第12話 全ては愛から始まった。

 宣伝してしまったが、これも言いたいことではなかった。

 トマト農園を始めた祖父は、成功を確信していた。結果的には奇跡と言われるような収穫を上げている。私が生まれて成長するのと共に。祠が新しくなるのと共に。

 どこまで偶然でどこまで必然か。いや、そういう考え方をしてもしょうがない。私の祖父はどこまでわかっていて行動したのか。祖父は日記をつけるような人ではなかったようで、しかも、

「じいちゃん、なんでトマトやろうって思ったのかなあ。なんでうまくいくって思ったのかなあ」

こんなふうに尋ねても、おそらくもっとも近くで苦労したはずの両親ですら、

「何も言わん人だったからよくわからん」

と、当時の厭世的な、匙をぶん投げたような気分をそのまま再現させて言う。

 組合の人の話を聞いても、

「俺はさんざんやめろっつったんだけどよう、にやにやしてて、倅さんたちがかわいそうだべ、つっても、そうだね、なんつって取り合いやしねえ」

 私の中の祖父は、何かを一途に信じた半ば狂信的な頑固者と、これは言い過ぎだが、そんな姿だった。が、よく考えたら、苦労させられた苦労させられたと折々にいう両親が、祖父を嫌っているようには感じられない。話している調子からすると、苦労しつつ楽しみつつ、というような塩梅だったようにも覗える。

 少し着眼点を変えてみよう

「ばあちゃんは、ばあちゃんてどんなひとだったの」

いかに浮き世離れした人物だろうと相手がいなければ子供は生まれまい。ただ、祖母がどんなひとだったかを聞く機会はあまりなかった。

「まだ俺が若い自分に亡くなった」

「父ちゃん、苦労したんだね、寂しかったんだねえ。泣いてもいいよ」

「泣かんぞ。それに近所の女どもが手助けしてくれたから、だいぶ救われたな」

「あたしもそのうちのひとりでね。そのまま住み着いちゃった」

と、母が武勇を差し挟む。

「こりゃどうもごちそうさま」

月並みに切り返さざるを得ない。

「ばあちゃん亡くなった時、じいちゃんどうだった」

祖母は癌で、病院で亡くなったらしい。

「あまりかわらんかったなあ。まあ、ばあちゃんは病院だったし、見舞いに行くときは、いつもじいちゃんひとりだったから、そん時どうだったかはわからんがな」

だが、病院で病人相手に悲しむことができるだろうか。辛い顔を見せるものだろうか。おそらく父母に対して以上に、平然と振る舞っていたに違いない。時代も今と違う。大の大人の男が悲しいものを悲しいと言って通るか。

「ただなあ」

「うん」

「じいちゃんはばあちゃんを大切にしてた」

父は男らしく世代らしくそう表現する。

「ばあちゃんのこと大好きだったのよ。いつも一緒にいたもん」

母は現代を生きる女性らしく言い表す。

 大好きで大切な人を失ったじいちゃんは、トマトを作り始める。

 台所にあったトマトを掴む。

 真っ赤に熟したトマト。見ていてこれほど元気になる色味の野菜もなかなかない。私は元気に体中を駆け巡る血流を連想する。

「そういえば、トマトが健康に良いって、やたらとテレビなんかで取り上げられてた時期があったなあ。いまとなっちゃ当たり前だがな」

「リコピンなんて言葉、そんなに聞いたことなかったわね」

いくらよいものを作ったところで需要がなければ、当たり前だが売れない。農家の経営は収穫云々はもちろん大切だが、お金にならなければやっていけない。うちのトマトが売れたのは、時流に乗ったということになるのだろう。

 祖父は、世間より早くトマトの効能について知り得たかも知れない。病院ではそんな情報を得やすいだろう。真っ赤に実ったトマトに魅了された祖父は、自分で育てることを決意する。そのトマトを、祖母に食べさせることはできたのだろうか。

 私の妄想に過ぎないが。妄想を続けよう。 

 祖母を助けられなかった祖父は、祖母の遺言である「あなたのトマトでみんなを健康にしてね」という言葉でトマト作りに傾倒し始める。が、あまり上手く行かなかった。

「上手く行かなかったじいちゃんは、この世ならざるものの力を借りることにした。新しく建てた祠を窓口にして、彼方の勢力と通じてその力を使い、トマトづくりを成功させた。どう」

妄想をこよみに披露する。こよみは私の膝の上で、あおたまをおもちゃにしている。いや、なにがしかの情報操作を行っているのかも知れない。

『些か牽強付会という感じがせぬでもないのう』

「彼方の力を使うためには、どこかに境界を開く扉を設置する必要があった。それには彼方と此方の同意が必要で、じいちゃんは先祖代々の土地と信仰を彼方に引き渡した。祠を作り替えたのは、きっとそれを示すためでもあったんだ」

『委細はともかく、当たっている部分はある、とだけ言っておこうかのう。妄想の力というのも侮れんな』

祖父は、それだけで取引が済むと思っていたんだろうと思う。彼方に騙されたのかも知れないし、もしかしたら私とよみとこよみのことでなにかが変わってしまった可能性もある。祖父にとってはトマト栽培が順調に行くことだけが全てだったから、祠を開くことで起こり始めた変化には満足していたのではないか。

『全部お前の爺さんのせいにしてしまったな。爺さんもさほど長生きとは言えまい。自分の命と引換えにとかなんとかでもよいのではないか』

「それだけだと私とよみとこよみが繋がらない。あれこれ考えるのは面倒だからみんな纏めてしまいたい」

『どういう都合で関係者無関係者各方面が動いていると思うておるんじゃ。んま、同じところで連続する事象は、繋がりがあると考えるのが自然じゃな』

「全部じいちゃんの都合だよ」こよみが本当のことを教えてくれるとは限らない。そもそも私が本当のことを知る必要があるのか。世間のことなんか何も分からないが、とりあえず生きている。何もわからなくったって、でも、愛しているものは守りたいのだ。私が祖父についてわかったことはそれだけだし、それだけが本当のことであると思えれば、それでいいような気がするのだ。「一度、愛しているひとをなくしたんだもの」

『妄想が奔りすぎてはおらんかのう。愛なんて、わからんもんじゃろう』

こよみの指摘は根幹を突いている。作り話に過ぎないし、愛なんて、怒りや悲しみよりもわからない。でも、こよみの口調はとても柔らかなものだった。

「じいちゃんに、他に愛しているものがあったら、そっちは絶対に守ろうとするはずなんだ。元気で、健康でいてほしいと思ったら自分にできることは目一杯やる。じいちゃんは、愛するもののためにトマトを作ろうと決めたんだ」

『その愛するものというのが、お前ということじゃな』

「溺愛だったんだってさ、私を」

こよみは怪訝な視線を向ける。どこか鋭い。

『愛するもの、愛されるもの。どちらがどうというのも、野暮かのう』

「なにそれ」

『呆れるほどの、まあ、よいか』

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