第41話 兄弟の戦争


「こ、ここは……まさか……」


 真奈美の手を引く葵もまた、突然の召喚に驚いている様子だったが、意外にも取り乱している様子はなく、絵里には予想以上に落ち着いているように見えた。


「英次、お前は真奈美を保護するためにこの娘を使い魔にしていたようだが、それは私も同じ。彼女は私の使い魔でもある。お前の行動は常に把握している」


──葵さんが、来栖の、使い魔!? それじゃあ……──


 英次の最も重要なものさえも、すでに来栖の手の内にあったという事実に、絵里は愕然とする。

 そうか、完全に、英次はこの男の手のひらで踊っていただけだのか。


「この薄汚れた世界の中で、葵君だけが無垢であると、信じていたのか? だが彼女を責めるのは筋違いだ。お母さんの治療のためだからね」


 無情に響く来栖の声が、英次を打ちのめす。


「英次さん……」


 葵は英次に向けて、必死で何か言葉を発しようとしていた。

 だが、かけるべき言葉は見つからなかったのか、そのまま言葉を飲み込み、ただ視線をそらす。そしてそれは、来栖の言葉がすべて真実であることを肯定するものだった。

 能面のように固まったまま無表情の英次の横顔。

 時間が、まるで凍りついたかのような静寂。

 だがその場で絵里の異能だけが、英次の心情を正確に汲み取っていた。


──嫌だ、知りたくない。こん心まで、読みたくはない──


 英次から押し寄せる底知れぬ感情に、絵里は生まれて初めて自らの異能を憎んだ。


──〝崩れた──


 そう、一言で表現するなら、英次の心を支える、最後の柱が今根底から崩れたのだ。

 このいびつな世界に、英次の大切な人達は全員、屈服していたのだ。広大な特区の中で、彼は最初から、途方もなく孤独で一人だったのだ。

 底知れぬほど深くて暗い深海の底に、静かに落ちていく。絵里が感じたのはそんな深い絶望の波動だった。


「……こ、この声は……まさか、英政お兄様?」


 目の見えない真奈美が、一足遅れで事態を察したのか、鈴のような声で小さくつぶやく。


「──久しいな、真奈美」


 抑揚のない声とともに、真奈美の肩に小さく触れる来栖。

 その返答に、肩に触れた来栖の手の感触に、真奈美は一瞬の戸惑いを浮かべた後

 盲目で焦点の定まらぬ目を目一杯に開いたまま──


「ア、アア──イヤアアアアアアアアアアアアアアア」


 少女の悲鳴ともつかぬ金切り声が鳴り響いた。

 普段の姿からは想像もできない真奈美。その姿は、まるで壊れた機械を連想させた。

 一体過去に何があったのか、絵里には想像すらつかない。


「その手で──真奈美に、妹に触れるな! 兄さん!」


 絶叫のような怒声とともに、英次が兄の手を振り払う。

 その刹那、絵里が見た英次のその瞳に、彼女は戦慄した。

 今まで知っていたこの男のモノとはまるで違う、人間としての全てを吹っ切った、獰猛なる獣のもの。同時に英次から放出される、おびただしい魔力。


──これは、怒り──


 絶望を、底なしの深い悲しみの心を、英次は怒りの一色で塗り替えていく。

 いや、憤怒だけでは無い。英次は、自らの全生命エネルギーを、魔力に変えているのだ。


「……命をかける、か。その直情さは、変わらぬな」


 来栖はわずかに懐かしげな感情すら秘めた瞳で英次を見つめ


「愚かな弟よ、お前の命一つかけても、私には届かない。所詮は個我、一は、いくらかかけようとも一なのだ」


 初めて、彼自身の魔術を発動した。


「この短期間でお前が出会った異能力者達を、お前は新たな魔術書としたようだな。

 だが、残念だったな。十年間眠っていたお前と違って、私は十年でより完全なる魔術書を編み上げた。〝特区〟と言う名のな」


 特区に住む異能力者たちは、特区での生活と引き換えに自身の異能の情報を、異能ネットワークシステムである〝樹形図の叡智(セフィロト・コード)〟に登録する義務を負う。

 それが特区における、異能力者と当局の関係。

 そして、魔術師達は、転移能力を用いて把握した異能力者の力を転移させ使用することができる。すなわち──


「そんな……そんなことって……」


 特区の異能達に張り巡らされた異能ネットワークシステム。それと同じ名前が冠された来栖の魔術書。大胆かつ周到に準備されたその真意を悟った絵里は、言葉すらつかない。


〝──樹形図の魔術書──〟(セフィロト・コード)


 特区に住む異能力者の力全てを模倣する巨大な魔術書とする。それが特区の総覧者たる来栖の力だったのだ。英次が出会った人の力を借りるものなら、来栖は特区にすむ住人の力を模倣する力。

 膨大な資金と特権を餌に、異能力者を集めて作り上げた〝特区〟とは、結局のところ、来栖の巨大な魔術書なのだ。


「相手してやろう、弟よ」


 世界で孤立し圧倒的な戦力差を見せつけられた弟を、哀れにでも思ったのだろうか、来栖はついに英次に正面から向き合い、対峙する。

 そしてそれは、全てを失った今の英次には、唯一の救いの言葉として響いた。


「兄……さん!」


 もはや失うものもない。吹っ切れた英次の体を、魔力の炎が包む。

 孤独な事実も、見せつけられた強大な戦力差も、こうして真正面から相対した今となっては、もはや何の意味もなさない。

 ついに塔の上から兄は降り、初めて英次と正面から向き合ったのだ。その事実だけが、英次を突き動かしているのだ。


「いくぞ、兄さん!」


 絵里の目の前でかわされた兄弟の言葉は、ついには交わることはなかった。

 英次の言葉は、兄の心には届かない。

 ならば、もはや問答に意味などないのだろう。

 英次は、全ての思いを、命すら魔力に変えて、ただ兄に向けて疾駆する。


 弟が発動するは、出会った異能力者の力である〝虚構の魔術書(ファントム・コード)〟 

 兄が発動するは、特区全ての異能を集約した〝樹形図の魔術書(セフィロト・コード)〟


 絵里の眼前で荒れ狂う二つの魔力、発動する無数の異能の嵐。

 魔術師同士の衝突。その圧力は幾千、幾万もの異能力者同士が正面からの戦争にも比肩しうるものだった。 

 そして絵里はその時は初めて、十年前に起こったマナハザードの真実を知った。


 マナハザード、それは国家と国家が戦ったのではない。異能力者とノーマルが戦ったのでもなかった。二十二億の人命を巻き込んだ人類史上未曾有の大災害──

 それは、たった二人の、

 ──魔術師と魔術師の──

 ──兄と弟の──

 果てしない激突だったいうことを──

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