第4話 儀式。
ボールを両手で持ち直し、私に向かってチェストパスの要領で投げてよこす。受け止めた私の腕の中で、青いボールがみるみると姿を変える。ボールの大きさの美少女の姿へと。
「ひやあああああっ」
驚愕した私は取り落としそうになったが、どんな姿であれ大きさであれ、あの美少女を私が落とすわけはなかった。むしろ、
『これ、懐に入れて持ち帰ろうとするでない。それは私の仲間じゃぞ。みやげ物ではないのじゃ』
「ああいや、そういうつもりでは」
『余裕があるのやらないのやら。よくわからんやつじゃのう』
懐から取り出すとボールに戻り、美少女のところにふわふわと引き寄せられていく。
『お前、粘菌というものを知ってるか』
「なんとなくは」
なんとなく、スライムのような菌類で、何かのはずみで樹木のようになるとか、南方熊楠とか、という程度である。
『それのもっと原初形態と思えばいい。いや、お前たちからすれば進化したと考えたほうがわかりやすいかのう』
なにひとつわかりやすくなっていないのだが、わかりやすい説明を心がけてくれた、ということらしい。
『ここからが肝要じゃ。我々はな、お前たちの作り上げた社会というものを滅ぼしてやろうと計画を練っていたのだ。なに、放置しておいたってお前たちなんぞいずれ滅びるのじゃ。決まった形を持ったものはそれはそれは強い力を持つが、結局はその形を持ったその事自体によって自壊するのじゃ』
明瞭な言葉が続くが、行く先不明の小舟に乗せられているような気分は変わらない。
なんとなくだが、周辺の空気が変わり始めているような気がする。どう表現したらいいものか。音が遮断されたか、地軸がズレたか。
青いボールは主人を称える従者の如く、彼女の周囲を軽やかに跳ねる。美少女は胸を張り、淀みなく続ける。
『だが我々は、お前たちが崩壊する瞬間を少しばかり早めてのう、お前たちがあがき苦しみ泣き叫び形なきものに許しを請い、形を持ったことに対する恨みつらみを吐き散らかしながら抗うすべもなく予定通り崩壊していくさまを堪能してやろうと思い立ったのじゃ』
穏やかではない言葉だが、彼女の姿はどこまでも気高く、品位があり、高貴であった。いや、高貴などと言える存在がどんなものなのかはよくわからないのだが、きっとこのときの美少女のような状態を言うのだとは思った。
が、彼女の、空気を弾ませるかのような声とは対照的な、重く淀んだものを含んだ音が近付いてもいた。
『油断をしておったのじゃなあ。周囲の者どもの意見も聞かず、私はお前たちの世界をこの目で見てやろうと思い立ったのじゃ。何故って、滅びの時が訪れるのも知らずのんきに友好したり争ったりしている面を眺めるのは、この上なく愉快じゃろうからのう』
どこか別のところからやってきた、ということか。出入り口はその祠かな。ただ、祠自体は私が生まれた頃に建て替えられているらしいからそんなに古いものではない。五穀豊穣を願ったものだと勝手に決めつけていたのだが、もしかしたらこんなおかしな出来事が過去にもあって、それを鎮めるために建立された可能性もある。ただまあ、鎮まりきらずにおかしなことが再発してしまったのだとしたら、寄る年月に抗えず効果が低下してしまったか、祠を更新したから効果がなくなってしまったか、我々現代人の信心が不足していたか。
でも私にとっては。私にとっては必ずしも災厄ではないのだ。
『そこでお前の呪いじゃ。えげつない力じゃのう。空き瓶の中に閉じ込められる水のように、お前が妄想したこの小娘の形にすっぽり収まってしもうたのじゃ。まったく、なんちゅうことをしてくれたのじゃ』
申し訳ありませぬ、誠に申し訳ありませぬ、と平伏したいところであったが、また別の脅威の気配があって、警戒は解けない。
『それだけならまあまだしもだったのじゃがのう。形なきものの王である私の形が固定してしまうと、先から不穏な動きをしておった面倒な奴らが騒ぎ始めおった。我々の敵になる奴らなんじゃが。ほれそこに』
鬼がいた。美少女の背後に赤鬼と青鬼。恐ろしい形相。太い腕に備えられた巨大な掌が、あの美少女に掴みかかる。
『従って、奴らに私が捕まればすべて終いになる。お前たちの勝ちじゃな。さて』
微笑みが私に向けられる。助けを求めるでもなく、諦めを告げるでもない、ただひたすら尊いとうとい微笑が。
十四年間私を縛り続けた笑顔が、新たな呪いをかける。
『どのようにもてなしてくれるのかのう』
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