▼第3章 兄と妹

▼3-1 雨の日の宝石品定め

 ハルシャは宮殿内を歩いていた。通常は護衛の兵士を二人従えているのだが、その二人にはハルシャの自室で待っているよう命じておいたので、現在は一人だった。


 瓶に何かを入れて運んでいる女官とすれ違う。護衛も連れずに王子が一人で歩いていることを、怪しまれてはいないらしい。ハルシャにとっては好都合だった。


 中庭に出る。周囲に咲いている花を愛でる振りをしながら、周囲の状況を探る。空は曇っているが、まだ雨は降りだしていない。さすがに纏まった量の雨が降っている中では、雨音も妨害になるであろうから、降り始める前に用件を済ませることができれば幸いだ。


 背の低い木の枝葉が茂っている辺りに身を潜める。いざ見咎められたとしても、花を見ていたのだ、と言い訳できる。実際に庭のあちらこちらでは色とりどりの美しい花が咲き乱れている。庭師は良い仕事をしているといえる。


 茂みの向こう側に、女官が三人、たむろしているのが窺えた。女官の顔を全員覚えているのではないが、そのうち一人は見覚えがある気がした。あの女性と一緒に居ることが多いようなので、恐らくお付きの者なのだろう。


「……ラージャ……」


 距離が遠すぎるのか、侍女たち三人の話の内容を上手く聞き取って確認することはできなかった。ただ、三人のうちの誰かが兄の名前を出していたような気がする。やはりあの美女は兄の婚約者となるのか。あるいは、単に兄の見た目が美しく仕草も高雅なので素敵だという女性同士特有の噂話なのかもしれない。判断材料が少なすぎる。


 雨が降り始めたため、ハルシャは屋根のある下に入って、眺めるだけ雨粒が落ちて来る空を見上げた。雲が覆っているため昼間ではあるが少し薄暗い。


 ぼんやりしていると、背後から名前を呼ばれて振り向いた。侍従の者が来客の件を告げた。そういえば今日のこの時間に宝飾品を扱っている商人に来てもらうという約束をしているのだった。


 商人は小柄な老人だった。その代わり筋骨隆々たる偉丈夫が四人も護衛についていた。貴重品を持ち運ぶからには、これくらいは必要なのだろう。


 最初に商人が提示したのは黄金の首飾りだった。バダフシャーン地方のサル・エ・サング鉱山で産出されるという高価なヴァイドゥーリャ貴石をあしらっている。


「この頸珠などはお勧めですよ。ご覧ください、この宝石の色の深さを。毘琉璃とも呼ばれているようです。女性への贈り物でございますよね。喜んでいただけますよ。まあ、貴重な宝石の大玉という形ですので、値段もかなり高いといえば高いのですが、そこは勉強させていただきますので」


 確かに綺麗な色だった。吸い込まれそうな深く濃い青には神秘的な輝きが宿っている。だが、ハルシャが要望していたのは青系統ではあっても、もっと薄い水色であった。そう言われると、商人は小さな一対の耳飾りを出した。


 透明感のある薄い水色の宝石が一対輝く。一見すると透明のようでいて、光の加減で薄い水色にも見える。まさに水そのもののような宝石だった。


「これは水精珠の耳當です。かのエフタルの遺民との交易で入手できる宝石です。ですが、連中との取引は安定しないのが問題でして、宝石そのものはそこまで高価ではありませんが、そういう事情なのであまりお安くできないという事情を忖度していただきたいです」


「なんだかんだ言いつつ、結局あまり安くはしないよ、と言っているんじゃないか」


「そのようなことはございません。嘘だと思ったら他の商人も呼んでみればよろしいかと思います。お前の代わりは幾らでもいる、というふうにはならないはずです。お値段には自信があります」


 小柄な商人は堂々とした態度で言った。ハッタリだろう、とハルシャは思ったが、商人であるからにはそういうのは得意なのだろう。そのはったりを信じたわけではないが、別の商人をわざわざ呼んで改めて商談をするのも面倒くさい。


「じゃあ分かった。その毘琉璃の頸珠と水精珠の耳當、両方買う。だから抱き合わせ割引を適用してくれ」


「王子殿下の方がよっぽど老獪な商人ではありませんかね」


 その後、丁々発止の遣り取りはあったが、結果としてハルシャは言い値よりも大幅に安価で両方の宝飾品を購入することができた。その代わり、今後ハルシャが何か宝飾品を購入する時にはこの商人を贔屓にして優先的に商談をするという約束を取り付けられた。だが、自分は第二王子であって王位を継ぐ予定は無いので、今後という機会はさほど多くはならないだろう。


「さて、水精珠の耳當を入手したのは良いけど、これをどうやって彼女に渡すか、だよな」


 ハルシャは手の中の一対の耳飾りを転がした。金属の部分は銀製らしい。あしらわれている宝石はごくごく小さな球形だが、完全な球形ではなく、少し歪んでいて水滴のような形になっている様子だ。


 それにしても分からないことだらけだ。どこかの国の姫君であることは間違いなさそうだが、どこの国の出身なのか、名前は何なのか。


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