第零章ーゲイルの章

第1話

 窓から差し込む月明かりがベッドに映り、夜空はまだ暗闇に包まれていた。時間が経過し、遠くの空が白い光によって夜の帳を切り裂き、ゆっくりと広がる光は、暗闇のキャンバスにこぼれた絵の具のように滲み込んでいた。


 深い眠りの中のルイは、夢の中で暗闇に囲まれていた。鋭い騒音が彼の耳を刺激する。


(ルイ——)


 果てしない冷たさと虚空の声、それは女性の声で、なじみ深く、まるで自分の一部のようだ。


 女性の声は彼の頭の中で響き渡る。その純粋で白い映像だけだった。空の雲さえも、その白さには及ばない。

 階下から聞こえる馬の鳴き声と話し声が、再び眠りにつこうとするルイを夢から引き戻す。


「ゲイル......本当にこの戦争に参加するの?」


「エイフィ......」


 女の子は、夫の手袋をした手に触れながら言う。しかし、返ってくるのは革の摩擦音だけだった。


「ルイ、ルイはどうするの?」とエイフィが言う。


「あいつは昨日の訓練で、大部疲れたと思う、未だ寝てるだろう。」


「いや、そうじゃなくてーー」


 フード付きのマントを着た男性が首を振る。滑り落ちそうなフードを引き上ゲイル。二人は冷たい空気の中で互いの温もりを求める。


「エイフィ、ケールドのために、そして、君たちのため......俺はこれをしなければならない。」

 男は血で染まった妻の目を見つめる。

「君も知っている、陛下もこの国ーーが俺を必要としているし、革命軍は......」


 男の体はしっかりした木のようで、エイフィは中に秘められた強大な力を感じることができる。一方、風に揺れるろうそくのようなエイフィの細い身体。彼女の腰が折れるのを恐れる男は、彼女との抱擁に慣れているようだ。彼の腕の中で、彼女は暖かさに包まれる。


「しばらく戻れないかもしれない......君とルイは気をつけて。」


「うん......わかった。」


「——」

 突然、エイフィのキスが男性の唇を封じる。彼はエイフィの腕を通して、彼女を再び抱きしめる。長い間、背中に絡まった彼女の手を通して、彼はエイフィの震える体を感じる。その時、彼の心には、残された願望が浮かんでいた。


(否、お前は彼らに勝たせてはいけない。我々はすでに多くを失っている。)


 鋭い風が二人を通り過ぎ、男性はエイフィを風よけの場所に移動させる。自分の体で冷たい風を遮る。その程度の天気は、彼の心にたまった怒りを冷ますことができるが、重い病に苦しむエイフィには優しくない。


(アンパリ......いや、今は君とルイしかいない。)


 彼はようやく悲しみから立ち上がる決意を固める。それは男性を消耗させ、彼は家を離れることを受け入れなければならなかった。エイフィとルイを離れて、かつてのように。

 二階の窓台から、こっそりと二人を見守る少年の白い影が男性の目の隅を横切る。


(ルイ、もう起きてるのか。)


 騒音によって目覚めたルイは、音の方向を見つめる。彼は両親が何か話しているのを見つけるが、距離が遠くて情報を得られない。


 彼が父親の服装を見た瞬間、その人がまたここを離れることを理解する。

 その状況は過去に何度もあった。ケールドが平和に戻るまでの数年間、ルイは本当の父子のように振る舞い方を忘れてしまっていた。彼らはただ同じ屋根の下に住む二人に過ぎなかった。同時に、しばらくの間続いた平和は、内部の革命によって再び乱れ始める。

