第3話 再会ではない再会。

 納屋の隣りにある小さな祠にお供えする水と塩とお米は、ときどき忘れてしまうのだが、ほぼ毎日きちんと取り替えている。もちろん、忘れてはいけない。

 人々の暮らしは神様のもとにあった。

 農業を生業とする人々には、それは更に色濃く作用していたはずだ。長く続いた宗教というものは経験の蓄積でもあって、それはそのまま学問として機能する。宗教によって採用される規律や戒律は、その宗教が成立した地域の気候区分によって決定される場合が多い。農業は当然、気候によって大きく変わる。そのように考えれば、宗教は科学についても人々に多く語る部分があったのだ。

 でも今は、科学のほうが有効であるという時代になった。個人的には、科学という形式のほうが、変化に柔軟に対応できる場合が多かったのではないかと思う。

 たそがれどき、という時間か。私はいつもどおりあのときのあの景色を、美少女との奇跡的な出会いの場面を、何度も再生されたその映像を楽しんでいた。別の言い方をすれば、呪われ虜にされ拘束されてしまっているという事になるのだが。

 これが数年前であったなら、家人は心配して私に声を掛けたりしていただろう。自分自身がどんな表情になっているか、どの程度の時間硬直しているのか、おかしなことを呟いたりしていないか、全く責任は取れない有り様である。本人が責任を取れないなら、身内なら立場上だいじょぶなのだいじょぶなの、と聞かねばなるまい。もっと厄介な事にならないようにするためにも。

 両親に声をかけられて、意識が戻る、意識が戻るという言い方はしっくりこないのだが、ともかく妄想を中断して現実の状況に対応できるようになる場合もあれば、そのまましばらくの間一切応答しない、という場合もある。私自身が選択しているつもりはないのだが、気が向かないときは心配の声を無視しているのかも知れない。

 近頃は家の人に声をかけられることもめっきり少なくなった。慣れたとか、飽きたとか、危険ではなさそうだからとか理由はあるのだろうが、一番には、家庭内の出来事であって世間様に迷惑をかけるわけではないから、であろう。十四年という時は、私にはそのようにも機能したわけだ。

 だから私は、だからと他人のせいにしてはいけないのかも知れないが、思う存分、妄想に、あの光景に、あの場面を再現することに浸りきっていた。薬物中毒患者を放置するようなものではないかと私も思うが、これ以上家人に負担をかけるのはよろしくない。私はなんの努力もしていないが、親が感じている負担がいくらかでも軽減されたのなら、不幸中の幸いと言ってもいいのではないだろうか。

 ともあれその日も、自分のものでありながら全く責任取れない表情で、妄想に耽り、つまりラリっていた。快楽に浸っていた。

『動かんのう』

背後からの声。この声は。そしてその声によって、浸っていた画像が掻き消される。外的な要因で現実に引き戻されるなど、最近はあまりなかった。浸りきっていたから。

『動けるわけもないか。厄介な呪縛じゃのう』

妄想する快楽から覚醒したくはなかった。客観的にはそれを動けない、動いていないと言えるだろう。それでも私はそろりそろりと体を持ち上げて、声のする祠の方に向いた。

 声にはそれだけの力があった。

 そこにあの美少女がいた。私に甘美な呪いをかけたあの可憐な少女が。

 あのときのままの出で立ちで。

 あのときと同じようにボールを持ったまま。

『ほう、それなりに律している部分もあるのじゃな。なかなかの精神力と体力じゃ。それにしても』と、美少女は自分の姿を見改めるように視線を配る。『この私をここまで記憶に忠実に再構築するとはのう』

「あ、あ、あ、なんで」混乱の最中精一杯の問いかけ。「ここにあなたが」

『あ~、面倒なことになる前に説明してしまうがな』美少女は私に視線を向けたまま、私を釘付けにするような目で見つめたまま、ボールを地面に突きつつ、話す。『私はお前が恋い焦がれておる娘ではない。年月が経過しておるのに姿に変化がないのはおかしいと、気がついてはいるようじゃが、まあそういうことじゃ』

「ああでもでも、でもでも」

『そうじゃな。じゃあ私は何なんじゃ、ということになるんじゃろうなあ。お前たちというのは全く、見たものを見たように対処するということが相変わらず苦手のようじゃな』

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