第2話 その後の十四年。
クラスメートの何気ない仕草が、あのときの美少女の姿と重なって、頭の中で再生される。現実の時の流れを無視して起こる脳の中の現象は、現実の私の生活を著しく妨害した。いや、妨害自体は大したことではなかったのかも知れない。厄介だったのは、何より私が、その妨害に甘美なものを感じていたからだ。似ても似つかない同級生の顔があの美少女の微笑みに変わる。私はいつしかその現象を心待ちにするようになった。だって、こんな幸福な時間は、今までなかったのだから。これほどの快楽は他になかったのだから。
だがそれは、現実ではない。
更に面倒なことに、頭の中だけの出来事でもない。
現実と響き合っているがゆえ、現実の私の周囲が警戒を始める。当たり前だ、普通に会話していた相手が、急に夢見心地な目になり薄笑いを始め一切のコミュニケーションを短い時間とは言え受け付けなくなったら、私だって気味が悪いと思うだろう。挙げ句には両親も、病院に行ってみてはどうか、と言い始めたのだから相当だったのだろう。正直なところ、楽になるなら病院に行ってみてもよい、という気持ちになった程度には、現実と折り合いの悪い現象だった。行かなかったのは、美少女と離れるような結末になるのを恐れたから。結局は彼女への思いのほうが、現実よりも強かったのだ。
どうにか高校を卒業した私は、親と一緒に農業、トマトのハウス栽培をやることにした。告白すれば、私は農業をやりたかったわけではない。高校だって普通科だったし。親と同じ生活をするというのは、少なくとも私達の世代にとって魅力のあるものではなかった。閉塞した環境から開放されたいという気分もあるだろう。隣の芝は素晴らしいものに見えがちだ。だが、どんなによい芝であろうと他人の庭で好き勝手に妄想に耽っているわけには行かないのだ。
お父さん、お母さん。私はよその土地でこのまま就職しても結局は辛いだけだと思う。お医者さんに行ってもいいけど、医者に掛かんなきゃなんない人は雇いにくいよ、きっと。たくさんの知らない人と関わらなくちゃならないのは辛いから、私はここでトマト作る。それが一番辛くない気がする。それしかないような気がするんだよ。
と、言うようなことを一生懸命喋ったような気がする。
畑仕事やる、ったって、現実的には親の手伝いで関わってきた作業ではあるから、要するに今まで通りということを宣言したに過ぎない。誰もが変化を求める時機に、求められる環境にあって、私はここで変わらないことを選んだ。自分の妄想に思う存分縛られる環境を、自分で選んでしまった。
時間が経てば、どんなことだって人々の記憶からは薄れていく。時が解決してくれるというのはそういうことだろうと、私は思っていた。でも、その天使の、いや女神の映像は、年を追うごとに輪郭を主張するようになった。私の心は、記憶によって拘束されてしまった。いや、そういう言い方は素直ではない。より正確に言おうとすれば、甘々な、べたついたロマンチックな言葉を使わざるを得ない。そんな言葉を使わざるを得ない状態であることを自覚するのに、数年かかってしまっていたのだ。
私は、私は、恋に堕ちた。
堕ちたまま、過ごしてしまっていたのだ。
それが幸であったか不幸であったか。簡単には判断がつかないが、穏便であるとは言えた。こんなにも好きなひとが現実にいたら、私はどうなっていただろうか。
庭先を通り越して外に向けた視線の先には、うちの敷地の、十四年間ずうっと変わらない景色と、区画整理やら道路整備やらで変わった世界が混在する。
見ているもの、対象ばかりではない。見ている私の中にも外にも、変わった部分と変わらない部分がある。変わった部分というのは、自分ではわかりにくい。背が伸びたなあ、というのは久しぶりに会う人が言うものであって、身近な人や自分では変化というのはわかりにくいものだ。
ただ、わかりにくいと言っても、あれから確実に十四年、経過しているのだ。
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