 ルイにとって、父親がどれだけ長く家を離れるかよりも、現在のエイフィの体調が気になる。


 エイフィは重い病にかかっており、おそらく寒い天候が原因で、今朝の彼女の姿は特に弱々しく見えた。

 ルイは数秒間、父親と見つめ合う。相手がゆっくりと頷くと、ルイは窓から離れた。


 エイフィとゲイルは互いの腕を離し、四目が交わる。男の目には黒い輪郭が描かれ、赤く腫れた瞳があり、エイフィの目には無数の血絲が束縛されていた。

 手袋をした手で男が指先を擦り、エイフィの目の端をなぞると、再び涙がこぼれた。


 エイフィは何かが以前と異なることを感じていた。男がかつての自信に満ちた面持ちを欠いているように思えた。


「ルイに何も言わないの?」エイフィが言った。


「いや、彼に何が渡し……役立つことをいくつか教えてあげた。」と男は言い、馬の鐙を踏み、軽く跳ねて馬上に座った。彼は沈黙し、額の眉毛を寄せた。

 この数日ルイと一緒に過ごすこと、心の底から酸味や悔しさのか、どちか分かんないゲイルはその中に悲しみが存在することが確信してた。


「そうね、しかもルイはアンパリ家の子だね!」

 エイフィの言葉がゲイルの目線を自分の瞳に引いた。


「アンパリかな......」


「あと、あなたの息子だよ。」


 ゲイルは頭緩んで振った。

「俺らの息子だ。」


 男が二階の窓を見上ゲイルと、少年の姿はもうそこにはなかった。一抹の悲しみが彼の心をかすめた。今日の罪悪感は以前よりも重く、彼は心の波を堅く抑える必要があった。


 エイフィは静かになり、男の脚に手を置き、頭を軽くもたせかけ、男を横目で見た。


「武運を祈るわ。」エイフィが言った。


 二人は見つめ合い、二人の間の距離は冷たい空気で満たされていた。彼らは互いに離れた。


「ありがとう、それは役に立つよ。」と男は言い、微笑みを浮かべた。エイフィの心の中を察したように、彼女も答えを聞いて微笑んだ。


 ゲイルは馬の腹を優しく蹴り、馬は前に走り始めた。冷たい風が絶え間なく打ちつけられ、前方だけを見つめる彼は、ほとんど吹き飛ばされそうなフードを手で掴んだ。


 ルイは自分の去り際を気にかけないだろう。彼はそれをはっきりと理解しており、自分が去って数日後には彼の心から消え去るだろうと知っていた。それは受け入れられる事実であり、父親としての遺憾でもあった。


 ゲイルは赤い光がちりばめられた地平線に向かって走り、揺れる背中の影が初めての夜明けと共に馬の蹄の音と消えていった。



 #

 3日後、ディオンリスの近郊にある戦火で荒廃した村。



「時間はもう差し迫っている、皆。」ゲイルが言った。


「ゲイル、皆が......」

 眉をひそめるゲイルが発言した軍人を見ると、その人物は体を縮めてしまった。ゲイルは微かに首を傾け、後ろにいるボランダ二に目で合図を送った。


「......」

 再び沈黙が部屋に充満した。彼らの反応は本能的なもので、狼の群れのリーダーの前で低姿勢を保つようなものだった。


 ゲイルは部屋の隅に目を向けたが、破損した階段の横で、木片が腹を貫いた軍人が息絶え絶えに次の息を吸い込んでいるのに気づいた。

 ゲイルにとって、その男は軍の中で数少ない彼と会話を交わす人物の一人だった。その人物はボランダ二のために自ら身を投げ出し、家屋の爆発で飛んできた木片を遮った。


 部屋の将校たちはゲイルの前ではいつも平静を保っていたが、ゲイルは彼らが私的に彼のことをどう語るか知る由もなかった。

 しかし、それは彼にとって大した問題ではなかった。彼はむしろ、彼らとのコミュニケーションでいつも自分に迎合することはないことを望んでいた。

 ゲイルは部屋の人数を数え、今は7人が残っていることに気づいた。彼はそれぞれの血の気のない表情を観察した。


(解決策があれば、天の太陽を落とすことさえゲイルには惜しくない。)


