03. よーくんに署名する

 バスの後部座席で先輩と横並びになってしまった。まさかバス停で合流してしまうとは思わなかった。先輩は、なにかの小説を読んでいる。夕陽が斜めに走って、その姿にコントラストをつけている。


 天使と悪魔――研究をする上での心得を教えてくれる先輩と、イタズラばかりしてくる先輩。光と影の二面性。


 まあ、光があるから影もあるというのはよくいうことで、どっちもそなえているから、先輩は先輩なのだろう。


「そろそろ、なにを読んでいるのかいてくれない?」

「それ待ちだったんですね……なにを読んでいるんですか?」

「素直でよろしい。このページを見てごらん」


 そう言って先輩は、ぼくの目の前に、いま開いているページをかぶせてきたかと思うと――それを衝立ついたてのように使って、こっそりと軽く唇を重ねてきた。


 バスの中はふたりだけじゃないんだけどっ! 二列前にひといるじゃん!


「よーくんの顔が真っ赤になってるの、いつ見てもそそるわー」

 先輩はキャンパスの外では、ぼくのことを「よーくん」と呼んでくる。

「ほんと、やめてください……バレたらどうするんですかっ!」

 ひそひそ声で抗議をする。


「バレてないって。というか、べつにバレてもいいじゃん。キスくらい」

「あと、よーくんって呼ぶのはやめてくださいっ!」

「えっ、なんで?」

「なんでって……意味がわからないですよ。大学の外では下の名前で呼ぶのって」


 再三のぼくの抗議に、先輩はきょとんとしている。


「わたしたち、付き合っているんだから、普通じゃない?」

「えっ……? つっ、つっ、付き合ってるんですか?」

「付き合っていないとしたら、どうやって説明するのよ、いままでのわたしとのスキンシップを」

「痴女なのかと……」


 ごつんと、げんごつが降ってきた。思ってても言うな――と、叱られてしまった。


「いつからぼくたちは付き合ってたんですか?」

「自覚がないの?」

「ごめんなさい……」――って、なんで謝ってんの?


「ふーん。よーくんは、そこまで、たどり着いていないってことだ」

「どういうことです?」

「わたしはね、こういう関係は、原初的プリミティヴなものではなくて、構築的コンストラクティヴなものだと思ってるから」


 どういうことなのだろう――って! 先輩!

 先輩は小説をパタンと閉じて紺色のバッグの中にいれたかと思うと、ぼくの方へと深くもたれかかってきた。ほっぺたがくっついたところから、先輩の息吹が伝わってくる。


「ちょっと!」

「んー?」

「たくさんのひとが乗ってるんですから!」

「見せつけてんの。よーくんに署名していいのは、わたしだけなんだって」


 バスが駅に着くころには、ぼくはもみまくったカイロのように発熱していた。冷静になることができるまで、しばらく待合室で顔をおさえていた。

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