第36話 魔術師の目的

「圭君は、大丈夫そうなの?」


 その瞳に魅入られたように、絵里は質問を紡ぐ。


「ああ、〝深淵の眠り〟という魔術をかけ、彼自身の魔力を治癒に向けている。皮肉なものだが、彼が異能力者として目覚めかけていることが、治癒に役立ったよ」


 抑揚のない低い声でそう答える英次。感情を押し殺したようなその口ぶりからは、言葉とは裏腹に運命の皮肉さをわらう余裕は微塵も感じ取ることができなかった。


「……あなたは、一体何者?」


「古来より異能の知識と技術を継承する一族の末裔──つまりは魔術師だ」


 ちがう、そんな事を聞きたいのではない。そんな身の上話を聞きたいのではないのだ。


「貴方の目的は何? いったい、何をしようとしているの?」


 ついで自身の口からでた言葉に、絵里は自ら納得する。そう、自分はこの男の目的が知りたいのだった。


「……君は、この世界をどう思う?」


 だが英次は質問には答えずに、視線を窓の外に移しながら逆にそう尋ねてきた。夜の闇を凝視するその瞳は、いつもの鋭い色を放っていた。


「この世界?」


 絵里は質問の意図をつかみきれずに、呆然と英次の言葉をなぞる。


「あの施設からも見えたろう? 東京特区の外に広がる世界、いわゆる〝外地〟。君には外地はどんな世界に見えた?」


 施設の窓から見えた、無数のバラックが立ち並ぶ混沌とした世界。その風景を思い出しながら、絵里は黙ったまま英次の言葉を待った。


「……マナハザードから十年。かつて〝東京〟と呼ばれた世界最大の都市人口を誇ったこの国の首都は、異能力者達に割譲され、現在は東京特区当局が管理している。あそこから見えたバラック街は、東京から追い出されたノーマル達が暮らす街だ。葵や圭君も、いまはあそこで暮している。

 特区の内と外では、技術も豊かさも、何もかも異なっている。もはや〝一つの国〟といえないほどにな。このいびつに歪んだ世界を、絵里、君はどう思う?」


 再び絵里を凝視し、今度は黙秘は許さないと言わんばかりの獣じた視線で問うてくる。


「……特区の異能力者達が恵まれているのは事実よ。でも、そ、その代わりに、私たち異能力者は力を世の中のために提供する義務があるわ」


 学校や社会で教わった模範解答を、絵里は思わず口に出す。そう、絵里達特区で暮らす異能力者達は、快適な暮らしと引き換えに自身の異能を異能管理システムである『叡智の樹形図』(セフィロト・コード)に登録し、必要に応じてその力を提供する義務を負う。

 特区と日本政府の間の、ひいては異能力者とノーマルとの間の妥協による棲み分け、それがマナハザード以後のこの国を支配する新たなる秩序の姿だった。


「そうだ。ノーマルは富を特区に〝搾取〟され、異能力者達は異能を特区に〝管理〟されている。結局、富も力もすべては特区の、〝あの男〟の元に流れ着く。それが、今のこの国の現状、この世界の歪な〝秩序〟の姿だ」


「そ、それは……仕方ないじゃない。そういうルールなんだもの。法律で、そう決まっているんだもの」


「仕方なくなんかない!」


 その言葉は決して許せなかったのだろうか、英次は雷鳴のような怒声を発し。絵里が口にした〝常識〟を否定する。

 その声に驚き目を見開いた絵里は、だが彼から向けられる視線に言葉を失った。

 瞳に込められたのは、煮えたぎるような怒りの念。およそ人が持ち得るものとは思えないほどの、暗く深い怒りと憎しみをたたえた瞳だった。


「……秩序も、ルールも、人が作ったものだ。たった一人の人間が、わずか十年の間に作り上げたものなんだ」


 唇を震わせて、そう咆哮する英次。

 だが瞳に浮かぶ煮えたぎるような怒りの色は、急速にその刺々しさを失っていく。

 残されたのは、言いようのない悲しみと絶望の色を帯びた瞳だった。


「俺は……ノーマルでも強く生きている葵と圭君をみて、心の支えにしていた。こんな世界でも気高く美しい人たちもいると、自分に言い聞かせてきた。だが……それは幻想だった。

