走れ人形のメロス

きつねのなにか

なんで兎にしたんだろう

 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくのぺしゃぺしゃぷりんを除かねばならぬと決意した。

 メロスには人の事情がわからぬ。

 メロスは、村のマスコットぬいぐるみである。兎である。愛嬌を振りまき、子どもと遊んで暮してきた。

 けれども人の悪意に対しては、ぬいぐるみの中で最も敏感であった。


 今日未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれたこのサンオリネズミーマウスポケモノ市にやって来た。メロスには父も、母もない。女もいない。童貞である。十六の、手から氷が出せるアナユキという妹と二個暮らしだ。アナユキは村のある律気なパワータイプにんぎょう――カイリッキという――を、近々、花婿はなむことして迎える事になっていた。


 結婚式も間近なのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。


 先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。

 セリヌンティウスである。

 今は此のサンオリネズミーマウスポケモノの市で、ぬいぐるみ作成師をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。

 久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。

 歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。

 ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。

 のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年前にこの市に来たときは、夜でも皆がにんぎょう刺繍をして、まちは大変賑やかであった筈だが、と質問した。

 若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。

 メロスは両前足で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「人間である王様は、にんぎょうを燃やします」

「なぜ燃やすのだ」

「人の心の闇に入り込んで人を闇堕ちさせる、というのですが、どのにんぎょうもそんな、闇の心を持っては居りませぬ」

「たくさんのにんぎょうを燃やしたのか」

「はい、はじめは王様の妹婿さまのにんぎょうを。それから、御自身のお世嗣よつぎのにんぎょうを。それから、妹さまのにんぎょうを。それから、妹さまの御子さまのにんぎょうを。それから、皇后さまを模したにんぎょうまでも。それから、賢臣にんぎょうのみっきぃ様を」

「おどろいた。国王は乱心か」

「いいえ、乱心ではございませぬ。サンオリ以外のにんぎょうを、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下のにんぎょうをも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、にんぎょう質をひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば火あぶりの刑にかけられて、にんぎょうが燃やされます。きょうは、六にんぎょう燃やされました。」

 聞いて、メロスは激怒した。


「あきれた王だ。生かして置けぬ」


 メロスは、単純なにんぎょうであった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡廻の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中から裁ちバサミが出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。

「この裁ちバサミで何をするつもりであったか。言え!」暴君ぺしゃぺしゃぷりんは静かに、けれども威厳をもって問いつめた。その王の顔は黄色で単純な顔をしており、プリンのようであった。ただ、眉間のしわは、刻み込まれたように深かった。ネタ画像でよく見る怒ったぽむぽむぷり……であった。

「市を暴君の手から救うのだ。裁ちバサミがあれば出来る」

 とメロスは悪びれずに答えた。

「おまえがか?」

 王は、憫笑びんしょうした。

「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ」

「言うな!」

 とメロスは、いきり立って反駁はんばくした。

「にんぎょうの心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、にんぎょうの忠誠をさえ疑って居られる」

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちサンオリ以外のにんぎょうだ。サンオリ以外のにんぎょうの心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。それに寄り添えるのは、サンオリのにんぎょうたちだけだ」

 暴君は落着いてつぶやき、ほっと溜息をついた。

「わしだって、にんぎょうの平和を望んでいるのだが」

「なんの為の平和だ。サンオリの地位を守る為か」

 こんどはメロスが嘲笑した。

「罪の無いにんぎょうを燃やして、何が平和だ」

「だまれ、下賤げせんの者」

 王は、さっと顔を挙げて報いた。

「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、ネズミーマウスにんぎょうの腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ」

「ああ、王は利口だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ――」

 と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、

「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに五日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。五日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます」

「ばかな」

 と暴君は、嗄しわがれた声で低く笑った。

「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥タイプのポケモノが帰って来るというのか」

「そうです。帰って来るのです。ポケモノの忠誠心は高い」

 メロスは必死で言い張った。

「私は約束を守ります。私を、五日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスというにんぎょう作成師がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、五日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい」

 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっとほくそえんだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。

 この嘘つきに騙だまされた振りして、放してやるのも面白い。

 そうして身代りの男を、五日目に殺してやるのも気味がいい。

 サンオリ以外のにんぎょうは、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩やつばらにうんと見せつけてやりたいものさ。

「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。五日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ」

「なに、何をおっしゃる」

「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」

 メロスは口惜しく、片足をダンダンと踏んだ。兎が威嚇するときの行為である。

 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ぺしゃぺしゃぷりんの面前で、良き友と良き友は、二年ぶりに再会した。

 メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言でうなずき、メロスをひしと抱きしめた。

 友と友の間は、それでよかった。

 セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。雨季であったが、満天の星である。

 メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、二日目の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六のアナユキも、きょうは兄の代りに羊毛フェルトの量産をしていた。よろめいて歩いて来る兄を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。