 皮肉なことに、彼は再び地面に横たわる人物に目を向けた。多くの人が行き詰まりの中で光を放っているが、その光はその男の輝く目にも現れていた。

 ゲイルは皆がその影響を受けることを望んでいたが、彼の腹を貫く棒はそう考えていないようだった。


 彼は唇を引き結び、ため息を飲み込んだ。これまで彼の行動はすべて考え抜かれたものだったが、休む暇もないほどの疲労が彼にその習慣を忘れさせかけていた。彼はわずかな動作でも他の人を圧倒することになるのではないかと心配していた。

 冷静さは遠い夢物語に過ぎず、ゲイルにとっても同様だった。彼はこれが偽りで、最終的に目覚める悪夢だと願っていた。


 部屋の中の人々がゲイルの言葉を待っていた。冷たい空気が自由に行き交い、長い時間をかけて練り上げられた陰謀が、重苦しい雰囲気となって皆の肩に圧し掛かる。


「ここから――」

 ゲイルは焦げたロープに足をとられた。彼は舌打ちし、腐った床の穴を越え、その空洞で地面を齧る生物を見た。

 彼は数歩を踏み、窓の隙間に立った。


「ここからディオンリスまで、どれくらいの距離だ?」と彼が尋ねた。


 焦げた靴底が床に散らばるガラスを踏むと、耳障りな音がした。彼は足を上げ、足の無力感を感じた。それは過度の疲労によるものだと自分に言い聞かせる。

 彼は事実を無視しようとし、外の野原を見つめた。遠くの光が手の届くように見えるが、それは過去の夜に目の前でぼんやりと現れる光景のようだった。


(以前にもっとひどい光景を何度も見てきたが。)


 寂しさか寒さかどちらが分からないゲイルは、彼の指先は震えている。

 一瞬、空から青い結晶がゆっくりと現れ、その蛍光が部屋の暗闇を追い払った。彼は冷たく微笑み、温かさに包まれているように感じた。絶え間なく集まる光点が彼の周りに集まる。

 彼の指が動くにつれて、細い糸がゆっくりと彼の肩に巻き付き、白い霧から作られたコートのように、乳白色の霧が彼の上に掛かった。彼の数回の息吹の後、コートと彼の胸のほのかな輝きが同時に消え去った。それはゲイルが周囲の魔力を吸収している証拠だった。


「ゲイル、地図です。」

 静かな足音とともに将校が近づき、手に持つ古びた皮紙を差し出した。その皮紙は彼の油っぽい瞳と鮮やかなコントラストを描き出していた。

「ディオンリスまでは、およそ半日の距離です。」と将校が続けた。

 その言葉に、ゲイルの眉が寄せられたが。


「......」

 ゲイルは嘆く。話題が途切れると、表面上は平静を保っている。沈黙を破る会話、そして最後の閉じられた扉の後の静寂。また一人、彼らの仲間が命を落とした。


「ここに残りは6人か......ディオンリスが君と共にあらんことを」と、ゲイルは心の中でつぶやき、氷のように冷たい体が階下に運ばれていくのを見送る。


 ゲイルは相手から渡された図面を受け取り、注意深く眺めた。

それは暗黄色の乾燥した動物の皮で作られた地図で、五彩に彩られた図案はディオンリス外の野原に広がる草花を表していた。しかし、今やその多くが黒い煙に覆われた残骸に変わっていた。


「ゲイル!前線の人々が支援を必要としています!」

  先閉じたばがりのドアが、突然気荒いにまた開かれた。とある将校が、緊迫した様子で訴えた。村の周りに派遣された部隊が攻撃を受けているとの報告だった。しかし、ゲイルは遠くの爆発の光を見ても動じず、冷静に応答した。


「いや、我々は陛下をここに置き去りにするわけにはいかん。そして、彼らが到着するまで時間がかかるだろう。」とゲイルは断固として言った。


「でも、少なくとも我々は先に行くべきです!」と将校が言おうとすると、ゲイルは一瞬考え込んだ後、さらに強く言い放った。


「他の者たちはまだ休息は要る。我々は力を分散させるわけにはいかない。我々はこの村を守り、その後でディオンリスを取り戻さなければならない。」とゲイルは強い口調で言った。


