10月3日 月曜日

第2話 始まり

■10月3日 月曜日


 開けっ放しの扉から、秋の風が吹きこんでくる。

 ほのかにキンモクセイの香りがした。通称『東の森』でオレンジ色のかわいらしい花が咲きだしたのだろう。

 衣替えのこの季節に、いい香りをまき散らす花が、わたしは好きだ。

 帰宅する生徒、部活動への移動をする生徒たちで、昇降口は適度な混み合いをみせていた。冬服、中間服、ジャージにユニフォームとバラエティにとんでいる。下駄箱で革靴に手をかけたとき、背中に声がかかった。


「小萩先輩、今日部会ですよ。忘れていません?」


 そういう事実があったかもしれない。 

 声のした方を見やれば、わざとらしい厳しい顔を作り腕を組んだ小松君が仁王立ちしていた。


「まったく、先輩は忘れっぽいんですから」


 男子にしては割と小柄で猫っ毛の後輩は、観客がいるかのように我知り顔で頷いてみせた。

 なんなんだ、そのパフォーマンスは……。

 うちの制服はオーソドックスなブレザーに、ネクタイ。男子のほとんどがそうするように、学年色である緑色のネクタイをゆるくぶらさげている。


「それより、なんでここにいるのよ?」


 ここは中央昇降口。上履きと下履きを変える2年生用の下駄箱だ。 

 なかなか可愛い顔立ちの彼、小松勇一君は1年生だから、げた箱は東棟寄りの昇降口にある。1年生の教室は4階だし、我が文芸部の部室は3階の東棟にある会議室。部活があるって覚えていたなら、4階から3階に降りるだけでいい話なのに、1階の中央昇降口にいるとは、これ、いかに。


「ああ」 


 彼はポンと手を打つ。 


「先輩、月初め、とことん忘れますからね」


 ……そういう事実もあったかもしれない。けどさー、なにもとことんって力込めていうことないと思うのよね。 


「先輩にはずされると困るので、迎えにきたんです」


 そういって、彼はにっこり微笑んだ。 


「実は、彼女が……、先輩に聞きたいことがあるって」


 彼女? あれま、小柄な小松君に隠れてしまっていて、全然気がつかなかった。

 背中までのゆるゆるウエーブ。瞳も髪も日本人離れした薄い茶色。つつきたくなっちゃうようなほっぺに、ぷくんと膨らんだくちびる。少し距離があったにもかかわらず、そこからでもわかる雪のように白くてなめらかなきれーな肌。ぱっちりした大きな目で、その他のパーツは小さくバランス良くおさまっている。なんの変哲もない制服が、着る人によって魅力的に映る可愛いデザインだったのかって思ってしまうほど、彼女は特別に可愛いらしかった。


 緑のタイだから1年生だ。着用が義務づけられているネクタイは、一発で何年生か見分けることができる。見分けられたからって、得したこともないんだけどね。 


 彼女はわたしと目が合うと、おびえたふうに、ちょこんとおじぎをした。

 ああ、彼女に見せるためのポージングだったのねと、わたしは納得する。動作だけど。


「相原さよりさん、僕のクラスメイトです」


 小松君の紹介を聞いて、ああ、と納得した。この娘が……。

 いくら情報に疎いわたしでも知っている。1年にすごい可愛い娘がはいったという噂は、入学式当日に全校生徒にいきわたった。高等部のアイドル様だ。 


「相原、こちらが瀬尾小萩先輩」 


 紹介してもらったので、とりあえず頭を下げる。


「ええと、わたしに?」


「はい」

 

 学校のアイドル様が、ただ一介の文芸員になんの用だ? 

 そんな思いが伝わっちゃったのだろう。彼女が不安そうに口を開きかけたところに、後ろから声がかかった。

 

「何をさぼっているんだ? 瀬尾、小松」 


 声で小松君のほぼ真後ろに立っている仏頂面が想像できた。


「南野先輩、人聞きの悪いこと言わないで下さいよ。僕は、小萩先輩が帰ろうとしているのを、止めにきたんですからね」 


 小松ー、いい度胸じゃないか。 

 声をかけてきた南野慎は、クラスは違うけれど同学年。ついでに文芸部部長。すっきりした顔立ちで女子に人気がある。けれど、涼しげな目元同様、性格もコールド系なので女子はいまいち盛り上がれないらしい。いつもきちっとしめているえんじのネクタイは、滅多に表情をくずさない南野を、少しは彩っているのかもしれない。黒縁の眼鏡をかけているけれど、実はダテなのをわたしは知っている。 


「それは、ご苦労。が、いつまでここにいるつもりだ?」

 

 あーあ、こういう言い方が、女の子を怯えさせるのよ。相原さん、完璧にちっちゃくなっている。


 それより南野こそ、なんでげた箱に? 尋ねようとして慌ててつぐむ。だって、小松君と同じ答えなら、それこそばつが悪いじゃない? 


「先に部室に行っててくれる? わたし彼女と話してから行くわ」 


 わたしが向きなおると、彼女は恐縮したように手を振った。 


「あの、………後からで。それで、よかったら部室にご一緒させていただいてもいいですか?」 


 そりゃあ全くかまわないけど……。


「別にいいよね?」 


 わたしが南野をあおぎみると、彼はそっぽを向き 


「もの好きもいるもんだ」 


 と、ぼそっといった。 




 わたしは瀬尾小萩という高2の女子。

 物語を創作するのが好きで、文芸部に所属している。だいたいどこの学校だって、文芸部っていうのは人気がない。私立六ノ宮学院においても例外ではなく、引退した3年生が1人。2年生が、実質は南野とわたし、潰さないために名前だけ貸してもらっている幽霊部員が2人。1年生は小松君だけという弱小部。


 生徒数が多いものだから、多くの部と同好会がひしめきあっているというのに、メジャーな新聞部は何故かない。だからなのか文芸部が新聞部も兼ねるという意味で、毎月会誌を出している。これは、去年の部長がやり始めたのだけど、評判がよくってというか、……味をしめてやめられなくなっちゃったのだ。現実主義の南野が文芸部に所属しているのは、そんなわけからだ。


 先輩が引退した6月以降は、なにせ3人だからてんてこまい。1日を発行日としているから、製作する月末は忙しいったらありゃしない。だから発行し終えると、どっと疲れがでて、ついボーッとしちゃうのだ。 


 次の会誌づくりは第2周目の月曜から再開することになっているのだけれど、今月は1日の発行日が土曜日、2日が日曜、3日の今日が第2周の月曜日。あっという間だったんだもん。見落としちゃっても、少しはしょうがないと思わない?  





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