 異能(ちから)が全ての世界……その価値観は、世界を醜く蝕んでいく。あの圭君でさえ、命の危険を冒してまで異能の力を手にしようとしたんだ!」


 小さく首をされたその英次の横顔は、絶望に打ちひしがれ、今にも泣き出しそうに思えた。


「……なんて世界をつくったんだ……兄さん」


 そしてかすかに聞き取れるほど弱く、かすれた声でそう続けた。

 心の奥底から絞り出されたような声だった。


「兄様……泣かないでください」


 英次の声に起きてきたのだろうか、いつの間にか真奈美が英次の側に寄り添い、その見えぬ瞳で英次の方を心配そうに見つめていた。

 彼女の桃色の髪が、英次の肩にかかる。その姿は地上に舞い降りた天使のようで、何かの古い絵画を思い起こさせた。


「……泣いてなんかないよ」


 心配させたくなかったのだろう。英次はそっと瞳を拭い、小さく唇を緩ませて無理に微笑む。


「はい……兄様は強いですから……泣いたりなんかしませんよね」


 天使のような笑顔で微笑む真奈美。


「ああ。真奈美、もう遅い。先に眠っていてくれ」


「……はい。無理しないでくださいね。私は、大丈夫ですから」


 数分後、真奈美を部屋に送り届けた英次。先ほどまでの陰鬱な瞳は、以前の冷静なそれに戻っていた。


「あの……その……」


 絵里は質問を続けてもいいのか迷い、言葉を詰まらせる。


「君が聞きたいことは何でも答えよう。──ただ、頼みが二つある」


「頼み? 二つ?」


 それが何なのかわからなない。だが有無を言わせぬ英次の眼光を前に、絵里は小さくうなずく。何よりも肝心なことはまだ聞いていないのだ。英次の頼みというのが、無理なものでないことを祈るしかない。


「……あなたのお兄さんが、来栖英政? 特区最高理事の?」


 絵里は慎重に言葉を選びながら、おそらく問題の核心をつくであろう質問を投げかける。

 英次は陰鬱そうな表情のまま、首を縦に小さく肯定する。

 来栖英政──〝空間〟を操る特区最高の異能力者にして、特区の創設者でもある人物。

 十年前のマナハザード以後、人々が突如として異能に目覚めたことにより内乱状態に陥った米国は世界の憲兵の地位を放棄し、全世界より撤退した。米軍という安全保障上の〝重し〟を失い、また国内では異能力者達とノーマルとの対立によって、危機的な状況にあった当時の日本政府を救ったのが、古来より異能の神秘を秘匿してきた魔導師である来栖英政だった。

 彼は暴動を起こした全ての異能力者達を、その有無を言わさぬ圧倒的な力で撃破した。そして日本政府と交渉し、東京都二十三区のうち皇居と政府中枢機能の集中している千代田区を除く二十二区を異能力者達が暮らす〝特区〟として割譲させる見返りに、異能力者達はその力を特区を通じて政府に提供するという取引を成立させたのだ。反対する者は異能力者だろうとノーマルだろうと、全て来栖が力でねじ伏せたという。

 異能力者が集う東京特区と、それを率いる来栖英政。その存在は核兵器以上の抑止力となり、日本はマナハザード以後の世界規模の動乱から、ほぼ無傷で生き残ることができた。来栖の手腕と実力は、特区だけでなく日本中の誰ものが認めるものだったのだ。


 〝最も新しい英雄〟──彼のことをそう称するものさえいた。


「特区を……来栖英政が特区を創ったことを、怒っているの?」


 誰もが受け入れざるを得ないゆがんだ秩序、それが特区だ。その存在にこの男はあらがっているのだろうか?


「違う! 兄さんがつくったのは特区ではない。この世界そのものなんだ!」


 絵里の言葉を吐き捨てるように否定する英次。


──この世界を、つくった?──


 英次の言葉の意味が理解できない。いったい、どういうことだ?

 来栖は特区ではなく、この世界を創ったという。

 だが特区ならともかく、一人の人間が世界などという大それたものを作れるわけがない。だが、英政が異能の知識と技術を蓄積してきた魔術師の末裔なら……

 まさか──

 脳裏に浮かび上がったのは、病院の天井に描かれていた魔法陣。あれが人間の異能を呼び起こすことができる、魔術師の秘技であるならば……

 思慮の末に思い至った一つの解に、絵里は思わず息を飲んだ。


「そう、マナハザードを起こし人々に異能に目覚めさせ、何十億もの人間を殺したのは──

 兄さんだ」


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