(――前線の仲間を見捨てるつもりか!?)と言いたかった将校。


「ゲイル、我々には食糧がなくなりつつあります......」と将校が静かに言った。

 彼はゲイルの厳しい視線を避けている。


「そして、陛下の体調も......」

 ゲイルの視線は炎のように燃えていた。彼は言葉を選び、淡々と述べた。


「確か陛下には治療が必要だ。だからこそディオンリス、ディオンリスは我々にとって最も近く、医療設備が整っている。他の地域は廃墟だ。それに、あれは我々の家だ」とゲイルは強調した。


 部屋の中は沈黙に包まれた。ゲイルの強い意志に異論を唱える者は誰もいなかった。

「我々は何人立ち上がれるか?」とゲイルは将校に尋ねた。彼の声は鋼のように固く、部屋中に緊張感が漂った。


「約半分以下ですが――」と一人が答えた。

 息の詰まる雰囲気が一瞬で部屋中に満ち、体魔法を使わずとも人々の震える声が聞こえる。冷たい汗が将校の顎から滴り落ちる。

 緊張した空気がゲイルの一挙手一投足に注目し、彼が口を開く瞬間を息を呑んで待ち、最終的には常識に合う選択をすることを期待していた。しかし、その人は常識に合わないゲイル、通常の枠を超える血魔だ。


「良い、では一人につき十人の敵を殺せ。」とゲイルは言った。


「でもゲイル、一部の人々は疫病にかかり、今は別の家で隔離されています。彼らは歩くことさえままならない。」


「なら、残りの者に言え。一人につき二十人を殺せと伝え。」ゲイルは一瞬の沈黙の後、冷静に命じた。


 ゲイルは立ち上がり、窓外の景色を見つめた。果てしない原野の向こうには、ケールドの王城、ディオンリスがある。そこにはこの国の全てが育まれている。

 彼の言葉には決断力があり、不安を感じる部下たちも、ゲイルの強いリーダーシップに信頼を寄せた。

 ゲイルは立ち上がり、窓の外を見つめた。果てしない原野の向こうには、ケールドの王城、ディオンリスが見えた。そこは彼の国のすべてが育まれた場所だった。


「いや――」別の将校が呟いたが、ゲイルはそれを無視した。彼は反抗することができないことを知っていた。


 憤りの鼓動が彼らの胸を打ち、握りしめた拳が爆発する前触れとなっていた。ゲイルの命令に不満を持つ者の衣服の音が聞こえたが、彼らは嵐の中の波紋に過ぎず、その中には目を閉じ、暗闇に直面したくない人もいた。


 ゲイルは頭を下げ、思考に没頭していた。彼は現状を明確に把握しており、彼らがこの場所を離れることはできないこと、敵が虚を突く可能性があることを理解していた。しかし、もはや心の怒りを抑えることはできず、前線の仲間たちも彼を支える少数派であることを知っていた。感情に流される決断が悪いとは限らない、今こそその時だ。


「俺は行く……」ゲイルは静かにつぶやいた。部屋の中の人々が顔を上げ、中央にいるゲイルに視線を集中させた。その視線を受け止めながら、彼ですら読み取ることのできない相手の眼差しには、驚きか期待か、その感情を探るように彼は目を細めた。


「俺は一人で行く。ここには守る者が必要だ。」

「俺がいない間、動ける者たち……特に血魔法を使える者たちは村の周りに配備し、常時魔力を燃やして周囲の全てを感知させる。動く魔力源を一つも見逃すな——残りの者たちは、血魔法の者たちに従い、村を巡回せよ!」

「俺が戻るまで……それでいい。」

 ゲイルは言い、そばに置いてあった水筒から一口飲んだ。

 彼が腕を上げると、もともとマントの下にかすかに光っていた輝きが、その瞬間に眩いばかりのものへと変わった。

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