第4話 過酷な日課


「ねえ! 一回でいいのよ! ちょっとでいいの!」


「ダメですって!!」



 お屋敷で働き始めて一ヶ月。

 仕事にも慣れてきたと言いたいところだけど、正直、全くそんなことはない。

 というか私の仕事、ほぼ無いに等しいのだ。

 洗濯は他の使用人さんたちがやってくれるし、料理は私なんかじゃ到底及ばない一流のコックさんがしてくれている。


 だから私はただお嬢様の傍にいるだけでいいと言われたけれど……今の私は、庭園の中で全力でお嬢様から逃げている。

 職務放棄じゃないかと言われるかもしれないけど、そんなことはない。

 なぜなら、私が傭兵時代に培った撤退術をフル活用して逃げても、一切の差をつけずネリーお嬢様が付いてきているからだ。


 私が生垣を突っ切っても、池の縁を飛び越えても、大木によじ登ろうとしても、執拗にお嬢様が付いてくる。

 狙いはもちろん私の剣。

 勤務一日目以降、お嬢様は毎日のように(というか毎日)私を追っては剣を触らせてほしいと懇願してきている。



「もう! お洋服が汚れますよ!」


「いいのよ! お母さまにいいって言われたもの!」


「そうですけど!」



 実のところ、そうなのだ。

 お嬢様があまりにもしつこいので、セブラさんに何とかしてほしいと頼み込んだところ、なんとあの人はネリーお嬢様に私の剣を狙うことを許可してしまったのだ。

 しかも、その過程でいくら泥まみれ汗まみれになってもいいというオマケをつけて。


 もちろん、セブラさんだってそんな私だけが損する決め事をしちゃったわけではない。

 というか、私だって口を挟んだし、セブラさんはそれに答えてくれた。

 それがこの、「普段は絶対に剣に触れようとしてはいけないが、昼食後から空に色が付き始めるまでの間に限り、ネリーお嬢様が私の剣を狙うことを許可する」

 といった内容の約束なのだ。


 ちなみに、剣を使えば怪我をするかもしれないと私が言ったら、セブラさんは「そうさせないのがあなたの仕事よ?」と笑いかけてきた。怖かった。



「怪我しないでくださいね!」


「このくらい軽いわ!」


「重い方がマシです!」



 正直、寝込みや朝方を狙われたり、水浴び中を狙われたりしない分、物凄くマシにはなっているし、屋敷前の庭園に移動しようと言えば了承してくれるおかげで、家財道具を傷つける心配もなくなったわけだけれど……

 その分、お嬢様は本気を出してくるようになってしまった。


 実はネリーお嬢様、本当にどこで身に付けたのか気になるくらいには、フィジカルモンスターなのだ。

 私もたいがいモンスターな自信はあるけど、経験ナシの肉体勝負だったらとっくに負けてしまっているかもしれない。



「ふふふっ! 甘いわよキュージ! 私はもう花壇に足を取られたりしないのよ!」


「本当に止めてくださいね! 怒られるの私ですからね!?」



 あと、困っていることはもう一つある。

 それは、こんなことをずっと続けているせいで私は、あからさまに使用人たちの間で浮いてしまっているのだ。

 専属の庭師のおじいちゃんには険しい目で見られるし、洗濯担当のメイドさんに汚れた服を持っていけば微笑ましい目で見られるし、水浴びの後にはぽっちゃりめのコックさんにねぎらいの軽食を振舞われる。

 最近では昼食は消化のいいものになってきたし、軽食には年頃の乙女には不適切な量のがっつり飯が振舞われるようになった。


 何より怖いのは、そんな食事に加えて朝食もディナーも食べているのに、全く太らないことだ。

 というか全身運動なせいで、傭兵団にいたときより筋肉がついてきてしまっている。

 イイ身体してるねとか言われて済むならいいんだけど、このペースだとそろそろお嫁に行けなくなる。

 女性的魅力の象徴がもうちょっとあったら大丈夫かもしれないけど、あいにく私には二枚の岩盤しかない。おなかも含めればそろそろ8枚になりそうだ。

 お嬢様は大丈夫なんだろうか。



「あっ! 時間ですよお嬢様!」



 そうこうしているうちに空に色が付いてきた。今日のノルマはここまでだ。



「くっ……もうちょっとだったのに……!」


「はは……」



 物凄く悔しそうなお嬢様に、思わず苦笑いしてしまう。

 本当に勘弁してほしい。

 もし万が一、組み疲れたときのために、相手を傷つけない脱出法を習熟するべきかもしれない。

 書斎にそういう本置いてたりしないかな……。



「まあいいわ。水浴びしてきていいわよ。その後、テラスで待ってて!」


「はいはい、わかりました……」



 一応の優しさなのか、お嬢様はいつも先に水浴びをさせてくれる。

 その後、テラスで軽食を食べながら待っていれば、お嬢様の方から合流してくれる。これもいつもの流れなのだが、考えてみれば妙だ。

 私が水浴びしている間、お嬢様はなにをしているんだろう?



「早く行きなさい!」


「わかりましたよー」



 詮索しようとしてもこの調子なのでうまくいかない。

 というか正直、私だって早く水浴びしたい。

 疲れて口調が雑になっても許してくれるし、悪い人ではないんだけど、これで剣をほっといてくれたらなぁ……

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