10月27日 木曜日
第54話 髪切り魔
■10月27日 木曜日
翌日わたしは美容院に行ってから、学校に行った。
一部だけ10センチぐらい切られた程度ですんだので、その長さにそろえてもらった。けど、肩より長いから印象は変わらないだろう。
いやー、昨日は大変だった。やっと頭がはっきりした頃、事情徴収というのが始まって、家族まで呼び出され、家に帰ったのは0時をまわっていた。
南野と小松君は、失恋確定なわたしを心配して、家まで送ろうと後を追ったのだと言う。
曲がり角でなんか気配がして、見てみると学生服の子が倒れていて、そのずっと先の角を黒い陰がすっと曲がったという。
犯人は10センチ程度、しかも一部という情けない収穫で逃げていった。
南野と小松君に迷惑かけちゃったし。菓子折を持って行くから住所を聞いてこいと言われた。
4時間目があと10分というところで入っていくと教室中がわきたって、授業にならなくなってしまった。
放課後会議室に行くと、皆が本当に心配してくれてたのがよくわかった。
「本当、昨日はどうもありがとね」
改まって言うと、小松君はしきりに髪に手をやり、南野は相変わらずのポーカーフェイスだった。
「薬の影響はもうないのか?」
昨日病院で言われたんだ。完璧に薬が抜けるまで、めまいとかがあるかもしれないって。
「午前中はぐらぐらしてたけど、もう抜けたみたい」
「元気ないですね。あっ昨日の今日ですもん。あたりまえですね、スミマセン」
小松君が恐縮してくれるので、わたしは手を振る。
「怪我したんですか?」
さよりちゃんが左手の包帯に目を止めた。
「うん。髪切る……刃物に当たっちゃったみたい」
そう言うとぞっとしたように首をすくめた。一応報告終わったもんね。
「じゃあ、わたし今日はもう帰りたいんだけど、いい?」
反対されないことをわかっていて、尋ねる。
「……ああ」
ポーカーフェイスがちょっと間をおいていった。
「送ります」
そう言った小松君を手を軽く挙げて止める。
「大丈夫。明るいし。……それにもう……平気だから」
後ろ手にドアを閉める。
「さよりを助けてやって欲しい、後悔する前に」
朝一番で真鍋先輩が家を尋ねてきた。すっごく驚いた。
どこで知ったのか、一部だけ短くなった髪に触れて、怖かっただろうと、泣きそうに微笑んだ。こんなこと頼める立場ではないけれどと真鍋先輩は呟く。
「さよりちゃんはやっぱり何かに巻き込まれているんですか? 先輩は何を知っているんですか?」
「俺じゃ止められない」
先輩の声は99%絶望が込められていた。
そしてこれから警察に出頭すると言った。
「何をしたんですか?」
「知ってんだろ? アクセルを作って売った。学園は薬の情報をどこからかつかんで、俺を怪しんでいた。それで部室に盗聴器を仕掛けられていた」
そう話せと言われているような、様式美さを感じた。
先輩がわたしに耳打ちした。そして続ける。
「お前も元気でな」
真鍋先輩は踵を返す。
わたしはその背中を見送った。
「今の子もカッコ良かったわね」
いつまでも玄関にいたからか、サンダルをひっかけて出てきたお母さんが、呑気なことを言った。
わたしはそのまま下駄箱ではなく、社会科教員室に向かう。
ドアを開けてくれたのは、やっぱり桐原先生だった。
わたしを見て、悲しみを含んだ苦笑いをする。
「昨日、大変だったんだって?」
コーヒーをいれてくれる。わたしは立ったまま暖かいだけが取り柄のインスタントコーヒーを受け取った。
「ええ。被害はそう大してありませんでしたけど」
「これ……」
わたしの左手を凝視してる。
「ええ。偽髪切り魔に」
「偽髪切り魔?」
「髪を切ろうとしたところ、わたしが暴れたので殺した、そういう設定にしたかったみたいです」
「殺す? なぜ君が殺されなければならない?」
「わたしが最悪の事態に突き進むと思うから、でしょうね」
先生は口をつぐんだ。切り返す言葉が思いつかないらしい。
「ねえ、先生、どうして助けてくれたのに『ごめんね』なんですか?」
「……なんのこと?」
答えてくれないなら、それ以上聞くつもりはなかった。
「わたしの勘違いならいいんです」
「……まだ意識があったんだね」
やっぱり。わたしの間違いではないんだ。
哀しくなって先生を見上げると、先生も切なそうに笑っていた。
「なんで助けてくれたんですか?」
「ごめん、君を助けたかったわけじゃない」
どういう意味?
