ファンタジーの法則

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プロローグ

第1話 届かなかった勇気

「し、死んでるの?」


 階段の下で赤い血だまりに半身を浸し、ピクリとも動かない『少女』は、少年も生きているとは思っていなかった。けれども、二度と動かないのだと認識するのは、もっと恐ろしい。生きていると言ってほしくて、そう尋ねた。


「息はしていませんね」


 形だけ少女の口元に耳を寄せた若い男は、事実を告げ、振り返る。

 冷酷な現実に、少年は一瞬言葉を無くした。


 男は階段をのぼり出した。

 少年は、ふらりと起き上がる。日差しに焼かれ、熱を発しているアスファルトにおいていた手のひらを無造作に払い、男の後を追った。

『少年』と称するには、ぎりぎりの年齢だが、小柄でビクビクと周りを窺う様子や、人との接触を極力避け、会話術の浅いところが幼く映る。


 男は階段をのぼり切ると、左右を見渡した。


「何で? ……跳んだんだ。まるで飛べると思っているみたいに!」


 少年は男に訴える。


「坊ちゃん、これは事故だ」


 男は口元に微笑みを浮かべている。男にとって少女の死は心打つことではなかった。弱味を握り、少年を手中に収めたことが、男には何より嬉しい収穫だった。

 少年はいやいやをするように頭を振る。


「坊ちゃんは何も悪くない。坊ちゃんは飴をあげただけ。何も知らずにね」


 びくっと少年は全身で震えた。

そう、確かに知らなかった。いや、知ってはいたけれど、『嘘』だと思ったのだ。


「勇気の出る飴だって……」


 男はくすりと笑い、空を見上げた。

 高台にある神社は木々が多く、さらにその上に入道雲が盛り上がっている。


「そうなんでしょうね。彼女は勇気を出して一歩を踏み出した。空に向かって」


 少女はダイブし、そして下へと転落した。体のどこからか血を流し、動かない『物体』となった。

 少年の葛藤するさまを見て、男は口の端をつり上げて、極上に微笑んだ。

 


 少年に味方はいなかった。少年が生まれてすぐに、父親の不倫で母親がおかしくなった。子供を育てられる状態ではなかったので引き離された。母はいなくなり、父は腹違いの弟を可愛がった。少年も精神を病み、何度も入退院を繰り返した。このところやっと落ち着いてきて、学校に通えていたのに。


 一人で生きていくと決意をしたそんな彼が偶然みつけてしまった、小さな小さな友達。

 少年は瞳の大きな少女と少しずつ友達になっていった。高台にある神社の境内は、二人の秘密の遊び場だった。


 その日、少女はめずらしく落ち込んでいた。友達と喧嘩をしてしまったという。謝るタイミングがわからないと頭を抱える少女に、少年は『勇気がでる飴』を渡した。義弟からもらったものだ。少年は飴で勇気が出るなど、これっぽっちも思っていなかった。けれど、飴に込められた気持ちで義弟から励まされたように、少女を励ますことができたらいいと思った。

 父に可愛がられる義弟をうらやんではいたが、嫌いではなかった。今日のこの日、この時までは。


「坊ちゃん。早くここを去らないと」


 動こうとしない彼に言うのをあきらめ、男はもう生きてはいない少女のランドセルを調べ始める。


「何をしているの?」


 男は少年の声が震えているのに気づきながらも、慰めようとはせず、わざと事務的に呟く。 


「持ち物を調べているんですよ。坊ちゃんと一緒にいたことがわかるようなものを残していたら、それこそ水の泡というやつですからね。それはあなたのお父上の望むところではないので」


 今頃、少女が死んだという事実を受け入れたのか、男の言葉がこたえたのか、少年はがっくり膝をつく。


 この飴は自分が食べるはずだった。義弟は自分を殺そうとしていた?

 少年は唐突にそのことに気がついた。


「……僕が、死ぬはずだった?」


「何ですか?」


 少年が呟いた言葉は男に届かず、男は何を言ったのかを尋ねた。


 けれど少年は地面に四つん這いになったまま下を向いていたから、男は放心状態の意味のない呟きだろうと受け取り、少女のランドセルをまたあさりはじめた。


 男は楽しいものを見つけたように、作文用紙らしいものを取り出した。


「将来の夢、だそうですよ」


 からかう口調だ。 


「あなたがこの子と出会わなければ、この子は夢をつかもうと努力できたのかもしれませんね。なあに、悩むことはありません。夢を実現できるのはほんのわずかな人間。この子だってきっと」


 少年は膝と両手をついたまま、目の前へに放り投げられた作文用紙の文字を追った。


『しょうらいの夢 わたしはしょうらい天気よほう士になりたいです。テレビにでる、お天気おねえさんではなく』


 少年は何度も消しゴムで消し、そのうえに書き込まれた少女の夢を、最後まで読むことはできなかった。

 少女の死を悼むように、口を閉ざしていた蝉が鳴き始めた。

 壮大な合唱曲もまた、少年には意味がない。


 男は手袋をはめた手でランドセルのそばにあった、飴が包まれていただろうセロファンを拾う。


「さあ、これでよし。坊ちゃん、いきますよ。感傷なんて捨てておしまいなさい。あなたはお父上のようになるのでしょう?」


 男はネクタイを緩め、ワイシャツの一番上のボタンを外した。首には大きなほくろがあった。男は少年に微笑んだ。それはそうとは気づかず、ある意味、幸福に育った少年への復讐だったのかもしれない。

 少年はのろのろと立ち上がろうとして、そのまま崩れ落ちた。


「坊ちゃん?」


 気を失った少年に、男は舌打ちをする。

 こいつは気が弱すぎる、使えないかもしれない。

 待てよ? もっといいのがいるじゃないか、頭もいいしな。

 男は嫌な笑みを浮かべて、少年を担ぎ上げる。

 新たな標的をどう苦しめるのが一番効果的かを考えながら、男は歩きだした。

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