10月31日 月曜日
第56話 同士
■10月31日 月曜日
高等部の校長が生徒に違法薬物を作らせ、売っていた。その薬で死亡者も出ている。そして不都合なことを知った生徒は事故に見せかけて、亡き者にしていた。
それから理事長の息子が世間を賑わす髪切り魔だった。
学校のとんだスキャンダルは、もっと騒がれるようなことだと思うのに、事実が淡々とニュースや新聞、週刊誌に述べられただけで、驚くぐらいあっけなく収束した。経営陣も何事もなかったかのように変わっただけだった。
十分なスキャンダルだと思うのだが、各方面に、学校の卒業生や顔が効く人がいるからだろう、最低限のニュースになっただけだ。
先輩は死亡解剖されたけれど、アクセルの成分は体から出なかったそうだ。
あの飴は真鍋先輩の隠し持っていた初期のアクセルを、さよりちゃんが持ち出したものだと思う。どういう経緯かはわからないけれど、それを先輩が持っていた。
落ちる前に先輩はその飴を口に入れた。
いくつも可能性を考えて、一番納得できる筋書きがあった。
海藤先輩は、さよりちゃんのことがやっぱり好きだとわかるシナリオだ。
放課後、会議室に集まった。
海藤先輩狙いで文芸部に入部したさよりちゃんは、海藤先輩が亡くなった話を全く口にしなかった。ただ青白い顔で
「全部終わりましたね」
と言った。
会誌のデータ入稿が終わったところだ。
あとは刷りだしがきてからの作業となる。
会議室の窓を彼女は開けた。
「気が済んだか?」
それは思いがけず、やさしい問いかけだった。わたしは開きかけた口を閉じる。
わたしはさよりちゃんが羨ましかった。
命をかけてさよりちゃんを表に出さない意思が感じられたから。先輩が飲んだのはアクセルではなかったけど、さよりちゃんが持っていたことから、絶対に何か関わりがある。全くさよりちゃんの話が出てこなかったことも、それを想像させた。
わたしは聞きたかった。さよりちゃんは何をしたのか。
でもきっと気が高ぶってなじってしまう。怒りにまかせてしまう。だから、南野にまかせよう。
南野と小松君も事情聴取に呼ばれていた。教頭先生の車で家の近所まで送ってもらい、わたしたちはそのあと、少し話した。
南野たちは、わたしが何か知っていると勘づいていたけれど、無理に聞き出すことはしなかった。けれど、さよりちゃんの生まれのことや純ちゃんのことは調べがついていた。同好会で真鍋先輩と海藤先輩が繋がり、アクセル、そしてホワイトドリームに海藤先輩が関わっていたのではないかと、ほぼパーフェクトなところまで推察していた。
さよりちゃんはわたしたちの顔をみまわした。
「……最後まで、貫き通せると思ったんだけどな」
さほど驚いた様子もなく笑う。
「私、あの人には謝りません。あの人はそれだけのことをしたんだから」
毅然と彼女が言う。彼女は美しかった。そのままで美しかった。彼女のことを可愛いと称してた自分が滑稽に思えた。
「でも、私はあなたたちを利用しました。怒って当然です」
海籐先輩はもう、どこにもいない。
海籐先輩は2つの顔を持っていたのかもしれない。
〝それだけのことをした〟と言われてしまうような顔と、わたしの知っている頼れる優しい先輩と。
いや、海籐先輩だけじゃなく、誰もがいくつもの顔を持っているのかもしれない。それでも、海籐先輩はわたしにとっていい先輩だった。あんなことがあっても。
静けさが舞い降りる。
「なぜ、なにも言わないんですか?」
痺れを切らしたように、さよりちゃんが言う。
「……相原の方が辛いだろうから」
………………………。
南野は凄い。
そっか、そうだね。
一番傷ついてるのは当のさよりちゃんだ。
好きな人を亡くしたのだから。
先輩はアクセルを飲んで、屋上から飛び降りた。
けれど、アクセルの成分は体から出てこなかった。
飴を包んでいた青いセロファンが落ちていた。わたしも口に入れるところをみた。
でも、先輩が食べたのはアクセルではなかった。
「人は、人に裁かれる方が楽かもしれない」
その一言で、小松君が他に何も言わないわけもわかった。南野と同じ意見なんだ。