先生の行動で死なずにすんだのはわたし。
でも助けたかったのはわたしじゃない……。
助かったもうひとり……罪を犯さずにすんだ、あの人?
あの人はわたしを手に掛けずにすんだ……。
ハッと先生を見上げる。
あ。
そう、誰かに似ていると思ったの。
前髪をかき上げる癖が同じだ。
兄弟とか、親戚とか
先生は助けたかったんだ。
「なぜ、助けたかったんですか?」
「……ごめん」
「ひとつだけ教えて下さい。先生が髪を切ったのは4人、ですね?」
答えがないのが何よりもの証拠だ。先生は他のことも知ってる……。
幼馴染のお墓参りに行ったあの日、さよりちゃんを突き飛ばしたのは先生だ。文芸部を気にしてたのも、さよりちゃんの動向を探るため。
「先生だったんですね、さよりちゃんを突き飛ばしのは。なぜですか?」
「探っていたからだ」
探って?
ああ、確信が深まっていく。
あの人もさよりちゃんも……。
「……もう、髪切り魔は現れない?」
「……ああ」
部屋を出ると南野と小松君がいた。いつから聞いていたんだろう。聞こえてしまったのだろうか。胸がどきどきと音をたてはじめる。
「……髪切り魔、なんだな? いいのか?」
大丈夫。聞こえてなかったみたいだ。
警察に通報しないでいいのか? という意味だろう。
わたしたちは社会科室をもう一度見てから、歩き出す。
「なんで、わかったんだ?」
「……勘よ」
小さな嘘が、風に乗って淡く消えた。
次の日、学校は休みになった。桐原先生が自首したからだ。被害にあった女の子たちが訴えていたらしい。
桐原先生は5人の女の子の髪を切ったと言い張っている。
5人目のわたしで失敗をし、そして自分だと気づかれた。それで出頭したと言っているそうだ。
なぜそんなことをしたという問いかけには、長い髪は気持ち悪いからと言ったそうだ。2学期から臨時教員になった。教師にはなりたくてなったが、ストレスのかかることだった。火曜日と木曜、金曜に授業が入っていた。学校には髪の長い女子生徒が多く、それもまた先生を追い詰めた。
そんな時、会誌にあった神無月姫の物語を読んだ。先生は授業をしながら、髪の長い女子生徒の髪を切るり、その髪を焼くことを夢想したようだ。それで少し気持ち悪いのが薄れた。彼は、実際に切ったら、もっと気が晴れるのではないかとハサミをコートのポケットに入れた。
社会科準備室はランダムに先生たちが集まる場所。
隠蓑にはちょうどよかった。彼は授業のない水曜日、隙を見て、中庭から壁を超え外に出た。そして犯行を繰り返した。
それと9月21日、さよりちゃんにぶつかって鞄を取ったのも自分だと言ったそうだ。理由はもしかしたら見られたかもしれないので、素性を調べるためだったと。
同時に真鍋先輩も出頭していた。違法薬物であるアクセルを作ったのは自分で、それを売って稼いでいたのだと。ただそのルートやらどう薬品を手に入れたとか、そういう一切合切には口をつぐんでいるそうだ。
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