第37話 魔術師の王
新国立競技場、十年前の2020年に行われた平和とスポーツの式典のために建造された巨大施設。だがマナハザード以後の現在では、全く異なる出来事を象徴する場所であった。
通称『発端の地』(グラウンド・ゼロ)
十年前、世界中の熱狂を一点に集めたその式典は、平穏のうちに終わることはできなかった。
閉会式の最中に、式典の参列者と観客、そしてテレビで式典を見ていた一部の人類が、突如として異能と呼ばれる超能力に目覚めたのだった。それは長く続いた世界規模の動乱の始まりであり、人類がノーマルと異能力者という二つの種族に峻別される時代の起点でもあった。
それから十年、世界はようやくマナハザードがもたらした混乱から立ち直り、各国がそれぞれいびつな形ではあったが秩序を取り戻しつつあった。今月末には再びこの地で復興を祝福する式典が開かれることが決定しており、現在急ピッチで準備が進められているところであった。
深夜になっても警備員たちが厳重に管理する競技場の地下にある第二管理室に、絵里は警備スタッフの一員として侵入していた。
「こちら清水です。時刻は午前零時、第二管制室、異常は見当たりません」
絵里は巡回に来た警備員長に報告する。人の良さそうな中年男性の警備員長は「了解しました、若いのにご苦労さん」とにこやかに返してくれる。念のため異能で彼の心象を覗いてみたが、絵里をに対する疑いの念はなかった。
これで次の定時報告まで一時間は自由になるはずだ。今のうちに、本来の目的を遂げなくてはならない。
優れた電流操作異能力者として登録されている絵里が、警備員として雇用され、正規のルートで施設に侵入することは容易いことだった。そして絵里は、偶然にも自ら招いていた幸運に感謝していた。
セフォロトコードには登録していなかったが、絵里は単なる電流操作異能力者ではない。電流を通して建物の状況だけでなく、人の心情まで読み解くことができる異能力者である。この建物の構造を理解し、警備の人間をまくことなど簡単なことだった。セフィロトコードに自身の異能を低めに登録していたことが、またしても幸いしていた。あとは、警備員として雇われた立場と彼女の異能をフルに使い、目的を達成するだけだ。
もっとも、肝心のものは自体はまだ見つからなかったが……
絵里は小さくため息をつきながらも、先日の英次の言葉を思い出していた。
『十年前のあの日、兄さんは真奈美の力を利用して人間の潜在意識に異能の種をばらまいた。俺が途中でそれを邪魔したため不完全に終わったが、それでも一部の人が異能に目覚めてしまった。
兄さんの欲望によって、多くの人命が失われ、たかが異能を持っているか否か、それだけで人の価値のほとんどが決まってしまう世界を創ってしまったのだ』
脳裏に浮かぶのは、英次の怒りと悲痛に満ちた瞳。
『俺は、兄さんに問わねばならない。なぜ真奈美にあんなことをしてまで、こんな世界をつくったのか、その答えを。例えそれが……命をかけた死闘の果てであったとしても』
心の奥底から絞り出されたようなその声は、魂の悲痛な叫びであった。初めて明かされた痛切な英次の言葉、それが絵里の心を揺り動かしたのは事実だった。
だがそれ以外に、絵里にとってどうしても聞き逃すことのできない重大なものがあった。
『来月おこなわれる復興の式典に、主催者である兄さんは間違いなく参加する。そしてその場で、十年前に果たせなかった事を完成させるつもりだろう』
『……十年前に果たせなかった事?』
『ああ、十年前のあの日、兄さんは全ての人類を異能に目覚めさせようとしたが、途中で俺に邪魔されたため異能に目覚めたのはごく一部の人々だけだった。兄さんの目的が十年前と変わらぬものならば、復興の祭典の際に、十年前と同じ事をするはずだ』
『そ、それって……』
『マナハザード、あの悲劇を、再び起こすつもりなんだ。兄さんは』
その言葉を思い出すたびに、絵里の脳裏に冷たいものがはしる。
残るノーマル達の、異能への覚醒。
特区に存在する異能力者達だけでなく、外地に残るノーマル達を異能に目覚めさせるという。それが来栖英政の目的なら、それは決して見過ごせるものではない。
人口のわずか1パーセントの人々が異能に目覚めただけで、世界は大混乱となり、数十億人の人命が失われたのだ。もし外地に残るノーマル達が異能に目覚めればどうなるのか。
