10月24日 月曜日

第50話 預けて

■10月24日 月曜日


「なにかあったのか? ひどい顔だぞ」


 ひどい顔って……、せめてひどい顔色と言ってほしい。


 南野は隙をつくのが上手いと思う。優しく言われたら、揺らぐじゃないか。

 でも、言えない。優しい人たちだと知っているから。


 わたしは木崎さんの続きのノートのことを、なぜあの時、南野たちに言わなかったんだろうと思いを巡らす。

 図書室でノートを見た気がすると思い出したけれど、それが木崎さんの物だと確証はなかった。一番最初に出てくる言い訳はそれだ。でもそれなら、〝本物〟だったのだからうち明ければいい。

 だけど、知ってしまった。さよりちゃんがホワイトドリームで亡くなった純ちゃんの幼馴染みなこと。本当は違うけど、世論では責められた京葉製薬のお嬢さんだったこと。彼女はホワイトドリームを憎んでいるだろう。

 アクセルはホワイトドリームの次世代型。アクセルにもいい感情は持っていないだろう。それで木崎さんと協力してアクセルのことを調べていた。

 けれど相棒が事故で亡くなってしまう……。

 喉まで出かかっていたのに、言えなかった。

 その想像は、わたしの胸をえぐることだからだ。言葉にするのは辛すぎて……。


 わたしが〝ミラクル〟を書いたのは、〝昇華〟が目的で〝願掛け〟でもあった。

 わたしはお墓参りに行ったことがない。

 なぜかと言えば、子供が行くところではないと、お父さんとお母さんが言って、連れて行ってもらったことがないからだ。

 お父さんとお母さんは毎月15日にお墓に赴く。近くもないお墓に、恐らく月命日で参るのは、より思い入れがあると知ったのは中学生の頃だ。それまでわたしは、平日であっても、仕事を休んで毎月お墓参りに行くのは、普通のことだと思っていた。

 多分、お父さんたちがお墓参りに行っていた時だと思う。わたしは探し物をしていて、お母さんたちの部屋のタンスの引き出しを開けた。そこで下のほうに布に包まれたものを見つけた。大切にされている感があって、わたしはその布を開けてみた。そこには写真がまとめられていた。アルバムに貼っていないものだ。


 小さい頃のわたしだ。少し小さな女の子と一緒によく映っていた。その小さな子とわたしは、お揃いの服を着ている。抱きついたり、一緒にポーズを取ったり。

 わたしはその子とすっごく仲良しだった。そのわたしは小学生ぐらい。

 変だと思うのは、小学校に上がってからのことなら、薄らでも覚えていそうなものなのに、わたしにはその小さな女の子の記憶がなかった。

 1枚の写真の後ろに、〝小萩とみのり、家の前で〟と書かれていた。

 実? それがこの女の子の名前だろう。けれど、わたしにはその実ちゃんの記憶がなかった。


 ある日、お坊さんから電話があった。法事の詳細の確認だそうだ。ちょうどお母さんが買い物に出ていたので、わたしは用件を聞いて、母が帰ってきたら折り返しますと電話を切った。帰ってきたお母さんにそのことを伝えると、真っ青になって焦っていた。それで何かおかしいと思った。友達もお墓参りは小さい時から一緒に行っていたと言っていたし。


 わたしは確認のために聞いていた場所などを控えていた。初めての場所に一人で、それもお墓に行くのは不安だったけど、わたしは場所を調べて、2時間半かかるお墓に行ってみた。お墓の住所?も確認で聞かれていたので、それもわかっていた。〝いー32〟の通路の8番目。やっと瀬尾家のお墓を見つけた。一番新しく、碑石に書き込まれた名前は瀬尾実、享年5歳。わたしの3つ下、……恐らく妹。わたしが8歳の時に亡くなっている。小学校3年生……全部は覚えていなくてもチラリと思い出すぐらいしてもいいはずなのに、わたしは一つも〝実〟に関することを思い出せなかった。


 なぜ、覚えていないのだろう?

 なぜ、お父さんやお母さんは、そのことに触れないんだろう?

 妹が亡くなったことを、お父さんやお母さんがわたしに隠しているのではないかと思った。どうして? 隠す理由は?

