第18話 親切
廊下には桐原先生が待っていた。うちのクラスの前にだけ、人っ子ひとりいない。
教室のドアがわざとらしくしめてあるけど、上部分の磨りガラスに陰が映っている。皆がドアにへばりついて会話を聞きとろうとしているのは明白だ。
噂は広がっているらしく、すうっとのびた廊下の遥か向こうからの視線がチクチク突き刺さる。休み時間なんておさまりがつかないほどうるさいものなのに、今は音がまったくしない。神経を集中しているに違いない。
「体育、大丈夫だったのか?」
えっ? それをわざわざ? 一瞬何の用だと思っちゃった自分が情けない。
先生はとことん親切で優しいだけなのだ。
「はい、大丈夫でした」
罰はありましたけど、と心の中でつけ加える。
そうか、よかったな。と目尻を和ませる。
「そういえば、ちょっと耳にしたんだけど、昨日の被害者を発見したのって、瀬尾なんだって?」
先生は前髪をかきあげる。
へえ、どこで聞いたんだろう? そう思いながら頷く。
「ええ、そうです」
「犯人を見なかったのかい?」
「ええ、被害にあった後、通りかかっただけだし」
「本当に?」
「……はい。動揺していたのもあるかもしれないんですけど、何も目に入らなかったですね」
「桐原先生!」
声のした方を見ると、背景に冷たい炎を背負った美少女、桂木さん?
後ろに何人もの女の子を引き連れて。
ポニーテールの女の子が駆け寄り、
「先生、ちょっと教えていただきたいところがあるんです」
先生の腕を取り強引に連れていこうとする。
「質問か? わかった。ええっとじゃあな、瀬尾」
2、3人の女の子が先生を引っ張っていく。
「瀬尾、先輩」
なんだ、この殺気は? 今、先輩の前に一拍あったぞ。先輩ってつけるのも嫌な感じだったぞ。
「先輩、先生を好きなんですか?」
はあ? 面くらったけど、もの凄く面食らったけど、思い詰めたような表情を見てしまっては、無碍にできない。
「いい先生だと思うわよ?」
桂木さんに答えると、彼女は真剣な眼差しでわたしを見据える。
「桐原先生を拐かす、おつもりですか?」
ショートカットの女の子がいった。
かどわかす? そんな漢字は絶対書けないと、このタイミングに似つかわしくないことに思考を奪われる。脳が逃避したがっている証拠だ。
うわっ。皆さん目が真剣。みんな桐原先生にお熱な人たち?
「答えなさいよ! 桐原先生は私のものだとでも思っているんですか?」
ソバージュの子がわたしを睨み付ける。
っていうか、どんな短絡思考だよと困惑してるんだけど。
「は?」
「ごまかさないで。今日の2限、図書室で何してたのよ!」
あのねえ。人を思う気持ちは分かるところがあるから、暖かい目で見てあげようと思った。多少、ううん、かなり理不尽でもね。
でも、これはあんまりよね。勝手に決めつけちゃって。
「貧困な想像力に、人を当てはめないでくれる?」
言ってから気が短いのは欠点かもしれない、と思う。
「ふざけないで! たった1年早く生まれてきたからって威張らないでよ」
んあ? ……っお、おい。涙声。1人が手で顔を覆うと、団体様は一斉にヒクヒクやりだした。桂木奈緒を抜かして。
わたしはといえば、あまりのことに口をぽけっとあけたまま。
何故、泣く?
そっちが聞く耳持たないから、ちょっと言ったら、……誰が威張ったんだ?
それにさあ、この展開変よね。みんな桐原先生にお熱、なんでしょ。わたしと桐原先生はなんでもない、それを何かあるように誤解してるんだとしたら余計わたしに言うのは筋が違うだろう。団体で言えばなんとかなるって思ったわけ?
「いいかげんにしないか」
見慣れたポーカーフェイス、南野だった。
「瀬尾と桐原先生が付き合おうが、付き合うまいが、それは2人の問題で、お前たちが口を挟む問題ではないだろう」
女の子たちは息をのむ。
桂木嬢がくるっと向きを変え歩き出すと、その他大勢も桂木嬢の名を口にしながら追いかけていった。
パチ、パチ、パチ。
教室に隠れていた、クラス連。遠巻きに見ていた2年生の中から拍手が起こる。
「お見事ですね、南野君」
委員長がどこからともなく現れて、南野の肩をたたく。
「助けてくれようとしたなら、お礼言うけどさ」
わたしがいいかけると南野は
「いや、ただ飯の時間に耳障りな音をたてるから追い払ったまでだ」
やっぱりね。
「……あのおい払い方だと、わたしに矛先が向けられたままになるんだけど」
ふうと息をつくふりをして、そっぽを向く。
南野ってそういう奴よね。
その時スピーカーがきゅううんと鳴って、アナウンスが流れた。
「2年C組、瀬尾小萩さん。至急校長室まで来て下さい。繰り返します。2年C組……」
「小萩?」
心配そうな香ちゃん。
校長室? 何なのよ。まあ、行けばわかるわよね。
「南野。とりあえず、ありがと。それからさよりちゃんの」
最後まで言わなくても南野は頷いてくれた。
「あっちはおれと小松に任せておけ」
わたしは心配そうな顔に見送られながら、一階の校長室に向かった。
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