10月20日 木曜日

第44話 ブレザー

■10月20日 木曜日


 起きると、何故か男子の制服を抱え込んでいた。

 わたしのベッドだし、パジャマも着ている。

 でも、なんでブレザー?


 パジャマのまま一階に降りていく。


「お母さん、このブレザー何?」


 お母さんはじっくりとわたしを見る。


「起きたのね。どう気分は?」


 気分?

 そう尋ねられるということは、何だっけ?


 お母さんを目で追いながら、記憶を辿る。

 お母さんはキッチンに。お鍋と牛乳。そして金色の缶。

 ココアだ。


 元気を出してという時に作ってくれるココアだ。


 そう思った瞬間、一気にフラッシュバックした。

 鬼気迫る先生の顔。不安になる茜色の空。

 誰かの上をさした指。その先の女子のシルエット。

 柵が揺れて、そのまま。わたしは目を押さえる。ぎゅっと目を瞑る。

 でも映像は止まらない。そりゃそうだ。映像はわたしの記憶の中にあるのだから、目を瞑ったってなんの効力もない。


「大丈夫?」


 お母さんが支えてくれていた。

 目を瞑ったままいう。


「お母さん、わたし酷いね。一瞬忘れてたよ」


 お母さんがわたしの頭を撫でてくれる。


「それは自己防衛っていうのよ。辛いことをいっつも覚えていたら、今を生きられないからね。小萩は悪くないのよ」


「知ってる娘なの。最悪な出会い方だったけど、少しだけ話したりして」


 わたしはお母さんに、桂木さんのことを話していた。

 きつい印象の子だったこと。最初は喧嘩みたいになってしまったこと。でも何故か向こうから歩み寄ってくれて。きちんと自分の考えを持っていて、わたしの童話を嫌いだと言いながら、いくつも読んでくれていたみたいだったこと。

 ここが許せない、あそこは変と言いながら、ファンかって言いたくなるほど、隅々までよーく読んでくれていたこと。

 わたしは苦手だったけれど、自分の意見を臆することなく言える彼女を、どこか尊敬していたこと。

 一通り泣きながら話して、うんうん聞いてもらううちに、どうにか落ち着いてきた。

 でも、お母さんには何を言っているのか、よくわからなかったんじゃないかと思う。ボロボロと目から熱いものが落ちて、鼻絶えずすすっていたし、喉の奥が熱くて痛くて、ちゃんと話せてなかったから。

 それでもお母さんは、頷いてくれたから、わたしは胸から溢れてくる痛い思いを、話し続けた。


 わたしの顔を手で包んで、指で涙を拭ってもらう。

 こんな甘え方をしてしまうなんて、何年ぶりだろう。


「もう、大丈夫ね。ココア入れてあげるから」


 わたしを座らせて、キッチンへと。

 そしてまだ握りしめていたブレザーに気づく。


「お母さん、このブレザー何?」


 最初の質問に出戻った。

 お母さんはわたしを振り返り、ああ、と頷く。


「携帯に出ないからって南野君と小松君からそれぞれ電話があったから、後で電話しなさい。正気じゃなかったから、すっごく心配してくれてるわよ」


「正気じゃない?」


 大騒ぎの悲鳴の後、シーンと静まり返った。一瞬だけ、誰も動けなかった。

 わたしが覚えているのはそこまでだった。


 お母さんは今日は学校が臨時休校になったと教えてくれた。


「……わたし、どうやって帰ってきたの?」


 お母さんは振り返ってニヤリと笑った。

 わたしの気持ちを盛り上げようとしていた。


「どっちが本命?」


「お母さん?」


「普通に帰ってきたわよ。二人の男の子に見守られながら」


 げっ。


「すごいショックを受けていると思います。一応、受け答えはしています。病院は行かないと言っています。だから送ってきたって」


 げげっ。


「ゆらゆらと家にあがっても、離さなかったのよ、小萩ったら」


「離さない? 何を?」


「かわいい感じの男の子の方の制服を、掴んだまま歩いてきたんでしょ? 帰ってきても離さなくて。少しあがってもらって、ここで手を離させようとしたんだけど、小萩ったら絶対離さなくて。小さい頃思い出したわよ。ほら、あのピンクのタオル。眠る時あんたあれ絶対離さなかったもんね。無理やり離そうとしたら、その男の子が、スッとブレザーを脱いでくれたのよ。置いていきますって」


「なんで離して返してくれなかったのよ?」


 かわいい感じということは小松君のだ。

 っていうか、なんで引き離しといてくれなかったのよ。

 ブレザーは見事にしわくちゃだ。


「お母さん、クリーニング、明日の朝までにやってくれるとこあるかな?」


「駅前の白泉クリーニングなら大丈夫じゃない?」


 わたしは1分でも早くクリーニングに出すために階段を登った。


 着替えてきて下に降りてくると携帯が鳴り、出ると小松君だった。


「電話くれたって聞いたから、かけるつもりだったのよ、ごめん!」


 電話から聞こえる声は、いつもよりちょっと新鮮な気がした。

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