第16話 平等

 惹きつけられるように本を取りだし表紙をめくった。優しい色使い。容赦のない物語のはずなのに、文章を追うごとに心がきれいになっていくような気がする。

 なんていうのかなー。水田マリさんの世界観って、透き通った感じじゃなくて、どこか濁ってるの。きれいなものだけで成り立ってるわけじゃなくて、汚いものや、邪悪なものや、マイナスな要素のものを物語の中にきちんと存在させているんだよね。うううん、どちらかというと、マイナスとマイナスを掛け合わせたからプラスの正数に反映されているだけだといわんばかりで。初めて読んだ時は童話なのに毒々しいなって思ったんだけど。でも、そんな中で希望を夢みてしまったり。足掻いてしまったり。足掻いたから見つけられることがあったり。そんなメッセージは、なんだかとても安心できた。憧れた。


 自分が世界にそぐわないように思うときがある。なんでこんな汚かったり嫌だったり、ダメなんだろうって、どうしようもなく打ちひしがれることもある。 

 ま、それさえも中途半端なのかもしれないけど。そんなときに、そんな汚ささえもダメっぷりさえも、必要とされて成り立っているって、なんだかそう言ってくれている気がするのだ。


 もうすぐ一番好きなシーンがある。もうよれよれに疲れ切ったかたつむりにお日様は問うんだ。「お前はそれを許すことができるかって」わたしお日様だけは絶大なもので無償に願いを聞いてくれるんじゃないかって勝手に思っていたからショックだったなあ。

 でもそれは意地悪でも何でもなくて、お日様はみんなに平等なだけだった。だからえこひいきは許されない。だけどかたつむりの願いを聞いてあげたくて最後に質問をするんだ。「お前が私の立場ならどうする?」って。


 その時やたらにかわいらしい声がした。


「あら、ご返却? 貸し出し? ごめんなさいね。職員室に行ってたものだから」


 ふっくらしたおばちゃんが、手を口に当ててオホホと笑う。


「返却です」


 司書のおばちゃんは一応急いでるかのように腰掛ける。


 わたしは童話を元の場所に戻す。もう一つの水田さんの童話と薄いノートみたいな本の間に。本じゃなくてこれ、ノートだ。違和感を感じてノート引き出す。1ーAとネーム入り。間違って戻しちゃったのかしら。


「お待たせしちゃったわね」


 声をかけられて、返却に来ていたことを思い出す。戻して、わたしも窓口に向かう。


 古くからある学校なので、年季の入ったものもいっぱいある。この図書室もそうで、床が木張りだ。歩くとギシギシ軋む。卒業生たちの古き良きものを残して欲しいという意見が強くて、一気に近代化できないと誰かから聞いた気がする。

 学院の理事長の一派が古き推しで、校長派が近代化推しらしい。

 だから学院には古いものと新しいものが混在している。

 残念なことに図書室は古いに寄っている。バーコードにしたのも数年前で、それまで手続きは手書きシステムだったそうだ。


「ご返却ね。いつ借りられた、どなたかしら?」


 おばちゃんは満面に笑みを湛え、わたしをしっかりと見て一言一言区切るように間をおいて話す。相手の目を見て話すのがモットーなようだ。


 彼女はパソコンの画面を見てから、キーボードに目を走らせた。本に貼られた学校図書用のバーコードをピッとやれば、借りるときに読み込まれたIDカードの情報がパソコンの画面に出てくるはずだ。


「多分、今朝だと思います。社会科の沼田先生です」


「沼田先生? ああ、沼田先生ね。ちょっと待っててね」


 キーボードをいくつか押していて、まだバーコードに手を出さない。何か不都合があるらしく首を傾げている。


「あら、おかしいわ」


 ちらっと画面を見ると真っ黒なまま。

 おいおい、節電モードからまだ立ち上がってないの?


「あの、節電モード解除しないとじゃないですか?」


 やんわり指摘するとわたしを驚いたように見て、パチンと手を合わせる。


「そうだったわね。変だと思ったの。ええとF8を…」


 おばちゃんはキーボードを押してみるんだけど、画面から視線が外れない。彼女はきれいに整頓された机の上の手引き書の上に指を走らせた。ひえ、解除のしかたがわからないとか?


「あの、わたし急いでいるんですけど」


「そうよね。ごめんなさいね。すぐにやりますから、ちょっと待っててね」


 そう言われてしまうと、何も言えない。

 そうこうしているうちに、とうとうチャイムが鳴った。


「あのー、授業が始まるので、名前言いますから、何かあったら言ってくださるということにしていただけると助かるんですけど」


 おばちゃんは長いまつげをぱちくり。


「そうよね。そうね。お名前聞いとくわ」


「2ーCの瀬尾です」


「はいはい。紙。えーと紙は」


 今度は紙と鉛筆を探し始める。

 なるほど、机の上はきれいに整頓されてるものの、肝心なものは見つからないようになっているみたいだ。

 そこにドアが開いて


「あれ? 瀬尾? チャイム鳴ったぞ」


 桐原先生だった。


「知ってます」


 先生は微妙な表情を浮かべた。けれど、他にどう言えばいいのだろう?

 

「あら、桐原先生。ご返却ですか?」


 このおばさんは。


「あの、わたし行っていいですか?」


「そうだったわ。えーと紙、紙」


「どうしたんだ?」


 説明するのも億劫で黙っていると、案の定おばちゃんはうれしそうに話し始めた。


「いえね、この方がご返却なんだけど、端末の調子が悪くて。授業が始まってしまいますから、とりあえずお名前をかきとめておこうと」


「端末壊れたんですか?」


「いえ、多分節電モードを解除すればだと思うんですけど」


 そう言うとなるほどとうなずく。

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