罰があった方が償うなり、なんなりしたぶんだけ、気は楽になるかもしれない。人は自分でしか自分を裁けない。それが一番過酷なんだ。だから、人は自分が許せる、ぎりぎりのところを生きている。
自分のしたことを、彼女が許せるのか。何度も迷いがあったはず。たとえどんなに海籐先輩が、ひどいことをしていたにしても。
海藤先輩がアクセルを口にしなかったわけ。亡骸は調べられるから。もしアクセルを口にしていたら成分が体に残るから。そうしたら渡した人が調べられるかもしれないから。
そうしなかったのは、守るためだろう。
自分にアクセルを渡した彼女に、渡された意味をわかっていて、口にすることを選んだ。けれど彼女のために、アクセルを死因にはしなかった。
現在のアクセルは、楕円形の白い錠剤。透明のセロファンに包まれている。
さよりちゃんが真鍋先輩が隠していたのを持ち出したのは初期のアクセル。成分はホワイトドリームに近く、ホワイトドリームの効果を高めたもので、亡くなった人もでたもの。
わたしに見せたのも、海藤先輩が口にしたのも、青いセロファンに包まれた透明の飴だった。さよりちゃんはそれを海藤先輩に渡した。
「………私留学するんです。二度と日本には帰ってこないつもりです」
さよりちゃんは目を伏せた。
「どこまで知っているんですか?」
南野が眼鏡をクイッとやって位置を直す。
「ほとんどわかっていない。相原が〝
さよりちゃんはあの日の海藤先輩を思い出させる、切なげな目をした。
「そうですね、先輩たちを巻き込んで嫌な思いをさせたんだもの、話すべきですね」
彼女は姿勢を正した。
「ずっと考えていたんです。私は何に突き動かされているんだろうって。
純がいなくなって。もう会えないこと、私のせいだと思われていること。家族がバラバラになったこと。協力してくれた木崎さんが亡くなったこと。もう全部が全部わけわからなくて。
そんなときミラクルを読んで、なんでこの人は私を知っているんだろうって思ったんです。私には現実が、あり得ないとされるファンタジーでした。哀しくて、哀しくなくなりたくて、突き止めようとしているんだと思っていたけれど、小萩先輩に言ってもらった
私はただ純ちゃんが大好きで、友達だったっていう気持ちを否定したくなかったんだって。だから、純ちゃんが私が困ったり悲しむようなことはしない、望んでないって言ってもらったとき、本当にもういいって思ったんです。私はそれだけが知りたかったんだって。でも……木崎さんは死んじゃったんです。証拠を掴めるかもって言葉を残して!」
最後の言葉は血が滲むような痛みを抱えていた。
さよりちゃんは純ちゃんの友達の〝お兄ちゃん〟を探していたと言う。
世間では、純ちゃんが亡くなる原因となった、ホワイトドリームを渡したのは、さよりちゃんだと噂されていたけれど、それは違う。
さよりちゃんは思い出した。少し前から、年上の友達ができたと言っていたことを。きっとその人が純ちゃんに飴をあげたんだと思った。
警察にも言ったけれど、本当に探してくれたかはわからない。そのうち、誹謗中傷からさよりちゃんを守るために、両親は離婚し、さよりちゃんはお母さんについて、引っ越した。
命日にお参りに行くと、純ちゃんのご両親から来てくれるなと言われ、それからこっそりと誕生日に行くようになった。同じ日に花を手向けにくる人がいた。さよりちゃんはそれが〝お兄ちゃん〟だと思った。
去年やっと六の宮の制服の後ろ姿を見る。だから受験した。
晴れて六の宮の生徒になり、探したかったけれど、あまりの生徒数の多さに辟易する。けれど懸命に何でもいいからと情報を集めていたときに、〝アクセル〟のことを知った。ホワイトドリームを参考にしたような薬だ。それもこの学校が出どころだという噂まであった。
アクセルのことを調べていると、木崎淑子に声をかけられた。ジャーナリスト志望の彼女は、社会の悪を許さないと意気込んでいた。
彼女の切符のよさが心地よく、すっかり意気投合して、一緒に調べることになった。