 ……その死にわたしが何か関係している?

 それはゾッとする想像だった。恐ろしくてどうしても聞けなかった。

 毎月15日はそれを思い出させる、わたしにとって憂鬱な日になった。

 どうしても聞けない、逃げてばかりの自分が嫌だった。

 もしかしてわたしが何かをしたんじゃないかと不安だった。

 わたしはいつしか、思い出せないその実ちゃんに、恨まれていたらいいのにと思うようになっていった。何も覚えていない、薄情な姉を。

 そうして書き始めたのが、ミラクルの前身の物語だった。

 妹を忘れてしまった姉は、妹の魂に黄泉の世界へと誘われる。

 妹は姉を憎んでいて、わたしはそれが当然だと思っていた。だって覚えてないんだもの。そんなひどい話ってある?って。

 わたしは罰せられることを望んでいたのだと思う。

 物語の中で主人公が、黄泉の世界へと送られ罰せられるところを書いて、自分の身代わりにしていたんだと思う。

 高校に入った。今では仲良しだけど、クラスの何人か以外はみんな持ち上がりなので、すでにグループなどができていて、わたしは馴染めずにいた。

 東の森と呼ばれる、木が生い茂った場所で、一人寂しくお弁当を広げていたりした。お供は物語をしたためたノートだった。食後に思いついた物語を書き留める。それが習慣だった。

 そのノートをどこかに落としてしまった。

 東の森で探していた時、「探しているのはこれ?」とノートを掲げてくれたのが海藤先輩だった。誰のだろうと名前が書いてあるかと中を見てしまい、面白かったので読んでしまった。恥ずかしそうに前髪を後ろに払い、そんな風に言った。自分は文芸部の部長なんだけど、うちの会誌にこの物語たちを載せてみない?と勧誘してくれた。



 わたしが文芸部に入り、少し先輩たちと仲良くなった頃、先輩が言った。


「黄泉の物語だけど、……妹の願いは姉を不幸にすることじゃないと思うよ」


 え?とわたしは驚いた。そして、あれも読まれてしまったのかと、胸が痛くなった。そんなわたしに気づかず先輩は続ける。


「妹はもう一度会いたかったんだ。笑顔のお姉さんにね。読んでそう思ったんだ。だけどその一文がないのが、もったいないと思った。君の物語に、君の本当の願いを書いてあげて」


 その言葉がわたしに染み渡った。覚えてないけれど、写真のわたしと実はとても仲良しでお互いが大好きだった。

 わたしは罰せられたいんだと思ったけど、違う。わたしは覚えてないことが悲しくて、そして不安なんだ……。


 ちょうどそんな時に漫研から原作を頼まれた。異世界に行ってしまうファンタジーがいいとのオーダーだった。

 わたしは本当の願いが迷子になってしまった、幼なじみのふたりを主人公にした。ひとりは小さい頃亡くなってしまう……。

 わたしはこの物語をかき切ろうと決めた。本当の願いがきちんと最後には届く物語を。そしてそれができたら、わたしの思いは昇華され、そして、逃げずに、お父さんとお母さんに尋ねられるんじゃないかと思ったのだ。わたしの妹のことを。


 ミラクルはほぼ書き上げているけれど、最後を調整中だ。

 まだ思いを昇華できていない。


 さよりちゃんの大好きな幼なじみが亡くなった。

 さよりちゃんがそのホワイトドリームを幼なじみにあげたんじゃないかと言われていた。

 幼なじみのお墓参りにきていた誰かを探していたさよりちゃん。

 そんなことの全てが、わたしの昇華しようとしている心を抉ってくる。

 さよりちゃんの心情を考えると、わたしが辿ってきた道みたいで、辛くなる。 そしてその胸の痛みを感じながら、それを南野と小松君に伝えるのは憚られた。 


 それに今、さよりちゃんの顔を見ても挙動不審にならずにいられるかもわからなかった。

 部室に行く前に南野と会ったのは僥倖だ。

 わたしは体調が悪いから、帰らせてもらうと伝えた。

 




 辛いけど、やっぱり考えてしまう。さよりちゃんのことを。

 あのノートを素直に読むと、ホワイトドリームで亡くなった女の子はさよりちゃんの幼馴染みで。さよりちゃんは倒産した製薬会社のお嬢さんだ。そしてパワーアップして作られたアクセルを作ったのは真鍋竜樹。ノートを書いた木崎さんとさよりちゃんは親しくしていた。二人で調べていた。アクセルを。

 さよりちゃんは幼馴染を殺したホワイトドリームを作った人を。

 そして突き止めたのではないかと思う。でも木崎さんが亡くなったのはひと月以上前だ。その時には真鍋先輩がアクセルの作り手だと確信していたようだ。

 そして時をおいて文芸部に入った。

 さよりちゃんが、監査にたれこんだのかな?

