10月19日 水曜日
第43話 ターゲット
■10月19日 水曜日
国際経済研究同好会の部室には、今日も真鍋先輩しかいなかった。
パソコンをいじっていたのだろう。デスクトップ前の椅子がこちらに回転している。
「一人?」
わたしはそうだと頷いた。
再チャレンジだ。先輩は何も知らないみたいに言うけど、もっと話せば見えてくることがあるはずだ。
真鍋先輩はびっくりするぐらい大きなため息をつく。
今日は招き入れてくれて、お茶はいるかと聞いてくれた。
わたしが首を横に振ると、もう一度小さくため息をつく。
「深刻そうな顔つきだねぇ。告白かな?」
はい?
わたしが顔を上げると、真鍋先輩は真面目な顔つきだった。
いわゆるイケメンだ。それで特進クラスで。
そんなスペック持ちなのに、少しも楽しそうじゃない。
「この部室、ほとんど俺一人なんだよね〜。そんなところに女の子一人で来ちゃダメでしょ。好意もたれてるとなればなおさら、責任持てないよ。歯止めがいつきかなくなるか、わからないからね」
そういって目を泳がせた。
さよりちゃんもよく来ていたと思うけど。
壁に背中をあずけ、腕を組み、泳いだ目はパソコンラックの下の方に注がれる。
歯止め、何故か耳に残った。
多分今、いろんなことが重なっていたからだと思う。
普段だったら、何をからかっているんだと息巻いているところだ。
真鍋先輩は教えてくれている。ここには「歯止め」になるものがあると。恐らく……盗聴器。
「わかっちゃいましたか。告白しにきました」
真鍋先輩は悪い顔で笑う。
「先輩は悪いことでもしてるんですか?」
何か疑われて、それともこれも真鍋先輩のファンクラブがあって、つけられたのかも。
先輩はわたしが逆に驚くほど呆然として、顔を歪める。
「直球だな。これは、くる」
自嘲気味に笑い、目を細める。
「もう、ここに来ないこと」
開きかけたわたしの口を手で塞ぐ。
「いい度胸だな。上級生に喧嘩売ったんだぞ。俺に何されても文句言えないぞ」
そのままわたしを、部室から追い出そうとする。
振り返ろうとしても、強い力で押し出し、そっと耳に囁く。
しばらく一人になるな、と。
会議室に仕掛けられた盗聴器は、裏ファンサイトの子に仕掛けられた物だった。じゃあ実験室は? この経済研究会の部室は?
校庭では運動部がところせましと部活動に精を出していた。
さよりちゃんは日曜日に話してから、文芸部の居心地が悪くなったようだ。ちょうどわたしたちが疑いを持った時と重なる。それからはもっぱら海藤先輩と行動している。海藤先輩は引退されているのにさ。
会議室の盗聴器はすでに取り外されたけど、あれからやはり憂鬱さを感じる場所になってしまった。
真鍋先輩のところに行ってから、秋の大会のインタビューを各部の休憩時に特攻していたら、もうこんな時間だ。
一点の茜色がゆっくりと時間をかけ、夕焼けの儀式を始めるところ。
パ・ラパ、パ、吹奏楽部もパート練習から、みんなで集まって一つの曲を合わせる練習に切り替えたようだ。
校庭の片隅で手分けして集めたインタビューを報告しあう。その後、なんとなく押しだまった。
小松君がわたしが昨日話したことを軽く南野に伝えたようで、詳しくと促され、わたしはふたりにもう一度、さよりちゃんと帰り道に話したことを話した。やはり沈黙が降りる。
「あ、それと、真鍋先輩とは付き合ってないって」
「相原に聞いたんですか?」
「うーうん、真鍋先輩に聞いた」
「ひとりで聞きに行ったんですか?」
「うん」
小松君と南野で顔を合わせている。唐突ではあったと思う。
「よかったね」
というと、ふたりは変な顔をした。
真鍋先輩もあのストーカーと同じように、さよりちゃんを救ってあげたいと考えている。それだけはふたりにも伝える。
「お前、ほんっと怖いもの知らずだな」
南野に言われるのは心外だ。わたしよりよっぽど臆することのない人が。
さよりちゃん、みんな、さよりちゃんのこと心配してるよ。でもそれがわかると彼女は離れていくのかもしれない。なんかそんな気がする。
誰かがこちらに向かって歩いてくる。通り過ぎると思ってのに、足音が必要以上に近くなって、なんだ?と顔をあげる。
「瀬尾!」
桐原先生だった。息を切らしていて肩で息をしている。走ったからか顔が火照っていた。
「ど、どうなさったんですか?」
顔が思わずこわばってしまう。だって、なんか変。
「会議室にいないから探したよ」
先生は前髪をかき上げる。怖いくらいに爽やかだ。
なんで探されてるの?
わたしは桐原先生の授業は受けていないのに。
「なんでしょう?」
先生はわたしの腕をとった。
「ちょっと話があるんだ。一緒に来てくれ」
そういって校庭の中央を横切るように練習中の運動部の真ん中をずんずん歩いていこうとする。なんで真ん中? ……普通じゃない。
手を振り払おうとするんだけれど、びくともしない。わたしはもう一方の手で先生の手をはずそうとする。
「先生、行きますから、離して下さい」
わたしの必死さが伝わったのだろう。小松君が隣にやってきて遠慮深げに言う。
「先生、小萩先輩、痛そうですよ」
「先生?」
南野も手伝ってくれようとしたけど、先生はまっすぐ本校舎に顔を向け、耳も聞こえない様子。
なんだ? なんだ? と運動部の人たちが、一人また一人とこっちを見る。
そりゃあ、見るわなぁ。各練習場を先生が生徒三人を引きずるようにして歩いて行くんだから。この力も異常だ。
わたしはどうしようと左右の南野と小松君を見た。
「ちょっと、あれ?」
陸上部の女の子が屋上を指す。
わたしたちに目を留めていた人たちは、みんなその声が聞こえたと思う。
それで、指された方を見上げた。
あのシルエットは……。
屋上で身を乗り出すように金網に張りついているのは桂木さんじゃない?
がくっと彼女が揺れた。ギギーっと音がした。
柵が……。
脳がバグったのか、スローモーションで見えた、ような気がした。
遠くで悲鳴が上がり、わたしを捕まえる手が離れ、屋上から降ってきた物が、ぐしゃっと音を立てて先だけが変にこっちを向いた。
視界が遮られ、南野と小松君の背中だってことはのろのろと理解したけど、わたしはもう生きているはずもない形相をしっかり見てしまった後だった。
落ちると思ったとき上げられた悲鳴は、落ちた後は誰も何も言えず、動けなかった。
その後のことはよく覚えていない。
南野と小松君に支えられて帰ってきたそうだけど、よくわからない。
後から校庭はパニック状態で多くの生徒は、気を失ったり、倒れたり、または吐き気を催し、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図になったということだった。
わたしは悪夢を繰り返しみた。
落ちたのがさよりちゃんに変わって見えたり、髪切り魔に追いかけられたり。刑事さんの車に乗せられて、これがアクセルだ、そんなことも知らなかったのかと怒られたり。
カーテンの隙間から見える日の光に安堵して、やっと眠れた気がした。
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