費を用意し続けるだけの毎日。
これは多分、探偵の仕事ではない。
自分が憧れ、目指した探偵はこれではない。
このままでは彼女のような探偵にはなれない。
がらんどうな心の中に木霊するそんな思考を、アルコールで誤魔化し続ける日々。
このままではいけないという思いはあれど、行動を起こす活力がわいてこない。
心がすり減り、自らを欺瞞に浸して動けなくなってしまった自分はもう、全ての嘘を祓い真実を探求する探偵というあり方から最も遠い存在になってしまった。
そんな諦めに似た感情に自嘲した令人は、錆び付いたドアにかけられた「名探偵九練のなんでも探偵事務所」と書かれた間抜けな看板を軽く撫で、ドアノブに指をかけようとしたところで……、その手を止めた。
朝、出た時と比べると、ドアノブの角度が微妙にズレている。
つまり、何者かがこの扉を開けようとしたか、実際に開けたということだ。
「…………ふむ」
自分のいない間に依頼人が訪ねてきたのか。昼間の盗撮魔の報復か。
それとも、過去に解決してきた事件関係者のお礼参りかもしれない。
物音をたてないようドアノブをひねり、室内へ入る令人。
罠の気配も、奇襲される様子もない。
しかし、室内に僅かな人の気配。
考えうる全ての可能性とその対処法を想定しながら、彼は部屋の照明をオンにする。
「…………!」
何がいても驚くまいと考えていた令人だったが、これは想定外だった。
事務所の最奥。
この十年、誰も座らせたことがなかった所長用安楽椅子の上で、見知らぬ子供が眠っていた。
年は十歳かそこらだろうか。
フランス人形のように整った目鼻立ちに、白く艶やかな肌。
ゆるくウェーブのかかった金色のセミロングに、燃えるような赤色のインバネスコート。
そんな少女が「すぴゅーすぴゅー」と可愛らしい寝息をたてながら、ふかふかの安楽椅子に深々と埋まっている。
まるで、天使のような寝顔。
思わずそう発想した令人は、自分の気持ち悪さに苦笑する。
「さて、託児所に鞍替えした記憶はないんだが……」
そう呟いた令人が、一応周囲への警戒を続けながら彼女に近づこうとしたその時、
少女の瞼が突然開いた。
髪と同じ、黄金色に輝く双眸とばっちり視線がかみ合う。
「ッ!?」
瞬間、令人の中に正体不明の衝撃が駆け抜けた。
果たしてそれが何なのか。脳が分析を始めるその前に、謎の少女がにっこりと微笑む。
「まったく、遅いぞ不良少年。待ちくたびれたよ」
「な……」
「な?」
言葉をなくす令人を見て、その少女は不思議そうに首を傾ける。
そして何かに思いついたように手を叩き、こんなことを言ってきた。
「あ、もしかして今、君は突然自分の中に吹き荒れた恋の嵐に自分の正体がロリコンだったのかとショックを受けているのではないかな? 大丈夫、君は正常だよ」
「は? いや……」
突然、意味不明なことを言い出した少女に呆気にとられる令人。
しかし、少女はかまわず言葉を続ける。
「それにしても十年前よりワイルドさが増したというか、雰囲気がささくれているというか……。アルコールと煙草の匂いもきついな。ハードボイルド気取りも良いが、少しは節制したまえ。健康によくないぞ」
安楽椅子から飛び降り、令人の周りをてくてく歩きながらそんなことを言う少女。
そして令人が纏うスーツの袖、そこに付着した盗撮魔の血痕を見つけて、ため息をつく。
「まったく……、嘆かわしい。あれほど暴力による解決はエレガントではないと教えたはずなのに。ちょっと目を離した隙に元の喧嘩小僧に逆戻りとは。まぁ、この十年、事務所を存続させてくれていたことに感謝の念は絶えないのだが」
「何を……、何を言っている?」
その口調、その態度。
脳の奥の方がチリチリと疼く感覚に、令人は言葉を荒らげる。
「お前は、何者だ?」
その質問に、少女はぱちくりと目を瞬かせた。
それから、やれやれと言わんばかりに肩を竦める。
「まったく、これだけヒントをあげたのにまだ気づかないとは……。ちょっぴり転生して姿が変わったとはいえ、情けない。まだまだ修行が足りないな、助手よ!」
そう言いながら彼女は再び安楽椅子の上に飛び乗り、にやりと笑う。
大げさな仕草、不敵な笑顔。
その姿は、一挙一動に至るまで令人の記憶に焼き付いた「ある人物」と重なっていた。
「私だよ、九練曲里だ。灰色の脳細胞を持つ超天才名探偵であるこの私が、ホームズよろしく華麗なる復活を遂げて帰ってきたのだよ、ワトソン君!」
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