 木崎さんと調べていた時はまだ確定されていなかったけど、その後に確実に証拠を掴んだのかもしれない。

 そこまで思いを馳せて、やはり疑問に思う。

 でもやっぱり、なんでさよりちゃんは文芸部に入ってきたんだろう?



「瀬尾?」

 

「先輩?」


 わたしは持っていた鞄を後ろ手に持ち直した。

 先輩は髪をかきあげて、少し哀しそうに笑った。


「どうした? 部活は?」


「あ、今日は休もうと思って」


「なんか顔色悪いな」


「南野からも言われました」


「家まで送るよ」


「いえ、大丈夫です」


 少し前だったら飛び上がるぐらい喜ばしいことだったはずなのに、わたしは断っていた。


 先輩は眉間にシワを寄せる。


「こそこそ俺と相原さん抜きで何やってるんだ?」


 あ。


「隠れてやっていたわけではなくて、今まで調べていた結果がですね、少しずつ」


 てんぱって話すわたしに、海藤先輩はため息をひとつ。


「悪かった。怒ったわけじゃないんだ。お前たちが危険なことに巻き込まれるんじゃないかと思って、それで嫌な言い方になったな。でも知らないところで危険な目にあわれるのはごめんだからな、それぐらいなら、全部話して。力になるから」


 その表情は、文芸部の会誌に、わたしの話を載せないか?と言ってくれた時と同じく、優しくて温かかった。


 言い訳するならば、わたしはすがりたかった。

 さよりちゃんのしてきた思いが辛すぎて、彼女に対してどうしていいかわからないと思ってしまった。

 誰彼構わずすがりたかったけど、伝えるために言葉にするのは痛苦しかった。

 けれど、先輩なら。黄泉の物語を知っている先輩になら、言えそうな気がした。

 わたしは先輩に甘えてしまったんだと思う。堰が切れたように、言葉が飛び出す。


「先輩、どうしよう。わたし、さよりちゃんを助けたいのに、どうしていいかわからないんです」


「どういうことだ?」


 あまりにも目が真剣で。やっぱり先輩はさよりちゃんが大事なんだ…。鈍い痛みが押し寄せてきた。


「先輩は6年前のホワイトドリームのことを覚えていますか?」


 先輩は呆然としてから、ああ……と促した。


「都市伝説だったのに、実在したって知らしめたのが9歳の女の子が亡くなった事故でした。神社の境内から落ちて、鑑識の結果、どうみても自分から〝跳んだ〟可能性があった……。勇気の出る飴とも呼ばれていたホワイトドリームは、興奮剤が入っていて、怖い気持ちが消える飴だと言われていて……。そのため、信じやすい子供にはよく効いたのではないかと思われているそうです。そのホワイトドリームの成分は京葉製薬のヒット商品ハーブキットから作り出したと、多くの人が間違った認識でいました。その製薬会社はつぶれたんですが。

 さよりちゃんはその京葉製薬の社長令嬢で、神社から落ちた女の子と親友だったんです」


 様子がおかしい。


「先輩、先輩?」


 先輩は目頭を押さえ、そして体をくの字に曲げた。


「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」


 先輩はうつろな瞳でわたしを見上げた。


「もうみんな、そのことを知っているのか?」


 わたしは首を横に振った。


「いえ。わたしが偶然知ってしまって。まだ言ってません」


 先輩がわたしの両肩に手を置いた。


「この件、俺に預けてくれないかな」


 なぜ? どうするの?

 聞きたいのに、口にするのは躊躇われた。

 両肩の熱い重みが、頷くことしか許してくれなかった。

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