▼2-4 胸と脇と翼

「軍隊といっても数が少ない場合、指揮官の下、一丸となって敵に当たって行くことです。しかし先刻数が大事だと申しました通り、数を集めて大軍となると、指揮官の号令一つでは細かい動きができなくなります。そうなると軍を幾つかの部隊に分ける必要が生じます。一つの部隊の大きさは、まあ、動員している兵数の総数によって大小は当然あると思いますが、有効的な単位としては、象一頭と騎乗兵につき、前衛歩兵十五人と後援兵士十五人とすると、象九頭を一部隊とします。これより数が少なくなったら部隊としての打撃力が欠けるので、別の部隊と再編して合併した方がいいでしょう」


「象を用いる部隊に、援護の歩兵が必要なのですか」


 象を使った軍隊は最強だ。最強のものだけを集めれば最強の中の最強じゃないのか。ハルシャは単純にそう思った。


「ならば逆の立場で考えてください。例えば南のチャールキヤ朝が福地たるタネの古戦場に攻めて来たとします。ご存知の通り、チャールキヤ朝も強力な象軍を有しています。象と騎乗兵のみの軍隊が一丸となって猪突猛進して来たら、ハルシャ王子ならどう防衛しますか」


「相手と同数以上の象兵を用意してぶつける」


「確かに昔はそういう戦いもあったようです。でもそれだと象の数で劣る方はその時点で負けが確定してしまいます。国力で劣っている、象や兵士の数で劣っているからといって、簡単に諦めるわけにはいきません。そういう時にどうするか、です」


「相手が象の軍で突進して来るなら、小回りは利きにくいはずです。地形に適した罠を張ればいいんじゃないかな」


 満足げに口角を上げてジャヤセーナ論師は生徒を褒めた。


「正解です。仰る通り象は小回りが利きにくいのが弱点です。それに対応するために、象だけで部隊を組むのではなく、象に付随して援護の歩兵がいた方が不測の事態にも対応がしやすくて有利だ、というのが現代的な考え方です。象と騎乗兵で九頭だけの一部隊と、歩兵二百七十人の一部隊を別々に組むよりは、象一頭と歩兵三十名を組み合わせた単位を九単位の一部隊の方が柔軟に戦えるのです」


「部隊を編成したら、その部隊が有効に活動するために陣形があるってことですか」


「その通りです。各々の部隊が有機的に働くために陣形というものが存在します。さて、ハルシャ王子。軍が陣形を編成するにあたって、四つの要素がありました。以前に講義でお話ししたのですが、覚えておられますか」


「ええと、中央に胸、その両側に脇、その更に外側に翼、です。それと、当然後詰めがあります」


「はい。初歩的な均等陣形として、それをしっかり把握しましょう。胸、両脇と両翼、及び後詰めで構成されるのがグルの陣形です。別名にブリハスパティの陣形ともいいますが、グルもブリハスパティも覚える必要はありません。そこから両脇を除いたものが、シュクラの陣形といいます。別名はウシャナスの陣形ですが、こちらも両方とも覚える必要はありません」


 世の中には覚える必要の無い無駄な知識も多いらしい。このジャヤセーナ論師は、覚える必要の無いことをどれくらい多く覚えているのか。


「覚える必要があるのは、具体的な基本陣形ですね。まずは円陣です」


 ジャヤセーナ論師は、持ってきた樺の皮を両手で広げて持って、ハルシャに掲げて見せた。そこにはあらかじめ円陣の構成が書いてあった。


 胸

脇 脇

翼 翼

 後


「この陣形は、相手の軍隊の方が数が多い場合、あるいは援軍が来るのを待つ間の時間稼ぎが必要な時などに、受けを中心とする際に組む場合が多いでしょうか。作戦として意図的にこの陣形を組むのならいいのですが、相手の方が数が多くて守勢に回ってしまってこの陣形になるのは、可能な限り避けるべきですな。先ほど言った、数が大事というのは、どういう陣形を組むかにも関わってくることだから、最初に述べておいたのです」


 なるほど、ここに繋がってくるのか。ジャヤセーナ論師の講義はハルシャにとって面白くはないが、講義自体は恐らく悪くはないのだろう。ハルシャの肌に合わないだけだ。


「逆にこちらの軍勢の数が多い場合は、相手を包囲して撃滅することを目指すのが王道です。そのために、まずは杖陣を組むことが多くなると思います。障害物の少ない開けた平原などでは単純だけど単純だからこそ有効な陣形です」


 ジャヤセーナ論師は別の樺の皮を拡げて見せた。


翼脇胸脇翼

  後


「こういった感じに最初は横一線に並んでいます。注意が必要なのは、この杖陣は、分散陣と一見すると全く同じなのです。分散陣は各部が大きく展開するのが違いです。杖陣は、あくまでも杖陣からの小さな変化となります。では、こちらの陣形がどういうものであるか、説明できますか王子」


 そう言ってジャヤセーナ論師が別の樺の皮を拡げた。


  胸

 脇 脇

翼   翼

  後


「これは、鷹陣ですかね」


「陣形の名前は合っています。特徴を述べることができますか、ハルシャ王子」


 ハルシャは腕組みした。陣形の名前を知っていても、その性質まで全て知悉しているのではなかった。


「戦闘の時に、成り行きでこの陣形になりがち、というところでしょうか」


「確かに成り行きでこういう形になる場合も多いですが、それは陣形とは呼びません。単なる成り行きです。陣形というのは、指揮官がきちんと作戦意図を持って各部隊を操って、こういう形で部隊を前進させて相手を撃破して初めて、陣形がきちんと効果を発揮したといえるものです。そこを間違えないように」


 ハルシャは首をひねった。それって、陣形を保つために陣形を作っているようなものではないか。目的はあくまでも敵の撃破であって、成り行きで鷹陣を形成したとしても、それで敵を撃破できれば無問題ではないのか。


「見て分かる通り、鷹陣は相手の陣形を中央突破する形です。破壊力がありますので、歴代の戦いにおいて結果的に勝利した側はこの陣形を使っていたことが多いようです。ですが、意図して操ってこの陣形になったというよりは、成り行きで偶然鷹陣になった、という場合の方が多そうではありますけどね。あと、この陣形には欠点もあります」


 ジャヤセーナ論師はそこで言葉を切った。


「これの答えは、ちょっと考えればすぐに分かることですので、宿題といたしましょう。王子がご自分で考えて、答えに辿り着いてください」


「え、そんな」


「講義は、漠然と聞いていては、右の耳から入って左の耳から出て行ってしまうものです。自分の中で考えて、咀嚼して、飲み込んで、それで初めて身になるのですよ」


 そういうふうに言われれば、そうなのかな、とハルシャは思ってしまう。


 講義が終わり、講師が退出すると、ハルシャは深い溜息をついて肩の力を抜いた。


 どこかで聞いた話だが、少年が異性のことで悶々と悩んだ時などは、勉強をしたり運動をしたりして、要は他のことで欲求不満的なものを発散させるのが健全だという。勉強にせよ運動にせよ、頑張れば成果の出やすい年代ではあるので、自分への投資としての意義も大きい。


 だがやはり根本的にはその異性への執着と思慕が完全に無になるのでもないので、いつかは彼女が何者であるかに向き合うしかない。そのための覚悟を固める時間として、今があるのだ。


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