第3話

「エイフィ……」ルイが小声で言った。


 ルイは、ティアの目が再び赤くなったのを見て、胸が痛みで満たされた。涙はすでに枯れ、乾いた目を潤すことはできなかった。乾燥した喉は痛みで裂けているようだった。

 ティアに会う前のルイは、まるで生命の気配がない砂漠のようだった。そこでは何も頼れなかった。


「父さんも、もういないみたいだね。」自分は嘘つくと思ってるルイが言った。


 ティアは一瞬止まり、震える声で答えた。彼女は答えを探る彼の目を見つめた。

「ごめんね、私も受け入れてたくないんだ……でも……そう思うわ。」


 他人の言葉だが、淡々とした事実がルイの耳を過ぎた。彼は自分が悲しみ、大泣きすると思っていたが、意外にも孤独と喪失感だけだった。

 彼は記憶の中で父親を探そうとしたが、断片的な記憶しかなかった。最も鮮明なのは、去る前の彼の言葉だった。


(周囲の環境を感じ、その中に隠れている彼らを弄ぶ。)


 不快感がルイの呼吸を塞ぎ、彼は大きく息を吸いたかった。冷たく乾いた空気が肺を直撃し、咳き込むことで体が崩れそうになった。

 今、ルイの口の中にはわずかな血の味が混ざっていた。


「お水を持ってくるね。」

 ティアが言った。彼女はルイの肩に手を置き、部屋のドアを開けて、後ろに消えた。


 ルイは一人で広々としたベッドに座っていた。彼は両膝を抱え、顔を膝に埋めていた。

 心臓が全身に血液を送り出すたびに、巨大な音が彼の体を揺さぶった。


(どうしてここにいないんだ!)


 不安定な心は落ち着かず、崩壊の原因が肉体的なものか、精神的なものかさえわからない。彼は胸元の布を掴み、初めて自分が見知らぬ服を着ていることに気づいた。眉をひそめた後、すぐに布を放した。


(父さん……どうして?)


 彼は指先をこすり合わせた。


(一体何をしているんだ?なぜ貴族の名前を取り戻すことを諦めたのか。)

(なぜ家に帰らないのか。)

(エイフィは毎日お前を心配して、体調を崩していった。彼女は私たちを置いて去った、そしてあなたも帰ってこなかった……)


 ルイの顔には怒りが浮かんでいた。彼の記憶には、父はただの軍人だった。血魔法について聞いたのも、父が去った後のことだ。しかし今、父は魔法士だったのだ。


(エイフィはかつての貴族だった……の……か。)


 彼は関節が緊張する痛みを無視した。

 エイフィが去るまで、父が帰ってくることを期待していた。それが叶わぬ願いだとわかっていても、どうしても諦められなかった。家に帰ってこない父を待ち続け、ついには戦死したと知らされた。

 ルイは低い声を出した。自分が感じた親愛は、エイフィから受けたものだと思った。


(父さん……)


 ルイが世の中のことを理解し始めた時、エイフィの顔がいつも最初に思い浮かぶ。一方で、その人の影に手を伸ばそうとすると、たちまち消えてしまう。家の近くの森や苔の匂いも鮮明に覚えている。

 ルイは父を恨むことができなかった。それは彼が自分の父親だからだろうか、と思った。しかし考えた後も、彼は父を懐かしく思っていた。


 静寂の空間が耳鳴りを引き起こし、その中でドアの向こうから衝突の音が聞こえてきた。


「——事に至っては、ここで生活することになるだろう。」

「エイフィもそう望んでいると思うよ。」

 ドアを開けて入ってきたティアが言った。彼女はベッドの横に来て、ルイに一杯の水を差し出した。


 ルイはティアに礼を言い、カップに目をやった。中にはハーブが浮かんでいた。濃厚な花の香りが鼻をくすぐった。数口飲むと、体がずっと楽になった。本で読んだことがあるが、これは体から毒素を排出するのに役立つハーブティーのようだった。同時に、喉の違和感も和らいでいた。