「なんでも無い」

 メロスは無理に笑おうと努めた。

「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう」

 妹は頬をあからめた。

「うれしいか。綺麗な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと」

 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って小さなにんぎょうを飾り、祝宴の席を調え、羊毛フェルトを使い足首のほつれを直して、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。

 眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。

 婿のカイリッキは驚き、それはいけない、こちらはまだ筋肉が仕上がっていない、筋肉が仕上がる季節まで待ってくれ、と答えた。

 メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ、と更に押してたのんだ。

 婿のカイリッキも頑強であった。

 カイリッキはパワータイプのポケモ、にんぎょうである。力が無いと早々には承諾してくれない。

 メロスは兎にんぎょうなので非力であった。

 夜明けまで相撲をつづけて、やっと、説き伏せた。


 結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、唯一神ハローキッティへの宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していたにんぎょうたちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、モンポケカードバトルをやった。メロスもバトルをし、三度負けた。相手のにんぎょうは燃やした。

 メロスは、このにんぎょうたちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分の体で、自分のものでは無い。ままならぬ事である。

 メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。

 あと三日ある、まだ全然じゃないか。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。

 その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。

 メロスほどのにんぎょうにも、やはり未練の情というものは在る。

 今宵、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、

「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一番嫌いなものは、無作為に氷を作ることだ。おまえに言いたいのは、それだけだ。氷を作るな、お前なら出来る」

 花嫁は、夢見心地でうなずいた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、

「筋肉が仕上がらなかったことはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊毛フェルトだけだ。他には、裁縫箱だけだ。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ」

 花婿はてれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、兎小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。


 眼が覚めたのは三日目の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いやいや、あと二日ある。十分間に合う。

 当日は是非とも、あの王に、にんぎょうの信実の存するところを見せてやろう。

 そうして笑って火あぶりの刑に処されてやる。

 メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。

 さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。

 しかし矢はすぐに折れた。雨で体内に水が浸入してきているのだ。

 重い。体が動かない。

 水浸しになったメロスはのろのろと走り抜けるしかなかった。

 だから五日も猶予を貰ったのだ。乾季なら二日で行き来できる。今は雨季だ。

 私は、二日後、燃やされる。燃やされる為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。

 王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。

 水に濡れていても走らなければならぬ。

 そうして、私は燃やされる。


 メロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。

 村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止やみ、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。

 メロスは自分に浸みている水分を搾り取り、来た道を見やった。もう大丈夫、戻る気はない。

 妹たちは、きっと良い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。

 

 そろそろ全里程の半ばに到達した頃、メロスの足は、はたと、とまった。

 目の前に亀がいる。聞くと同じ王城まで行くという。そうか、今の王城は危ないぞと声を掛けつつさっさと走り抜けた。亀は遅い。兎は速い。


 ああ! 見よ、前方の川を。

 きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流とうとうと下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。

 彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪にさらわれて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。

 メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらに手を挙げてミュースリーに哀願した。「ああ、しずめたまえ、荒れ狂う流れを! こんな流れに飛び込んだらにんぎょうは流れていってしまう! 腕が千切れ、足が千切れ、頭が千切れてしまう! 此処を越えなければ、王城に、王城にたどり着くことは出来ぬのです!」

 濁流はますます激しく躍り狂う。

 そうして時は、刻一刻と消えて行く。

 今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、唯一神ハローキッティも照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。

 メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。

 兎のにんぎょうであるメロスはそもそも泳げぬ。流れに身を任せ対岸に着くことを期待した。

 無理であった。

 水中深くまで引き込まれ、南無三、もはやこれまでか。しかしミュースリーは遣いを出していた。水モンポケにんぎょうのカメックスゴーゴーである。

 カメックスゴーゴーは口にメロスを咥え対岸まで渡してやった。


 唯一神はサンオリのドラ猫ではない、にゃん天堂だ。


 メロスは礼を言うと馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。

 無理だった。

 一刻といえども、むだには出来ない。

 しかし水が体の奥深くまで浸透していて全く動けない。

 陽は既に西に傾きかけている。太陽も期待できない。

 メロスは夜が明けるまで何度も身震いをして水分を飛ばし続けた。

 その間に背中に小さな穴が空き、綿が飛び散り始めていた。

 このままでは体がなくなってしまう。

 いや、そんなことはどうでもいい、どうせ燃やされるのだ。

 メロスは対岸で動けぬまま丸一日を過ごすことになった。


 最終日である。

 水分は残っているがもう行かねばならない。

 動かない体に鞭打ちながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。

「待て」

「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ」

「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け」

「私には命の他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ」

「その、いのちが欲しいのだ」

「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな」

 山賊たちは、かぎ針を振り挙げた。メロスはひょいと、体の小ささを生かして山賊の股下を抜け、さっさと走って峠を下った。出オチである。

 一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、水分は抜けたが、メロスは幾度となく眩暈めまいを感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。足から綿が飛び出し、立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。

 ああ、真の勇者、メロスよ。

 今、ここで、動けなくなるとは情け無い。

 愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。

 おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺つぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、足がこれではどうにもならん。

 路傍の草原にごろりと寝ころがった。

 身体故障すれば、精神も共にやられる。

 もう、どうでもいいという、勇者に不似合いなふてくされた根性が、心の隅に巣喰った。

 私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。にゃん天堂神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。もう足が削れて動けないのだ。

 しかし、これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。

 君は、いつでも私を信じた。

 私も君を、欺かなかった。

 私たちは、本当に良い友と友であったのだ。

 いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。

 いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。

 ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。

 友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。

 セリヌンティウス、私は走ったのだ。君をあざむくつもりは、みじんも無かった。

 信じてくれ!