今まで特区の外で虐げられてきたノーマル達が異能に目覚めれば、どれだけの混乱と悲劇が引き起こされるのかは、今の絵里なら想像できた。葵や圭を見れば、ノーマルの置かれている状況が痛いほど理解できたからだ。
絵里自身は異能力者としての特権には執着はない。だが他の異能力者は違うだろう。ノーマル達が異能の力を手にすれば、特区に集中している富と権力を巡って、再び大規模な争いが起こるに違いない。
それだけは、何としても避けなければならない。
(ここが、第三スタジオね……)
十年前に真奈美の力を奪った来栖は、電波を利用して異能の種子を世界中に拡散させたという。もし来栖が不完全に終わったマナハザードの再現を目的としているのなら、数日後に行われる式典を中継する電波を利用するはずだという。なら、なんらかの下準備がそこにある可能性が高かった。
幸いにしてスタジオは電子ロックだったので、絵里は周囲に人がいないことを確認すると〝紫電の拳〟(ライトニング・プラム)でドアロックを焼き切る。
意を決してスタジオの中に入った絵里は、思わず目を見開いた。
「これは……魔術シンボル」
巨大なスタジオの天井に描かれていたのは、あの病院にあったのと同様の魔術シンボルだった。幾重にも編み込まれた複雑な幾何学模様が、人類の潜在意識に働きかけ、異能を目覚めさせるという。
「やっぱり……そういうことだったの……」
絵里は力なく嘆息する。
(これがここにあるということは、マナハザードは意図的に起こされたもの……)
予期していたとはいえ、あの大災害は人為的に起こされたものだとは……
絵里はショックを受けながら天井を眺め、違和感に眉を細めた。
「違う! これは……病院のと似ているけど、違っている?!」
病院の天井に描かれた魔法陣は完全に左右対称のものだったが、スタジオのそれは左右対称ではなく、幾つかのパーツが抜けていた。加えてよほど前に描かれたのだろうか、カスれて見えなくなっている箇所も多い。そもそもたった十年でここまで劣化するだろうか? 少なくともマナハザードよりもずっと以前に描かれ、人知れずに運用されてきたもののはずだ。
「──それは旧世界の支配者達が使っていたものだ。魔術覚醒シンボルと酷似しているが、決定的な点で異なっている。幾つかの重要なピースが欠けているため、異能の覚醒ではなく抑制へと誘う。また、仮に覚醒できたとしても不完全な異能力者を作り出してしまう。〝彼ら〟は古くよりマスメディアを使い、常に人類にこのシンボルを刷り込んできたのだ」
誰もいないはずのスタジオで抑揚のない男の声が響く。
「私としたことが、それが意図的なものであることを理解するのに、随分と時間がかかってしまった」
既知感のある冷徹な声、まさか──
「そこから、動くな」
いつの間にか背後に立っていた男の姿に、絵里は全身の血が氷のように冷たく凝固するのを感じた。
上質のスーツに身を包んだ、端正なマスクに氷のような瞳をたたえた長身の男。
来栖英政。特区最高理事であり、事実上この国の支配者。そして、二十二億の犠牲の上に世界の変革を望んだ男。
全てが止まったような静寂の中で、絵里は初めてこの男を初めて間近でみた。
整った輪郭に、異様に鋭い眼光。確かに英次と似ている。年齢の差こそあれど間違いなく血を分けた兄弟。英次も年を経ればこんな姿になるのだろうか、絶望で凍りつきそうに冷たくなった脳裏で、絵里はそう感じた。
「清水絵里君、セフィロスコードに登録されたデータは聴覚異能力者で、英次の同級生」
来栖の言葉に、絵里は戦慄する。自分のことも、英次との関係も知られている。
言い逃れは、とてもできそうもない。
いや、そもそもなぜ彼がここに、まさか──
「なに、私の周りを嗅ぎ回る害虫を始末しに来ただけだ」
絵里の思考を読んだのか、眉一つ動かさずに言い捨てる英政。
──周りを嗅ぎ回る害虫……まさか、私のこと!?──
殺される……私は今日、確実に死ぬ。
突如として現界した圧倒的な死の恐怖に、視界は暗転し絶望のどん底に叩き落とされる。
仮に他の誰かに見つかっても、絵里の異能を使えば逃げ切る自身があった。だがまさか、特区最高理事たる来栖英政自らが現れるとは……
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