第7話 愛欲に沈む。

「あの祠だね」

『そうじゃ。私がここに来てしまったこと、お前たちとのやり取りが生じてしまったこと、彼方での戦いが此方でも発生してしまったこと、我が勢力にお前が加担する結果になってしまっていること。それから』

「まだあるの」

『あるのじゃが、これはまだ早いようじゃな。内緒じゃ』

「内緒ね」

不穏だが致し方ない。事情ってものはあるだろう。いや、私は卓の上のちいさなこよみを弄り回すのに夢中になっていて、例えば指先にぶら下げてみたり、ハンドタオルをもう一枚取り出して布団にして寝かせてみたりしていたので、問いただす余裕がなかったとも言える。

『何を遊んでおるのじゃ。では此方におけるお前の役割について、私がお前に望むことについて、言っておこう』

「わかった」

『と言っても私にも不明瞭なところがあるのじゃが、という前提じゃ。まずわかっておろうが奴らは私を狙ってやってくる』

「むー、絶対許さない」

『彼方がこっちに来るのは諸々の条件があるようじゃが、こちらでそれなりに迎撃の準備が整ってから通じるので、まあ慌てることはないとは言える。が、必ず来るようだし、決壊せぬとも限らぬし、早めにどうにかしたほうが良かろうな』

宿題は早めに片付けなさいということか。

『来るタイミングは私が知らせるが、おそらく、関係がある人物にはわかるのじゃなかろうか。お前、予感みたいなものはなかったか』

「あったかも知れないけど、びっくりして何も覚えてないなあ」

『粗忽じゃのう。でじゃ、戦い方じゃがなあ』

「武器かなにかないの」

『ない。というか戦ってはならん。今日はお前、何故あのように行動したのじゃ』

「何故って、あのときはあれしかできなかったから」

『上出来じゃ』

褒めてもらったのであちこちこそばゆい。

「えへへ」

『無力なものは逃げの一手じゃ』

「えへへ」

『褒めとらんじゃろうが。まずお前が戦ってどのような禍根が残るものか、どちらにどれだけ影響が出るものかわからないというところがあってのう。まあ、根本的に戦う手段もなさそうじゃが。更に肝要なところじゃが、彼方此方の境界が開かれるのは極めて短時間じゃ。その短い時間に、もっとも効果的な一撃を叩き込んでくるはずじゃから。その一撃を躱して退く。境界が閉じる直前に躱して、もう一撃が来る前に境界が閉じてしまえばいいのじゃ。閉じてしまえば奴らも手は出せぬ』

「でも、どれくらいで閉じるかなんて、わかるの」

『五秒から十秒の間じゃな』

「あ、意外とはっきりしてるんだ」

『はっきりしておるが、お前たちはあれじゃろ、同じ時間でも待ってる時間は長く感じるし、心地よい時間は短く感じる、極めていい加減な、間の抜けた、怠惰な認識しかできんのじゃろ』

「はあ、すいません」

まあ、私だけが叱られているのではないのだし。こよみに叱られるのならごめんなさいと反省するのは苦ではない。

『ともあれ、現実的には、一度二度の攻撃を避けることができれば負けはないわけじゃ』

「じゃあ、私が対応するから、こよみは後ろにいる感じかな」

『いや、奴らは私を狙ってくるのじゃから、私が正面に立つ。どこから攻撃されるかわからんより絞りやすいじゃろう』

「そんな危ないこと、駄目だよ」

『相手がお前に興味がなかったら意味がなかろう。お前を避けて私を討つだけじゃろうが』

「まあ、そりゃそうだけど」

戦略としてはそうなるんだろうけど、釣りの餌にこよみを使うような真似を、大好きな天使をそんな目に合わせるわけにはいかないじゃないか。

『心配、というやつか、ええ』こよみは立ち上がって、私に接近する。私の方を向いて、膝の上に座る。私の目を見つめ、細い両腕を私の首に回してくる。『優しいのう』

これ以上の幸福があるか。心臓は感情に忠実に回転数を上げる。これを失うなんて考えられない。私もこよみの細い腰に回す。力を入れすぎてはいけない。壊れてしまう。でも、力を入れて確かめたい。強く強く抱きしめて、ひとつになってしまいたい。

『考え方ひとつじゃ。お前はもう、私抜きでは生きていけまい』

こよみは私の頭をどこまでも優しく撫でる。しかし言葉には、冷厳な響きがある。

「うん」

『ならばお前は、私と一緒に死ねばよいのじゃ。お前がしくじって討たれたのであれば満足じゃ。そうなったらお前も彼方の奴らに殺してもらえ。それでゲームは終わる。それはそれで恋が成就したとも言えるじゃろ』

そんな状況を恨むか。いや、こうならなければこよみには出会えなかった。こんな幸せな時間なんて今までなかったし、これからもないのだ。

「そうだね。簡単なことだ」

『そうじゃろう、そうじゃろう』

こよみの唇が言葉を奏でながら、私の耳元から首筋へと流れていく。彼方からやってきたこよみは、とても。

 とても悪い子であった。

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