 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。

 ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。足が無ければどうにもならぬのだ。

 私は負けたのだ。王にではない、自分にでもない。自然の厳しさに私の羊毛フェルトが負けたのだ。

 私は、焼却よりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉のにんぎょうだ。

 セリヌンティウスよ、私も燃えるぞ。君と一緒に燃やさせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? 

 ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊毛フェルトもある。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。

 しかしまずは足が直らないことには動けない。どうとも、勝手にするがよい。


 その時である。後ろから声がした。


「あの、傷ついてるんですか? 直しましょうか?」

 重い腰を上げて後ろを振り返ってみると、あのときの亀がいた。亀は裁縫師であった。

「今手持ちの裁縫道具では応急処置しか出来ないんですけど」

 そういって足と背中の穴を綿の糸でふさいでくれた。

 走れる。

 日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。燃えてお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。


 走れ! メロス。


 私は信頼されている。私は天から見放されていない。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 亀ってすげえ。

 私は、正義の士として燃える事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、唯一神にゃん天堂よ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして燃やさせて下さい。

 路行く人を押しのけ、跳はねとばし、メロスは兎のように走った。兎にんぎょうだからだ。

 野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬をスライディングショートカットし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。

 一団の旅人とさっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。

「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ」

 ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。

 その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。にんぎょうの力を、いまこそ知らせてやるがよい。


 風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど綿のみであった。ただその意思だけで兎のにんぎょうとなっている。呼吸も出来ず、二度、三度、口から綿が噴き出た。


 見える。はるか向うに小さく、サンオリネズミーマウスポケモノの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。


「ああ、メロス様」

 うめくような声が、風と共に聞えた。

「誰だ」

 メロスは走りながら尋ねた。

「RIKIMIちゃんでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます」

 その若いぬいぐるみ作成師も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。無駄でございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません」

「いや、まだ陽は沈まぬ」

「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。お恨み申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」

「いや、まだ陽は沈まぬ」

 メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。

「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました」

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。にんぎょうの命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。正確には著作権だ。ついて来い! ぐだたま!」

「ああ、あなたは気が狂ったか。わたしはRIKIMIちゃんだ。鮭の頭だ。ぐでーんたまごではない。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい」

 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。考えるための綿が残っていない。ただ、わけのわからぬ大きな力、著作権にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。


 間に合った。


「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」

 と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、なんとか人形の形のように見える彼の体ではほとんど声にならない、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。

 すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、群衆を掻きわけ、掻きわけ、

「私だ、刑吏ダックスふんどし! 燃やされるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、かじりついた。

 群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。

 セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。

「セリヌンティウス」

 メロスは眼に涙を浮べて言った。発音する綿は残ってなかった。

「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴――」

「もう動くな」

 セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、弟子に作業道具を持ってこさせ、その場でメロスの補修を開始した。

 メロスはただの綿の塊であった。ただただ、メロスとその友人であるという絆だけがメロスをメロス然とさせていた。

「気をしっかり持て、メロス。お前がメロスを辞めたらただの綿だ」

 セリヌンティウスは高速で補修作業をしている。

「無駄じゃ無駄じゃ。メロスは到着しなかった。到着したのはただの綿じゃ。今作業を止めればお前の死は取りやめにしてやろう」

 暴君ぺしゃぺしゃぷりんがそう唆す。

「メロスは帰ってきた」

 セリヌンティウスの補修で、ようやっと兎に見えるメロスが出来上がった。

「そうだ、メロスだ。私はメロスだ」

「ありがとう、友よ」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

 群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。暴君ぺしゃぺしゃぷりんは、二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい」

「もうサンオレ以外のにんぎょうを燃やさないと誓うか」

 メロスが嗄れた声で問う。

「ああ、もう燃やさない。にんぎょうは等しくにんぎょうだ」

 どっと群衆の間に、歓声が起った。

「万歳、王様万歳。」

 ひとりの少女が、羊毛フェルトをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。良き友は、気をきかせて教えてやった。

「メロス、君は、ノーブランドじゃないか。早くその羊毛フェルトで偽のブランドロゴを作ろう。この可愛い娘さんは、メロスがノーブランドだとバレルのが、たまらなく口惜しいのだ。さあ、今から公開処刑の代わりに公開補修をするぞ」

 勇者は、ひどく赤面した。

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