第28話 格差

 真鍋先輩に連れてこられたのは、彼の入っている同好会の部室だった。

 国際経済研究同好会は、羽振りがいいらしい。他の会員は見あたらないけど、備品がほぼ新しい。棚からは高そうな紅茶の缶があらわれる。カップも上品なのが並んでいる。何よりあのゴージャスソファーに、大きなデスクトップのパソコン。ほぼ使われてないといっても会議室と併用な我が文芸部とのこの差は何? うち一応〝部〟で、こっちは同好会なのに。


「お茶いれますね」


「あんた、よっぽど大切にされてるんだな」


 さよりちゃんが紅茶をいれてくれるからだろうか?

 真鍋先輩はそんなことを言った。



 さよりちゃんがポットとカップをお盆に載せてこちらに歩きだしたとき、移動しようとした真鍋先輩がつまづいて、その少し前にいたわたしに倒れこんできたような形になった。

 180センチは超えているかもしれない。南野よりかなり高いから、わたしはある程度の重みがかかるのを覚悟した。

 ところがその重みは、思ったよりも全然軽いもので、そしてしなだれかかってきた腕に力が入る。

 ……これは。

 これは、もしかして俗に言う抱きつかれている部類に入るんじゃないかと、わたしの中で疑問が起こった。


「ちょっと、竜騎先輩、何してるんですかっ?」


 声を荒げたのはさよりちゃんで、お盆ごとテーブルに置くような音がした。すぐに真鍋先輩が遠のいたのは、さよりちゃんがひっぺがえしてくれたからだというのがわかった。


「信じられない、何考えてるんですか?」


 そりゃ、彼女の目の前で他の女に抱きついたのだから、当然しかるべき制裁だ。さよりちゃんは真鍋先輩を睨みあげて、食器棚の方に戻って行った。

 先輩はちっとも堪えていないようで、ちろっとわたしを見て、そして言ったのだ。


「ほら、大切にされてるだろ?」


 わたしの眉間には深いシワが寄っていると思う。だって、真鍋先輩の主語はあきらかにわたしを指している。

 真鍋先輩がわたしに抱きついて、彼女であるさよりちゃんが彼氏である真鍋先輩を怒る。

 それのどこがわたしが大切にされていることになるのだろう?


「あいつはおれを信用してないんだ。おれからあんたを守っている。これは、面白い」


 ??

 さぁっぱり、わからん!




「国際経済研究同好会ってどんな活動をしているんですか?」


 部屋の中を見渡しながら、勧められたままソファーに座り、わたしは尋ねた。

 すると、先輩はふっと笑う。


「そのままだけど? 世界の経済研究」


「お金の流れを研究する経済研究ではなく、お金持ちになるための研究なんですよね?」


 拗ねたように、少しだけ侮蔑も含んだ声音でさよりちゃんが言う。彼女はもう先輩に尋ねたのだろう。

 さよりちゃんの入れてくれたのはアッサムティーで、香りが抜群に良かった。

 ひと口含んで喉を潤す。


「今まで研究してきて、先輩が一番儲かると思ったものは何なんですか?」


 デスクの椅子に腰を下ろした先輩は、わたしに視線を合わせた。


「へー、さすが文芸部。なんか取材されてるみたいだな」


 わたしは手を横に振った。


「いえ、こんな取材の仕方なら怒られちゃいます。ただの興味本位です」


 するとスッと先輩の顔が引き締まった。

 あれ、まずいこと言ったか? 先輩を不機嫌にさせてしまったか?

 でも先輩は答えてくれた。


「俺の個人的な受け取り方かもしれないけれど、一番儲かるのは武器商人だと思う」


 予想外の答えな上、ショッキングでもあったので、思考が停止してしまう。

 先輩はわたしのそんな様子を見て、ニヤリとした。

 美味しい紅茶をもうひと口。なんとか心を形だけ落ち着けて、そしてさらに尋ねる。


「……研究して、これからに活かしたいと思ったことはどんなことですか?」


 ニヤリが消えた。一瞬だけ視線を彷徨わせて、


「格差ってなんで生まれると思う?」


 逆に尋ねられる。

 格差がなぜ生まれるか? そんなことは考えたこともなかった。だから正直に言った。


「考えたことなかったです。今考えても、負のスパイラルとか聞いたことあるけれど、それだと元があるからで、生まれた環境に基づくみたいな考えはなんか嫌だから、別のこと言いたいんですけど、今は思いつきません」


 先輩はわたしをじっと見た。そしてふっと息を出して、またわたしを見る。


「格差は、格差があってほしいと思う奴がいて、そう願い行動している奴らがいるからなくならないんだ」


「なんですか、それ? 竜騎先輩、思想論ばっかりなんだから!」


 さよりちゃんはそう憤っていたけれど、わたし的には真鍋先輩は評判よりずっとちゃんとした人なんだなと思えて嬉しかった。


 だってさ、うちの高校で選ばれた7人の一人が、トップの集団の一人が、ただ試験による頭の良さだけだったら切ないから、さ。わたしは真鍋竜騎を尊敬する。

 お金持ちになりたい、それもいいと思う。その研究を始めたのも、そしてその結果思うところがあっても、それもまた素敵だ。わたしはそれがどんな仕事だとしても、全てを知っているわけではないから、それによって何かを思うことは良くないと思っている。

 先輩は、これから活かしていきたいことの答えに、「格差」を挙げてきた。そしてそれがなくならないのは、願い行動する人たちがいるからだ、と。

 先輩は多分悪い人じゃない。さよりちゃんの彼氏だとしても。うん、安心した。

 耳に心地いいさよりちゃんと先輩のじゃれあいを聴きながら、美味しい紅茶を楽しんだ。




 部室に戻ると、南野も小松君も戻ってきていた。

 海藤先輩もまたもやいらしていて、嬉しいはずなのに、正反対に心のどこかがざわざわする。

 それはさよりちゃんの表情がどこかほころんだ気がするからなのか、海藤先輩の引退した部活に顔を出す理由がさよりちゃんであると予想しているからなのか。


 でもさよりちゃんには真鍋先輩がいるはずで。

 否定する材料はいろいろあっても、心のざわめきは止まらない。

 こういうのって無意識に感じ取っていることが多いんだよね。

 そう否定の材料は、噂の域を出ていない。

 さよりちゃんに真鍋竜騎という彼氏がいるってこと。これは噂だ。仲良さげだったけど、付きあっているかは定かではない。

 海藤先輩とさよりちゃんはまだ出会って4日目……。

 思いがぐるぐるする。

 さよりちゃんは真鍋先輩に文芸部に入ったことを言ってなかった。怪現象のこと、言ってないみたいだ。亡くなった友達への気持ちが今も強く残っている。それを彼氏には言いにくかったのかと想像もできるけど。一般的に怖い目にあったときに、頼るのは彼氏とかじゃないかな? でもそうしていない。内容が内容だけに彼氏には話せないことだったのか、それとも彼氏ではないから話さなかったのか。

 自分に起きていることをまるで知っているような物語に出会ったら、その書いた人に会って確かめたくなるのはわかるような気がする。でもそれも勇気いるよね。彼氏に相談しないかな? 聞くときについてきてもらったりしないものかな?

どうなんだろう?


「小萩先輩、どうかしましたか?」


 え?


 顔をあげると、声をかけてくれたらしい小松君だけじゃなく、みんながわたしに注目していた。


「あ、ごめん。ぼんやりしてた」


 わたしは慌てて笑って見せた。






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