第5話 お招き。
私は地球を蹴飛ばして彼方と此方の狭間に飛び込んだ。鬼どもの腕そして指先はうなりを上げて迫る。禍々しい指先が触れるかという間合いで美少女を抱きしめ、両腕と頭で覆い隠し、踏み込んだ左足の膝を深く沈めて鬼の切迫をかわし、蓄積した全身のばねで飛び退る。鬼どもとの距離はまたたく間に、元通りに伸びる。
『呆れるほどの速さじゃな』
女神のつぶやき。展開されていた彼方の空間はするすると縮み始め、寸前の勝利を奪われ怒りに満ちて振り回される鬼の腕を無慈悲に飲み込んで閉じる。
『無駄に無意味に停止する存在から発動する力が、とんでもない速さというのも、おかしなものじゃのう』
美少女は無邪気に笑う。
私の鼓膜はその声に酔い、眼球は笑顔に釘付けになった。それはそれはぶっとい釘で打ち付けられたのだが、そこからは涙が溢れ出た。
やっと、やっと会えた。いや、違うけど。無事でよかった。無事で今まで生きててくれてよかった。いや、違う、違わないのか。会いたかった。本当に会いたかったんだよ。違うけど、違うけど。私は跪いて、美少女の体に腕を回し胸に額を当てて泣き続けた。頭を撫でられる感覚。
『辛かったんじゃのう。よしよし』
号泣しながら、慰められながら私は邪な考えを抱いていた。ようするにあの美少女は、この美少女ではないのだ。でも、同じ形をしていて、同じ声をしている。ボールも同じものを持っていたではないか。形が変化したりしていたようだが。
些細な変化の果てに、十四年も経ったのだから多少の変化があってもいいではないか。スライムっぽいものに変わってしまうというようなことがあってはいけないということはない。ないない。あれは、いや彼女はあの美少女なのだ。本人が否定しないんだもの、いいじゃんか。本人に見つからなけりゃあいいじゃんか。
「名前は、あるの」
『私は一族の始祖にして全てじゃ。名を付けるものなどおらぬ』
「じゃあ、私が付けてもいいかな」
『私は偉いから名前などいらぬと言うたのじゃがわからんのかなこの世間知らずは』
「こよみ。こよみ様。こよみちゃん」
『ふうむ』こよみは手を止め、私の頭をくいと引き、顔を向けさせる。『お前、その名前はどこから持ってきた』
「いや、いまなんとなく浮かんだだけ」
『そうかのう、なんだかいやに響くのう』
「どうしたの」
『いや。さて、帰るとするか』
「そんなのいやだ、だめだよ、帰っちゃだめ」
私は抱きしめている腕に更に力を込めた。人間の子供だったら苦しかったのではないかと思うほど。こよみは動じないが。
『また来るから。て、お前なあ。私が子供の姿をしておるからと言って、お前まで子供になることはなかろうに』
彼方へ、と、彼方がどこだかさっぱりわからないが、どこかに行った先であの化け物と遭遇しないとも限らない。そうなったときに、私がその場にいられるのか、危機に間に合うことができるのか。
「また会えなくなるなんて」辛すぎるではないか、そんなの。「辛すぎるよ、やっと会えたのに」
『あのなあお前、そもそも』
違うものだと言いかけてやめたのは、他種族なりの優しさか、無為な循環を嫌ったか。
『ふうむ。わかった。こちらにいるとしよう。お前、繋ぎを頼むぞ』
あたりをふわふわと漂っていたボールが返事をするようにくいくいと浮き沈みし、祠に近付いていく。私が見ている見慣れた景色は、見慣れぬ有り様でぐずぐずと輪郭を失い、どう表現していいのかわからないがボールを迎え入れるようにゆったりと波を打つ。吸い込まれたボールが輪郭を失うと、見慣れた景色の輪郭が復活する。
私はこよみを抱き上げた。お姫様抱っこ。とりあえず部屋に招待することにしたのだ。誰に言い訳をする必要もないのだが、あくまで旧知の友人を部屋に招いただけであるから特別なことは何もない何もない。うん。
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