第34話 嘘


 ──これが最凶の、異能力者の力!?──


 トレロの切り札と思われる規格外の異能、その力に絵里は戦慄しながらも、魅入られるかのように微動だにできなかった。


「よけろ!」


 至近からの英次の叫び声と共に、絵里の体は強引は地面に引きずり込まれる。

 そのまま地面を転がる絵里の側を、突風と化したトレロのマントが轟音と共に横切った。

 紙一重で突風を避け得たものの、英次の傷口から再び大量の血液が吹き出だしあたりを紅に染めあげていた。


「だ、大丈夫?」


「俺のことはいい! それよりも、しっかり敵を見据えろ!」


 英次の叱咤の声に、絵里は自らの役割を思いだす。

 そうだ、言われるまでも無い。つい先ほど、自ら申し出たことなのだ。

 絵里が想定していた酸の波とは、速度は比較にならない。だがやるべきことは同じ──

 発動するは絵里の十八番である戦域能力。


 ──〝フクロウの檻(アウル・ゲージ)〟──


 電気のフィールドを広く大きく展開させ、特定の空間を把握する力。この応用力にかけては、特区においてさえも絵里の右手にでる異能力者はいないはずだ。

 絵里の脳裏に広がるは、モノクロの空間。

 まるでレントゲン写真の様なそれは、絵里だけが認識できる彼女だけの世界。


(しっかり……よく見て……)


 だが、トレロの力はパルス波のような波を発生させ、空間を掻き乱している。

 その上、マントの機動が尋常では無い。

 今のままではこの動きを捕らえるなどとてもできそうにない。


「マントではない! トレロの姿自体をとらえるんだ」


「わ、わかってるわよ!」


 そう、マントを補足しても意味は無い。奴は闘牛士、深紅のマントは、あくまで獲物を襲うための隠れ蓑に過ぎない。

 とらえなければならないのは、その背後にいるトレロなのだ。


(仕方ない……)


 意を決した絵里は両目を閉じ、感覚だけでトレロの姿を追う。

 どうせ肉眼では把握できないのなら、視力など必要ない。

 こうなった以上、自身の力を信じるしかなかない。

 絵里は肉眼での認識は全て放棄し、自身の世界にのみ引きこもる。


「くっ!」


 耳元で英次の声と、至近で何かが高速で通過した衝撃が襲った。

 熱い液体が、絵里の頬にかかる。

 痛みは無い。つまりこれは自分の血ではない。血を流しているのは、自分では無い。

 目を閉じた絵里の代わりに、英次が身を挺して庇ってくれているのだ。彼もまた、絵里の異能に全てをかけてくれている。

 時間がない。


──集中して……お願い。私の全てを、あいつに向けて!──


 全身全霊をかけて、意識の全てをトレロに向ける。

 異能とは術者の思考の、現実世界への投影。その強さは思いの強さに直結する。

 コンマ一秒さえも惜しい、命がけの集中力。

 かつて無いほどの思いは、魔力の奔流となって絵里の脳に流れ込む。


「!?」


 突如として、絵里の脳裏に浮かぶモノクロ世界が明るくなり、驚くほどの鮮明になった。


──これが、私の力!?──


 脳裏に、今までとは比べ物にならないほど精密な世界が現出される。


 ──聞こえてくる情報が、違う。

 ──見えている情報が、違う。


 この空間の中でなら、蟻の足音さえも聞き分け、その瞳の色まで見抜くことさえできるだろう。

 そして同時に理解した。

 これが、自分の力の限界、果てであると。


──ダメ! これでは、つかめない。あいつの速度に、追いつけない!──


 いかに世界を詳細に把握しても、トレロの速度に追いつくことができなければ、意味が無いのだ。先ほどまで展開されていた酸の海の技なら、その動きを捉えることも可能だったろう。だが稲妻のように駆け回る常軌を逸したトレロの速度を捕らえることは、とてもできそうに無かった。

 敗れれば、死。

 背筋に迫る絶対的な恐怖。

 だが隣の英次は、どんな絶望的な状況でも、困難な相手にさえも、決して屈せずに戦い続けてきた。今も自身の身を削りながら、必死で絵里を守り戦い続けている。一時的とはいえその〝目〟の役割を得、パートナーとなった自分が先に屈するわけにはいかない。


「ふふ、そろそろフィナーレといこうかな」


 四方から響くトレロの声。奴にとっての遊びの時間は終わりつつある。


──なんとか、なんとかしないと──


「そろそろ体の一部をいただこう……左腕をもぎ取ろうか、右足をもぎ取ろうか……」


 心象を覗くことに長ける絵里には理解できた。この言葉は嘘ではない。次の一撃で、トレロは必ず英次の体の一部をもぎ取るだろう。

 四方のどこからか、必ずトレロは迫ってくる。

 せめて、その方角さえ把握できれば──

 そう思った矢先、絵里はハッとした。


「さああて、両腕両足のどれをもぎ取ろうか、当ててごらん?」


──違う、奴は嘘をついている。奴が来るのは、そのどこからからでもない──


 周囲には秘密にしている絵里の能力の応用。

 それは電気を媒体に、対象の心象を把握する異能。

 トレロの動きは読めなくとも、絵里の異能は、奴の言葉の真贋を見抜いていた。

 左腕、右肩、両足、違う! 奴の狙いは、そのどれでも無い。


──狙いは、ただ一つ──


 それは──英次の〝首〟


「上! 真上!」 


 絵里が叫ぶと同時に、英次が渾身の魔力砲を垂直方向に放つ。

 生命力を振り絞った最後の一撃、大砲のようなエネルギー弾は吸い込まれるように直上にあったマントを貫き、その奥のトレロを穿った。

 コンマ一秒のズレすら無い必中の一撃。

 それはマントの奥に隠れていたトレロの身体を直撃し、そのまま病室の天井に叩きつける。肉が焼ける嫌な匂いをと共に、ゆっくりとトレロの身体が目の前に倒れ落ちる。


「やった!」


 英次の渾身の一撃はトレロの身体を貫通した。

 勝利を確信し、思わず叫ぶ絵里。いくら奴でも、今の一撃を喰らえばただでは済まない。


 だから、絵里が勝利を確信したことを、きっと誰も責めることなどできはしないだろう。

 ただ、彼女たちが相手にしていた存在が、超常の存在であっただけなのだ。


「ウフフ……大当たり♡」


 聞き覚えのある甘い声が響き──絵里はそのまま凍り付く。


「!?」


 噴煙の中から陽炎のように浮かび上がるのは、狂気の闘牛士の姿。


──そんな、信じられない──


 悪夢はまだ終わってくれなかった。

 あまりに絶望的な状況に戦慄する。

 もはや手の打ちようもない。最後の賭けすら、効果がなかったのだから。 

 だが、よく見ればトレロの腹にはどす黒い穴が空いており、そこから止どめもなく大量の血液が流れ出ていた。

 それは絵里の捕捉が正しかったこと、英次の一撃が確かに貫通した事を示していた。 


「フフ……最後に一つ、教えてあげよう……魔術師」


 本来なら立っていることすら困難な負傷を負いながらも、トレロは嘲るような口調でつぶやく。


「……世界に対する怒り、そんなご大層なものは、貴方には似合わない。貴方の力の……感情の源は、もっと身近で、青臭いモノ……

 ──うぐ!!」 


 その言葉が終わるや否や、凄まじい量の吐血とともに倒れるトレロ。滝のように流れ出るで血が、床を赤く染め上げる。


「空間転移(テレポート)」


 だが絵里はその死を見届けることなく、英次が発動した転移能力でその場を脱していた。

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