よみのりこよみのり
須永 葉
第1話 ひとめぼれで開幕。
セーラー服の少女はスカートを翻しながら宙に浮かんでいる。その瞳は彼女が持っている力と、それに裏付けされた自信を漲らせてこうこうと光を放つ。
私達は彼我の力量を、皮膚の感覚から思い知らされ圧倒され、萎縮していた。
【いいカ。貴様らがいくら盾突こうト。策を巡らそうト。俺には一切効果はなイ。無駄な足掻きは更なる苦しみを呼ぶと心得ヨ】
恫喝されているのだ。でも私は、敵であるセーラー服の少女の目に、魅了されていた。なんと怖いもの知らずな、生命力に満ちた目。少女であっても、俺、という一人称がふさわしい威勢。
私があんな目を持っていたら。きっと愛するもの全て守れるのに。
【力無きが故に厚顔無恥なる者達ヨ。俺の前に跪ケ。俺に許しを請イ。俺の持つ鎌の元に忠誠を誓イ。全てを捧げヨ】
彼女が持つのは、日常的によく見かける草刈り用の鎌によく似ている。だが太さは大人の手で掴んでも半分も届かないほどであり、長さはは彼女の背丈ほどもある。大きさを無視すれば牧歌的であるとも言えるが、放つ雰囲気は血の気が逆立つほど禍々しい。
「みのりさん、あれは」
よみが私の手を握りしめて言う。
『やはりこうなってしまったか』
こよみは笑っているが、やはり私の手を握っている。
「なんとかしなくちゃ」
私は言う。もちろん、どうすればいいのかはさっぱりわからない。
あのセーラー服の少女は、昔の私によく似ていた。いや、同じ姿だ。もちろん浮いたり巨大な鎌を持ったりはしていないが。
あの頃の私はひ弱で、無力で、引きこもりがちだった。何もかも違う私に、どう抗えばいいのだろうか。
山間の集落はあまり急がない時間の中にあった。
暮らす人々の顔に知らないものはない。見えなくなる顔はあったが、新しい顔が増えることはなかった。
なにもない。そのはずだった。
小春日和の縁側で、あれは十二歳くらいのことか。野良仕事の手伝いの合間、漬物をおやつにお茶を飲んでいると、庭先にラメの入った青いボールが転がり込んできた。いかにも子供が扱うような、内圧の低い、どれだけ強く投げても受ける側は痛みを感じないというたぐいのものだ。
ともあれ、おやボールだ、と認識して向けた視線の先に、みたことのない顔があった。
「あの、こんにちわぁ、すいませぇん」
すいとあらわれた見慣れぬ顔に光が集約し、蓄積され、攻撃力が最大になったところで私の心を撃ち抜いた。致死という文字が実感として思い浮かんだのは、その時はまだまだ始まったばかりの人生ではあったが、初めてである。どれくらいの時間が経過しつつあるのか、死に至ろうという人間には、クロノス的時間が機能しない。
だが、もちろんこの世に生きる、私と似た境遇以外の人間にとってははそうではない。美少女にとって長すぎる停滞は、美少女が行動することによって打ち破られる。
「あのあの、こんに」
「あああはいはいはい、こんこんこんこんにち」
「うふふっ」
しどろもどろぎごごげごごする私に、無邪気に微笑む天使。
「あの〜、ボールとってもいいですか」
「あ」
女神からボールまでの距離は二メートル。私からボールまでの距離は五メートル。ああボールねはいはいどうぞどうぞ、とだけ言えばすべての出来事の片が付く。
なのに私ときたら、光速と見まごうばかりの過剰さで座標を転移し、すでに手を伸ばしかけていた美少女の寸前でボールを取り上げた。異常な現象に対峙して整理のつかない美少女の神経は、警戒の色を強める。そんな表情の変化にすら魅了されてしまうのだが、警戒されては何もかも失うであろうという判断は可能であった。
「あ、はい、どうぞ」
笑顔笑顔。私基準では完璧なリカバリーであったはずだ。
「あ、ありがとうございます」
幼いのに、随分と落ち着いた、社交的な笑顔だった。
「…いえ」
ボールを手渡そうと腕を伸ばす。それを受け取ろうと天使も両手でボールを挟む。私と美少女がボールで繋がる。
ボールというものは普通、いろんな形式があるにせよ、人間同士が受け渡しを行うために生まれた、と言えるだろう。だからこの場合当然、渡される側である少女は自分の方にボールを引き寄せるという動作になる。
だがボールは移動しない。私が移動しないように引き止めているからだ。ボールを、だ。
「ど、どちらさま、ですか」
私も丁寧な言葉を心がけた。同じ格好、同じ振る舞い、同じ言葉を使えば、共感や安心を得やすいはずだ。私は自分の狡賢さに、当時は満足し、いまは呆れている。
「えと、藤野さんのおうちにお邪魔してます」
小さな彼女の小さな口が動く。一音たりとも聞き漏らすまいとすべての感覚を向けた。名前名前名前。
ところがそこに異音が転がり込んできた。反射的に私達の意識がそっちに行ってしまう。
中年の男性が何やら声を張り上げている。その方に体を向けた天使は、中年の男性に、右手を上げて所在を示した。藤野さん、集落の中では藤やんと呼ばれている家の関係者か。
小さい集落では、そもそもが皆身内みたいなものだが、イベントごとは共有するものという意識が強い。近頃ではそうそう集まらなくなったが、こういう会合があってこういう人達が集まる、という情報は、興味がない立場にあっても何となく伝わってくる。藤やんとこでなんかお祝いがあるらしい、程度には。
美少女はもう一度こちらに向いて、
「わたしは」
おそらく名乗ろうとしたのだろう。しかし中年男性は容赦なく妨害をする。
「あーみのりちゃんだったかねえ、お世話になったかねえ」
「いーいーえ」
と、私は多少苛々しながら答えた、かも知れない。みのりというのは私の名前だ。
「そろそろ行くよう」
太い声は無神経に、無慈悲に用件を巻き散らかす。
「はーい」
快活な、弾けるような声。美少女の声。
美少女は会釈をして、私に背中を見せて、軽やかにスカートを翻して、行ってしまう。
「あ、あの、また明日」
私はそれだけ言った。
「はいっ、また明日」
半身に振り返って流れる髪の中に、私を刺し貫く笑顔と声。
貫かれ破壊されて、それで通り過ぎていくものであったなら。私は幾度もそう思った。
その光景は貼り付いたまま剥がれない。次に展開されるべき「また明日」が無かったから。
従ってこのお話は、私が呪いにかかったところから始まるのだった。美少女に縛られた私の人生は、中学二年生にして頽廃的になってしまった。
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