第5話  怪しいメール

 もう一度椅子に沈むと、相原さんがわたしに尋ねる。


「海籐先輩って、いつもいらっしゃるわけじゃないんですか?」


「うん。引退なさっているからね」


「引退?」


 相原さんが首を傾げた。

 うちの学校は大学部があるから、3年生でも滅多に引退することはない。だから不思議に思ったようだ。


「海籐先輩、違う大学受験されるんだよ。だから部活は引退」


「……海籐先輩って校長先生や、会長と親戚ですよね? それなのにうちの大学部、行かないんですか?」


 わたしは相原さんの情報通っぷりに驚いた。海籐先輩と校長先生や経営陣が親戚なこと知っているなんて。先輩は学校で名字を変えているほど、気づかれたくなくて隠している。わたしたちはそのことを偶然知ってしまったのだけれど、気を遣われるのは嫌だからと、絶対の口止めを約束させられた。


「気象学をやりたいんだって。KO大学に気象学に強い憧れの教授がいるらしいよ」


「………気象学?」


 小さくつぶやいた相原さんを見ると、顔が青ざめていた。


「相原さん、なんか顔色悪くない? 大丈夫?」


「えっ、あ、平気です。なんでもありません」


 彼女は弱々しく微笑んだ。

 後ろから声がかかる。


「小萩先輩、これから何か用事ありますか?」


 うーうん。わたしは小松君の問いかけに首を横に振る。


「じゃあ、お茶に行きましょうよ。南野先輩もいいでしょ?」


 小松君はやけにのり気。南野も別に用事はないが……と不審がっている。


「相原も……」


 彼女はこくんとうなずいて


「教室に鞄取りに行って来ます。門のところで待っていていただけますか?」


 頷くのを確かめてから、ヒョイと出ていってしまった。

 なるほど。他3人は鞄をしっかり持ってきている。先のこと先のこと、よく頭のまわる娘だ。



 それよりお茶なんて珍しい。先輩がいた頃はよく行ったけど。


「どういう魂胆だ?」


 南野の問いに、小松君は肩の高さで手をひるがえしてみせた。


「お茶に魂胆も何もないですけどね。新入部員の歓迎と、……多分、相原の話ってのは入部のことじゃなかったと思うんです。だから……」


 思わず南野と目を合わせちゃった。

 そっか。小松ってば、いいとこあるじゃないか。


 はは。もしかして小松君はさより嬢のことを好きなんじゃないかしら。

 いいねぇ、青春していて。わたしは自分をかなりおばさんくさいと思いながらも、顔がにやつくのをとめようとは思わなかった。


 メモ程度に議案を書き込んでいたノートパソを切る前にメールをチェックすると、受信箱に新規のメールが届いていた。文芸部のメールはわたしが受信している。


「うわっ、めずらしっ。文芸部にメール来てるよ」


 これには小松君も驚いたらしく、わたしのノートパソコンをのぞき込む。


「えー、生徒会からのお知らせとかいうオチじゃないっすよね?」


 わたしはダブルクリックをしてメールを開いた。

 タイトルは「文芸部の皆さまへ」

 となっていた。

 わたしは読んだまま、その姿勢で固まった。

 隣の小松君も同じ状態で、困惑しているのが窺える。


「どうした、瀬尾、小松?」


 見てもらった方が早いだろうと、わたしはパソコンを少しずらした。

 絶句しているわたしたちをちらっと見てから、南野はノートパソをのぞき込む。


「なんだこりゃ」


 南野の口調が軽かったから、わたしたちもほっと息をつけたのだと思う。

 メールにはこう書かれていた。


「文芸部の部長は人殺し」







 駅前の喫茶店は繁盛しているらしく、空いているテーブルがひとつしかない。


「ついてますね」


 さより嬢が小さく笑ったのは、空いているテーブルが、奥の窓際だったからだろう。この喫茶店に入るのは初めて。落ちついた茶系統でまとめられていて、所々に観葉植物が飾られている。

 遠くにいく電車のような向かい合わせの背の高い椅子で、その空間はひとつひとつ区切られた小部屋のようになっていた。わたしがまわりを気にしなくてすむからいいねと感嘆すると、小松君は狭苦しいだけじゃありません? と小さい声でぼやいた。


 さよりちゃんは高校からの新顔組だから庶民感覚があるのだろう。南野は去年先輩に連れられて、喫茶店にも何度も来ているから免疫ができたようだ。小松君は確かけっこういいところのお坊ちゃんのはずだ。

 彼は去年、中等部だったけど、ひょんなことから海藤先輩と知り合い慕って、文芸部に遊びに来ていた。最初値段の書いてあるメニューを珍しがり、目を輝かせて見ていたことを思い出す。カードしか持っていなくて、会計ではまだ現金しか使えないところもあるよって教えたら、顔を青ざめさせたっけ。そんな彼も、難なくお店に入れるようになっていて感慨深い。


 窓際はわたしとさよりちゃんがぶんどり、わたしの隣が南野、さよりちゃんの隣が小松君と落ちついた。

 エプロン姿のウエイトレスがやってきたので、わたしたちはそれぞれ注文する。


「コーヒー」

「僕もコーヒー下さい」

「アイスティー」

「オレンジジュース」


 ウエイトレスが注文を繰り返していってしまうと、小松君が待ってましたとばかりに言う。


「いやー、小萩先輩、オレンジジュース狂でしたね、そういえば」


「あんたねぇ。わたしがいつオレンジジュースに狂ったのよ? べつに1回に5杯も6杯も飲んだわけじゃないでしょ。失礼ね」


 南野がチラッと横目でわたしを見た。


「なに?」


「いや、去年のクリスマス会の時だっけ。お前確かオレンジジュースをがぶ飲みしてたなぁと思っただけだ。そうか、4杯までは狂ったうちにはいらないんだな」


「小萩先輩にはそういう過去があるんですね」


 すかさず、小松君がつっこんでくる。


「海藤先輩も感心してたもんな」


「えっ! なんて?」


 よくないニュアンスを感じながら、左横の南野を見上げる。


「瀬尾はよっぽどオレンジジュースが好きなんだなって」


 げっ。海藤先輩にあきれられてたんだ。うっー。

 さより嬢はくすくすと口元をおさえて笑っている。そこに飲み物が運ばれてきたので、話は中断された。

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