第9話 再会の再会。

 問題を抱えた娘のいるご家庭にも時折は来客がある。

 今日は、組合に就職した地域担当の新人さんに、近隣でも評価の高いトマト専門農家を見学してもらおうという趣旨らしい。輝くばかりに赤く実ったトマトを見るのは好きだし、たくさん収穫できれば嬉しいものだが、それ以外のところは親任せである。せめてどの程度のお金になっているかくらいは気にしたほうが良いのだろうが。

 従って来客への対応は、両親の楽しみでもあったからお任せする。私が苦手だからでもあるのだが。だが時折は、作業している私に声をかけるひともいる。

「あ、こんにちわ」

掛けられた声に応じようと振り返った私は、熱く熱く凍りついた。

 あの、あの少女だ。妄想ではない。

 現存在が主張する実存は強靭であった。私の中の甘美ではあるが脆弱なまぼろしを打ち砕いてそこに今あることを強烈に実証する。実証、いや、単純に力でねじ伏せられるといった感覚に近い。

 いけない。返答に時間がかかれば、おかしな雰囲気になる。変な人と思われるのは、いやだ。変な人であることを自覚していてもだ。

「こ、こ、こ、こんちわ」

組合から視察に来るという話は聞いていた。私も両親も普段より多少はこざっぱりした服装にして、洒落た茶菓なども支度していた。新しい人間が珍しい、停滞した集落では、人を迎えるのは楽しいイベントでもあるのだ。

 だが何故あの少女が、組合の人たちがつける名札をつけて、笑顔でそこに立っているのか。

 とりあえず返事をした私がどんな顔をしていたのか、今となっては不安で仕方がない。間抜けな顔になっていたに違いないのだ、笑顔を取り繕う暇さえ無かったのだから。

 見惚れている私に、女神様は動じることもなく話し始める。

「お久しぶりですね。もう、十四年くらい経ちますねえ」

そうだ。それくらい時間が経っているのだ。相手から見た私がどうなっているかはともかく、私から見た相手は当然ながらおおきな変化をしている。七、八歳からの十四年と成人してからのそれとでは変化の振り幅が違いすぎる。接触している期間もそれこそまぼろしのように短かった。なのに何故私はすぐに彼女だとわかったのだろうか。

「覚えていらっしゃいますか、私のこと」

「は、はい、もちろん」

「え、もちろんですか」

小さなガラス玉が打ち合うような声で、あの美少女は笑う。いや、いやいや。

「あ、あなたが私のことを覚えているのがい、意外です」

そんなに長い時間遊んでいたわけではないし、そもそも名前すら知らないし。

「そうですか。そうかも知れませんね。でも」

ああ、私はこの美少女に…殺される。

「わたしは覚えていましたよ、ずっと」

だって、ただでさえ破裂しそうな心臓に、ほらこうやって、覚えていましたよって、とどめの一撃を加えようというのだから。

「お茶煎れましたよ、休んでってください」

と、母の声。

「ありがとうございます、頂きます」

美少女が答え、縁側に向かった。私はまるで気弱な子犬のようにその後を追う。

「ああそういえば」

「はい」

「また明日、が十四年になってしまって、申し訳ありません」

流れる髪の毛の中に笑顔と声。長い長い時間をかけて再開された場面は、私を呪いから開放するはずだった。私はそう期待していた。付き合いが始まるのか、恋愛として成就するかどうかなんてどうでもよかった。凍結させられた水は解凍させられれば各種の力学に左右されつつ、水としてあるべくように好き勝手な方向に流れていくものだろう。人間なんか半分以上水というのだから、そのほうが自然と言えるではないか。半分以上氷、ではないのだから。

「いえ」

やっと答えた。これで呪いから開放、あとは流れのままに。

「私の名前は藤枝よみ、と申します。名乗りが遅くなってごめんなさい」

よみ。聞いたことのある響きではないか。気のせいかな。

 そんなわけあるか。

 どろどろぬぬぬぬとしたものが心中を渦巻いているが、何も知らないよみはスマホを取り出している。

「えーと、みのりさん、差し支えなければ連絡先を」

私にとってスマホは、両親との連絡と、興味のあるウェブサイトを利用するためのものである。従って、

「あ、ほら、私はどこからも連絡とか来ないもんだから。そういうの部屋に置きっぱなしで。ちょっと待てください今とてきまふ」

よみは笑う。そして、泣きそうにも見える。

「お願いします。わからなくなるの、もう嫌なので」

よみの顔が、苦しげに、切なげに歪む。

 そうか。十四年間苦しみ続けたのは私だけじゃなかったんだ。 

 両親が見ている筈だった。だけど私は構わずよみを抱きしめた。

「私はみのり。よろしくね、よみ」

「みのりさん、よろしくお願いいたします」

トマトのおかげかな。じいちゃんありがと。

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