特別進学クラスの真鍋竜騎が、アクセルを作っているのではないかと木崎さんは見ていた。羽振りがいいこともだけれど、
木崎さんはつかんでいることがあり、証拠が出てきたらさよりちゃんにも教えると言ったそうだ。けれど、そう言っていた矢先、事故で亡くなってしまう。
さよりちゃんは絶望した。自分が親しくするとその人が死ぬのではないかと思った。自分は死神なのでは、とさえ思った。
そして今年の純ちゃんのお墓参りで、海藤先輩を見た。
さよりちゃんは先輩を調べあげ、彼に近づくために文芸部に入部する。
ところが、彼は部活を引退していた……。
わたしたちは立ったまま、凍りついたように、さよりちゃんの話を聞いていた。
■ ■ ■ ■ ■
相原さよりは海藤彰文を調べていたときに、中等部で経済研究同好会にいたことを知る。
アクセルを持ち込んだのは真鍋竜騎ではなく、彰文だったのだろうと推測した。小さい頃にホワイトドリームに手を出していたのだとしたら、それがアクセルに移ったのは、当然の流れのように思えた。そして彼が〝お兄ちゃん〟だと確信が強まる。
純ちゃんに危険なキャンディーを与えた罰を、どう受けさせたいのかと、自分は何がしたいのかと考えた。相原さよりは結論を出した。
自分と同じように、大切な人を失くせばいいと。
彰文の大切な人を探る。彰文に近づいたけれど、彼女はいないし、家族仲もそうよくもなさそうだった。
しいて言えば、部活の後輩を可愛がっているぐらい。
彰文に憧れていそうな2年の女子がちょうどいいかと思った。けれど、関係ない人を巻き込むのも間違っている。
それに一緒に行動していくうちに、文芸部の人たちをさより自身が好きになっていることに気づいた。それでターゲットを変更することにした。
彰文は悪い人ではなかった。それどころか温かい人だった。けれど、亡くなった人たちのことを考えると罰を受けてもらわなければならないと思えた。
文芸部に入るために、嘘をついた。罰を受けさせるまで疑われないように、理由づけたが、その方がよほど怪しまれることに気付いていなかった。
けれど嘘だったはずなのに、さよりは誰かに狙われているのを感じた。
変更したターゲットは自分だ。彰文の大切な人に自分がなろうと思った。
大切な人になったところで、アクセルがきっかけで命を落とす、それが計画だった。
彰文とはいい感じになった。計画を実行に移すことにした。
けれど、アクセルが見つかってしまい、真っ青な顔の彰文に取り上げられた。
取り返そうとしているうちに、教師の桐原収からこれ以上彰文に近づかないよう言われる。渡り廊下で自分を傷つけるための仕掛けをつくっているところを動画で撮られていた。
そうして何もできないでいるうちに、小萩が髪切り魔に遭い、さらにその日、桐原収と真鍋竜騎が警察に出頭していたことを知る。
さよりは知らないうちに、話が思わぬ方向に進んでいるのを感じ、恐怖した。
■ ■ ■ ■ ■
「私が誰かを裁けるなんて思ったことはありません。私の友達を死に至らせたこと、これは許したくても許せなくて。もちろん 許す許さないの問題でないこともわかっているけど、私は知ってしまった以上、何もしないでいることはできなかった」
さよりちゃんの顔が歪む。
「純の夢が、天気予報士だったんです。この人だって確信しました。夢を引き継ぐことで許されると思っているのかって思いました」
天気予報士は亡くなった純ちゃんの夢だったんだ……。
「でも、あの事故があの人の中で傷になっていることも。心を痛めていることも知りました。だけどっ、だけど……」
さよりちゃんが鼻を啜る。
「ひとつ、聞いていいか?」
小松君が尋ねる。さよりちゃんが頷いた。
「相原が入部した日から何度か文芸部にメールがきた。部長が人殺しだと。あれは、相原?」
「そうです。てっきり海藤先輩が部長だと思っていたので……」
「天誅っていうのが、先輩の大切な人になった相原が死ぬことだったの?」
「……はい。最初は海藤先輩の大切な人を失くすつもりでしたけど。関係ない人を巻き込むのはどうかと思って、私がなることにしました。竜騎先輩の部室からアクセルを拝借しました。あれを食べて、屋上から飛び降りるつもりでした」
