第45話 【第3章 2-9】

(……)

 この瞬間、全ての時が止まった。

(あれっ)

 目を開けた千戸世に見えたのは、赤と白の濃淡だけで構成される景色だ。

 そして、全てが静止している。

 しかし、そこには自分以外の人物がいない。

(私……撃たれたんだよね?)

 銃弾が自分の肉を焼きながら裂いて貫通したのを、千戸世は覚えている。

 その時に確かに感じた、凄まじい痛みは――今、感じない。

 千戸世は少し起き上がり、自分の腹部を見た。

 服が破れ、腹に穴が出来ている。しかし、そこから流れるはずの血が、出ていない。

 千戸世はもっと起き上がろうとした。

 力が入らない。むしろ、どんどん力が抜けていく。やがて、体の感覚は全く無くなった。

(そうか、私がこの世界を作っているんだ。これは現実じゃないんだ)

 この現象、この時間。何もかも、さっぱり良く分からない。夢なのか、幻なのか、それさえも判断できない。だが、千戸世は1つだけ、悟っていた。

(……私は、死ぬんだ)

 小説でしか聞いた事の無いような、臨終の世界を、自分は今、感じている。

 死ぬ、という事が知れても、全く取り乱す気配の無い自分の心を、千戸世は静かに観察する。

 そんな自分の姿は。

(……藤華を超えられた、かな)

 千戸世にとって、藤華は。

 憧れ。

 希望。

 尊敬出来る。

 輝いている。

 そして、何より、深みのある人生を生きている人。

(これを言ったら、藤華は絶対、怒るだろうな……)

 悲惨な経験の数々。

 それによって生じた、闇夜のような、冷徹な一面。

 千戸世は、藤華の人格の〈かげ〉を、うらやんでいた。

(私には、そんな〈陰〉が、無い……)

 千戸世の生涯で、友人と呼べそうな人は5人もいない。さらに、ありふれていると言ってもいい、精神の成長に繋がる人間関係のいざこざに巻き込まれた事が一度も無い。それは、この時代の子供としては間違いなく例外的だ。

 その事を、千戸世は自覚していた。

 自覚していたからこそ、千戸世は悔しかったのだ。

 他の人間のほとんどが経験する、人間関係で成長したという感覚を、千戸世は持てなかった。――10歳までは、間違い無く。

 10歳まで、千戸世は人との触れ合いの乏しさを、劣等感として抱いていた。

 みじめ、と言っても過言ではない程に。

 ところが。

 全てを変える日が来た。

 10歳の年の、秋。

 藤華が〈親友〉を失った。

 あの日、藤華の周りだけ、どす黒い赤色を思わせる空気をまとっていた。

 誰一人、藤華に近付かなかった。

 それを、千戸世は見ていた。同じクラスにいる人間として。

 明らかに手入れをしていない、ぼさぼさのポニーテールが、わなわなと揺れた。

 同級生が下校したあと、やっと立ち上がった藤華に……。

〈一緒に帰ろう。〉

(私、あの時、初めて藤華に話しかけた)

 顔を上げて、目を丸くした藤華。

 死人のような目をした、10歳になりたての藤華。

 千戸世は、藤華の血の気の無い冷えた手を握って、二人で、家路を歩いた。

(……懐かしいなあ)

 今、自分は仰向けに倒れている。

 目に映る景色に、色が戻りだす。

 体の感覚が、じわじわと迫ってきた。

 千戸世は、目を閉じた――。

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