 ルイの頭上に暖かさが訪れ、複雑な感情に包まれながら頭を少し上げた。

 目の前の女性は、美しい金髪と深い色の瞳を持っており、エイフィと同じだった。エイフィの妹であるティアは、エイフィと違って歳月の痕跡を感じさせなかった。


 彼はカップの残りの花茶をすすった。さっきと違い、底に残った渣の感触が口の中に残った。


「私がヘスティナに頼んで、体の回復を助ける物質を入れてもらったから、安心して飲んでいいよ。」ティアが言った。


「——」

 ドアをノックする音がした。それはやや澄んだ音だ。。


 重苦しい空気がまるでドアが開くと同時に部屋から逃げ出し、すき間から顔を出したのは眠そうな少女だった。


「お母さん、彼は誰?」


 少女はパジャマを着ており、肩にはルイが今身に着けているのと同じブランケットをかけていた。細かく柔らかな毛が全身を包み込んでいる。

 ルイはほんの少し視線を感じた。それはドアの方から来る少女のもので、彼女は何かを隠しているような目をしていた。ルイは息を飲んだ。


「フィアンナ、まだ寝てなかった?」ティアが言った。


 少女は適当に首を振り、床に落ちたブランケットを引き上げた。

 ティアは笑顔で返した。


「今日から彼は私たちの家族の一員よ。彼の名前はルイ。あなたたちと歳はそんなに変わらないはずね。」


 少女は眉をひそめた。ティアの言葉の意味がよくわからない様子だった。


「——そうだ、ルイは體魔法が使えるみたい。血魔法もできそうよ。」


 ティアの言葉に少女はルイの目をじっと見つめた。彼女は彼の感情を探ろうとしていたが、ルイはただブランケットにくるまっていた。


「ザックが言ってたわ。前回の交流戦から半年くらい経ったんでしょ?フィアンナ、あなたはずっと一人で訓練していたのよね。」

「このままでは戦闘感覚を失ってしまうわ。あの大男と戦わせるわけにもいかないし、ルイが来たことでちょうどいいわ。」

「あなたたちは友達になれると思うわ。」ティアは確信を込めて言った。


 ティアは赤くなった目がフィアンナに気付かれないように心配していたが、彼女はただ頷いてからドアを閉めた。ドアの外の足音が遠ざかっていった。


 ティアはため息をつき、ルイの方を見た。

「彼女は私の娘、フィアンナよ。」


「僕……彼女は気まずいかな?」


「そうじゃないわ、あなたがここにいることで、みんな喜ぶと思うわ。」

 ティアは急いで説明し、その後、少し迷った表情を見せた。彼女は胸の飾りをルイの目の前に持ち上げた。


「フィアンナは小さい頃から優れた血魔法の能力を見せていたの。バ-ルヴィエット家の中でも特にね。」

「彼女の父親、イェルール・バ-ルヴィエットは他の貴族出身だけど、バ-ルヴィエット家の重要な存在だったわ。」

 ティアはそこまで言って、過去を思い出しているようだった。

「彼がアンチェスに入らなかったのは、強力な血魔法を持っていなかったから。でもケールドでは有名な人物で、ケールド軍の高級将校だったのよ。」

「あなたの父親の親友よ。」

 ティアは話しながらも飾りを見つめていた。

「フィアンナの能力を見つけた時、彼は彼女を育てることを決意したの。フィアンナも勝ち気な子で、能力の追求にとても真剣だったわ。」

「彼女の父親は……」


 ルイは宝石が放つ光に目を奪われた。

「イェルールはディオンリスと西門港さいもんこうの守衛軍を管理していたから、ここを離れる必要はなかったの。」

「彼はフィアンナの成長を見守っていたわ。私は魔法士院の院長で、なかなか家に帰れなかったのよ。」

「フィアンナが魔力を使いこなせるようになったら、イェルールは彼女に様々な魔法の訓練をさせた。」

「プロセスは退屈で辛いものだったし、時々数日間ベッドで休む必要があったけれど、イェルールはいつも彼女のそばにいたわ。」

「その子の成長は彼女の父親と共に過ごしたのよ。」ティアはため息をついて言った。


 ルイの体は一瞬硬直し、やがて再び動き始めた。彼はティアの言葉を注意深く聞いていた。フィアンナの過去の生活が自分と似ていることに気づいた、ただ隣の人はエイフィだった。


 言葉のトーンが変わると、まるで深い淵に落ちたかのように、静かな環境がルイにとっては不快だった。


「2年前、ディオンリスの城南町で反乱が起こった。今回の革命と比べたら大したことはなかったけれど。」

「彼女の父親が最後にこのネックレスを私たちにくれたの。でも……その後、彼は戻ってこなかったわ。油断してたのよ。」


 ルイはどこかで聞いたような話に、口元がわずかに動いた。


「その時から、フィアンナは魔法士以外のことにはもう関心を持たなくなったの。おそらく彼女の父親のために、能力を磨くことに没頭したのね。」ティアが言った。


 ティアが抱えるのは普通の悲しみではないとルイは思った。これから先、もうこれらの話を聞くことはないかもしれない。それでも、彼はこれらの話を忘れることはできない。まるで同じ歴史を語っているようだった。


 ルイは今、自分が血魔法を持ち、魔力を操る能力を持っていることを知っていた。他にとって、少なくともエイフィのために、そして父親のためにも頑張る機会が得られた。


(父さんもきっとそれを望んでいるだろう。)


 ルイは深呼吸をした。以前、エイフィの過去を知らずに、彼女を理解していなかったことを後悔していた。


 ティアは立ち止まり、窓際に向かって装飾を持ち上げた。月光によって、首飾りから放たれる光が部屋中を照らした。

 油灯が消え、ティアとルイは静かな部屋にいた。冷たい銀の光が二人の頭上に注がれ、無数の鉄の輪でつながれたチェーン、細かい宝石が散りばめられた首飾り、その縁には小さな文字が刻まれていた。


「これは彼の父が手作りしたんだよ」とティアが言った。


 その声には数え切れない過去が溢れ、わずかに懐かしさが感じられた。


「こんな小さなものを作るのが好きだったんだ。」

「不思議なことだよね。粗野な男にしてたのに。」

 ティアは一瞬微笑んだ。彼女の顔はずっとリラックスしていた。

「とにかく、フィアンナと仲良くしてね。彼女は時々他人に厳しいけど、自分にも同じくらい厳しいの。」

「そうは言っても、あまり考えすぎないで。ここで、この家で、ただよく生活するだけでいいんだよ。」

 ティアは優しくルイの頭に手を置き、立ち上がった。

「ゆっくり休んでね。」


 ルイは頷いて答えた。彼はエイフィの姿がティアと重なって見えた。目の錯覚だろうか。体がまだ完全に回復していないせいか、重たい身体が沈み込むような感覚があった。


 ティアが部屋を出た後、ルイは窓の外、ディオンリスの像を見た。広場に静かに立つ美しい姿。

 ルイは瞬きをした。乾いた涙が再び動き出した。それが乾燥した空気による疲れなのか、湧き上がる悲しみなのか。


 月光の催眠のもと、彼は再び深い眠りに落ちた。

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