「そのアクセルがわたしに見せてくれたやつ?」
「そうです。透明に見える錠剤です」
静けさが舞い降りる。
やっぱりさよりちゃんは知らなかったんだ。
本来のアクセルは白い錠剤だって。
それにアクセルとホワイトドリームをごっちゃにしている。
杜撰で、抜けてて、ちょっとほっとする。
さよりちゃんが死に至るかもしれない初期のアクセルを、海藤先輩に飲めと渡したのではなくてよかった。
「私、小萩先輩に全部言えていたら、もしかしたら結果は変わっていたかもって思います。でももしかしたらは絶対にないんですよね。私最初の3日間がずっと続けばいいと思ってました。笑って、怒って、また笑って……。
小萩先輩いいましたよね? やることに躊躇いがあるときは願いが迷子なんだって。あの時、反発しかなかったけど、今はわかる気がします。
やるべきことだと思い込もうとしていたけれど、私自身もわかっていたんだと思います。迷いがあることを。願いが迷子になっていることを。
でも、私がアクセルを手にしていたことで、海藤先輩は知られてしまったって思ったんですね。真鍋先輩じゃなくて、海藤先輩がアクセルを作ったってことを、私が知ったと。それで黒幕だった校長先生ともめ、その最中に亡くなった……」
そうか、さよりちゃんから見ると、そういう経緯に見えているのか。
もっと決定的な何かをしたわけでなく、校長と先輩が揉めたきっかけに自分がなったと思ってるんだ。
「違うよ」
「え?」
「さよりちゃんは文芸部に入った狙いがそうだったから、自分が何かしたと思い込んじゃったんだね。けど、さよりちゃんはまだ何もしてなかったんだよ」
「え?」
さよりちゃんがこの件に関係していない。
そう海藤先輩が貫いたことだから。
「アクセルのこと調べてた。それを校長が気づいて、それで屋上であんなことになったの」
わたしは策略家は無理だな。言葉を少しも思いつけない。
「え」
「校長先生に、文芸部が狙われたんだ」
南野が要約してくれた。
さよりちゃんは今は理解が追いついていないけれど、時間が経ってから、きっと海藤先輩の本当の願いが彼女に届くだろう。
さよりちゃんはなんともいえない表情を浮かべたけれど、結びの言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます。でも、しようとしていたことは変わりません。
私の行動から、こんな悲しませることを作ってしまいました。
私、小萩先輩のこと、南野先輩、小松君そして……、みんなのこと大好きです。今も変わらず。
その大好きな人たちを、悲しませてしまったことが心苦しいです。悲しませて本当にごめんなさい。本当にすみませんでした」
さよりちゃんが長く頭を下げた。
海藤先輩はさよりちゃんが誤解していることに気づいたはず。
でも隠し通したんだ。
飴を見たときに、きっと悟ったんだ。わたしがさよりちゃんが純ちゃんの友達で、倒産した製薬会社のお嬢さんだと告げたから。
自分に近づいてきた理由に気づいただろう。
そして勘違いしていることにも。
純ちゃんに飴を渡したのは、自分ではない。けれどそうさよりちゃんに言わなかった。あげたのは自分ではないけれど、作らせた元凶が自分だから。
「それでは、お元気で」
一瞬顔をあげ、懇親の思いを込めたように頭を下げる。そしてこちらを見ようとせず、背を向ける。
「さよりちゃん!」
思わず呼びかけていた。1秒おいてから、彼女は振り返る。
まっすぐな瞳でわたしを見返した。
「……不幸になったら、許さない」
わたしを映す瞳が潤んでいく。
「小萩先輩……」
さよりちゃんに触発されてか、熱いものがこみ上げてきた。
涙の理由はいっぱいあるけど、それが何に対してなのかわからなかった。
でも、わたしたちは同士だったから。同じ人を好きになった。
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