第33話 魔術師と異能者の二人羽織り

          *             * 


「ぬう!」


 事実、英次の精神は微塵たりとも屈してなどいなかった。転移能力を発動させるや否や、転がっている右腕を再び肩元に転移させ、それを身にまとった魔力で強引に固定する。


「ふ~ん、テレポートを応用した強制縫合か、そんなこともできるんだね。

 ──だけど、ワタシ〝達〟の力が、ソレを許さない!」


 甘いトレロの声と共に、疾風のように詰め寄ったトレロから強烈な一撃が繰り出される

 英次は衝撃と共に再び吹き飛ばされる。縫合したばかりの右腕は防ぎきれずに再びちぎれ、棒切れのように飛ぶ。

 原因は単純だ。〝空間攪乱波〟(スフィア・ディスターバー)によって空間認識能力を掻き乱されたため、右腕の縫合が不完全であったためだ。


(くそ! せめて空間の座標軸さえ合えば……)


 英次は奥歯を噛みしめる。力の源を、〝異能の女王〟と呼ばれるテレポートに依存していた代償を、まさかこんなかたちで支払うことになろうとは、さすがの魔術師である彼でさえも想定外だった。

 戦うにはあまりに分が悪い相手。何より真奈美との連携と退路を絶たれた事が、英次の心を焦燥の念で駆り立てる。

 加えて英次が密かに心の支えにしていた圭の存在が、大きく胸に突き刺さっていた。

 トレロの語ったことは事実だ。異能の力は人間の意思による現実世界の浸食、それは無意識下の願望をも含むとされている。

 だがまさか、圭が魔術師の天敵たり得る異能力を覚醒することになるとは。その事実が英次を絶望の淵に追い詰めつつあった。

 壁穴から吹き付ける風が、冷たく英次の体に吹き付ける。

 もし〝死〟があるとすれば、それはこの〝孤独〟の先にあるものではないか?

 流れ出る血液と共に、次第に薄れゆく意識、それはあまたの死線をくぐり抜けた英次にとっても、初めての感覚だった。


 ──まさか、俺はここで、こんなところで──


「ふ~ん、テレポートさえ崩せば、古来からの魔術師も、別に大したことないね」


 トレロの声が、まるで死神のように響く。

 それさえ、どこか空虚で、遠くの出来事のように思えた。

 自身の肉体は、この死神によって奪われるのだろう。だがその痛みも屈辱も、それを感じる意識が死して消えてしまっては、もはや意味のないことだった。


「つまんないねぇ。次は君の妹に相手をしてもらおうかな?」


 ──待て……こいつは……今なんと言った?──


「君の妹には、君の首をプレゼントしてあげよう。うふふふふ……一体彼女がどんな顔をするか、想像するだけでゾクゾクするねぇ」


 その言葉に──

 英次の全身の血液が逆流した。

 脳裏にフラッシュバックするのは、十年前のあの光景。

 兄によって異能の全てを奪われた真奈美と、もたらした惨劇によって崩壊したビルの山。

 それらが自身の力によってもたらされたことを理解した真奈美の、あの時の色を失った瞳。


──あいつにあんな顔は、二度とさせてはならない──


 かつて誓った思い。

 心の深淵より生じた、怒りよりなお強い感情が、英次を絶望の淵から叩き起こした。


「ふ……ふざけるな!」


 血反吐を吐きながらも、よろよろと立ち上がろうとする英次。だが力は入らず、立ち上がることすらできない。


「──立てる? しっかりなさい!」


 気が付くと傍らには少女の声。彼女は英次の左肩を支えてくれていたのだ。


「意識を保って! あんな奴に負けたりしないで!」


 少女が眼前で叱咤する。

 見覚えのあるやや赤みがかった髪を二つにまとめた整った顔立ちの少女、だが髪以上に赤く染まっていたのは、英次の血で染まった制服その制服だった。しかし彼女は制服や髪が血で汚れる事など気にもせずに、先ほどから英次に対して必死の形相で訴えかけてくる。


 ──俺は、この女を知っている──


 朦朧とした意識の中で、英次は必死で記憶をたどる。

 絵里、そう……クラスメイトで、真奈美の友達。


「……大丈夫だ。問題ない」


 絵里に支えられながらも魔力を使って肩の傷口を絞って出血を絞り、再び宿敵を見据える。

 トレロはそんな英次と絵里の姿を、嬉しそうな笑みを浮かべながらただ見つめていた。


「……私が目標を補足するわ。それをアンタが撃つ、いいわね?」


「あいつを補足? そんなことができるのか?」


「私が電撃のフィールドを展開して、あいつの動きを捉えるわ。それなら、空間認識を歪められてもなんとかなるはず」


 肩を抱えながらの絵里の声が響く。


「……いいのか?」


 英次には理解できなかった。彼女はなぜ逃げずに、英次との共闘を申し出ているのか?


「チャンスは一度だけニャ。二人とも頑張るニャ、オリは死にたくないミー」


 足下から使い魔であるレオの声が響く。

 そうだ、自答している時間は無い。

 なぜ絵里が命を賭して肩を支えてくれているのか、なぜトレロがそれを見逃しているのか、そんな事は今はどうでもいい。

 チャンスは、今しかないのだから──


「ふ~ん、二人三脚……いやむしろ二人羽織だね♡

 面白い試みだ。異能力者はもちろんのだが、魔術師であっても、同時に複数の力は使えない。だがその方法なら擬似的に二つの力を放てる」


 トレロは興味深そうに瞳を細めながら、二人の様子をながめている。


「もっとも、それは息が合った場合に限られるけどね。どちらにしろ他に手はないのだろ? なら試してみたまえ」


 トレロは口元に余裕の笑みを浮かべながら、マントを自身の体を覆い隠すように前方に大きく展開させ──

 刹那、マントごと巨大な弾丸となって英次達に向けて突っ込んできた。

 この期に及んではじめて見せるトレロの突進技。

 高速で押し寄せるその圧力は、地を這う戦闘機か、超速の戦車のよう。

 まるで稲妻のようにジグザグの機動をとりながら、英次達に向けて突進してくる。予想外の事態に絵里は息をのむ。放たれたトレロの技は、酸の波とは違う、超速のものだった。


──空間攪乱波〟(スフィア・ディスターバー)──


 加えて、発動されるは空間を歪める圭の力。

 肉眼で確認できるほど、世界は醜く折れ曲がっていく。

 悪夢のように歪んだ世界で、トレロのマントだけが縦横無尽に駆け巡っていた。

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