第31話〝空間攪乱波〟(スフィア・ディスターバー)

            *               *


「なん……だと……?」


 驚愕の念を覚えたのは、当事者である英次も同じだった。

 会話の間に魔力を補充するのはトレロの常套手段、おしゃべりの間にトレロが床を変質させ、次なる攻撃を放ちつつあったことは英次も当然に把握していた。

 問題はその後──彼が紡いだ〝虚構の魔術書〟(ファントム・コード)は、何らかの〝力〟によってかき乱され、トレロの単純な一撃の到達を許したのだ。


「ちっ!」


 未知の能力の顕現に、間合いを取るためにほぼ条件反射的に転移能力発動しようとした英次は、だが新たなる驚愕に目を見開いた。


──転移能力が、作動しない!──


 英次の力の根幹であるテレポートが、何らかの〝力〟によって封じられていた。

 〝空間転移(テレポート)〟の戦闘面での真価は、攻撃にではなく退却時にある。空間を転移するこの能力を用いれば、如何なる相手からも完全に撤退する事ができる。この場に連れてきている使い魔であるレオの視界内はもちろん、英次のもう一人の使い魔であり、今もメイドとして真奈美の側にいる葵の視界の範囲内にある屋敷に撤退することさえ可能だった。

 故に高レベルの魔術師同士の戦いは決着がつきにくい。共にテレポートを使えるため、戦闘に利無しと判断すると確実に退却してしまうからだ。兄を追い求める英次が未だに想いを果たせずにいる最大の理由が、ここにあった。

 故にテレポートを封じられると言うことは、攻撃手段を失ったのみならず、退路をも喪失し、真奈美との連携を絶たれた事を示していた。それは守るモノがある今の英次にとって、決して容認できない事態ではない。


 ──〝兄さん〟に匹敵する異能力者、ということか──


 異能の力を極めた魔術師が感じる、未知の力に対する脅威。予想だにしない事態に、英次の背筋に初めて悪寒が走る。

 そして一刻も早くこの場から離脱したい衝動に駆られた。弥生を救うという目標の達成は不可能。トレロと戦う必要性は既にないのだから、撤退するに越したことはない。

 だが──厄介な問題が二つ

 一つは英次がこの場に連れてきた絵里。

 そしてもう一つが、ベッドで寝ている葵の弟である少年──

 英次は何としても彼をこの研究室から救い出さなくてはならなかった。そして尋ねなければならないのだ。なぜこの研究室にいるのかという事を──


「フフフ……〝彼〟の事が気になるんだね」


 英次の思考を見透かしたのように、トレロが囁く。


「良いだろう、教えてあげるよ。彼がなぜここにいるのかと言うことと、そしていかに貴方が愚かで傲慢であるかということをね」


 甘美な声色で、そう宣言するトレロ。そしてまるで子供におとぎ話を聞かせるかのようなゆっくりとした口調で語り始めた。


「あるところに仲のよい姉弟がいました。大きなお屋敷に、立派なご両親。幸せを絵に描いたような豊かな暮らしがありました。

 しかしマナハザードによって、そんな生活は崩壊しました。一部の人々が異能の力に目覚めたのに対して、彼らは力に目覚めなかったのです。今の〝東京特区〟に、異能の無いものは住めません。彼らは住み慣れた屋敷を追い出され、姉は屋敷付きの侍女として働くことになりました。ノーマルでも前向きに力強く生きる姉弟の姿を、屋敷を借り受け妹の世話を頼んでいた〝魔術師〟は、身勝手にも心の支えとしていました」


 トレロの声色には徐々に愉悦の色が混ざっていく。


「……弟は屋敷を取り戻そうと、必死に努力しましたが、異能には目覚めませんでした。そんなおりに、悪い医者が耳元でささやいたのです。『適性試験の結果は惜しかったね。だが君にはまだチャンスがある。ある種の薬品を用いた上で魔術的シンボルを潜在意識にすり込めば、危険をともなうが異能の力に目覚める可能性はある』と」


 語るトレロの瞳に、怪しい光が宿る。


「〝空間攪乱波〟(スフィア・ディスターバー)──転移能力の発動に必要な空間認識をかき乱す異能力。少年が犠牲と引き替えに目覚めた力は、普通の異能力者にとっては何の意味も無いものでした。しかし、転移能力を力の根幹とする魔術師に対しては、天敵と言っていいものでした」


 英次は動揺を隠せずにいた。

 彼の脳裏に響くのは、葵が語った言葉。


『弟が「ノーマルでもたくさん勉強すれば良い大学にいける。僕は必ず良い大学をでて、お姉ちゃんに楽をさせてあげるんだ」って言って、毎日遅くまで図書館で勉強してるんです。体を壊さなければいいんですけどね』


 ──やめろ、それ以上は、触れるな──


 だがトレロは、まるで英次のその様子を楽しむように光悦の表情で怪しく微笑み、 


「異能とは、人間の意識の現実世界への投影、それは無意識の、潜在的な願望も含まれるという。彼がそんな異能力に目覚めたのは、決して偶然では無い。

 そう、少年が心の奥底で真に憎んでいたのは……異能力者や屋敷を接収した特区当局ではなく、こんな世界を作った魔術師である貴方だったのです。クックック、アーハッハッハ!!」


「黙れ!」


 大声で嘲笑するトレロに対し、吹き出す血と共に稲妻のように激しく迸る魔力をまといながら、英次が吠える。


「俺は……俺はこんな世界を望んでなどいない!」


「くくく、だがこの世界を作ったのは貴方だ。十年前のあの日、〝お兄さん〟を止められなかった貴方がこの世界を作ったのさ。だが悲観しなくていい。ワタシは貴方を評価してあげているんだよ。素晴らしいじゃ無いか『世界は強き者の物』という、より生命の原理に忠実な、美しい世界だと思わないかい? 貴方だってこの世界で〝十年ぶり〟の〝生〟と〝学生生活〟を謳歌していたんじゃないのかな?」


「黙れと言っている!」


 トレロの唇を封じるために放たれた強力な魔力の塊が砲弾となってトレロを穿つ。

 〝怒り〟の感情によって増幅されたその魔力の砲撃の威力は、先ほどより数段上のもの。

 稲妻のように憤る猛烈なる魔力が、トレロのいた座標を突き抜ける。いかなる存在でさえこの一撃を食らって生存できまい。

 だが、それはあくまで直撃した場合に限られるものだ。あの乱戦の最中、必中を期して放たれた魔力砲ですらトレロはかわしたのだ。いかなる威力を持っていようとも、怒りに任せて正面から放たれた一撃が、命中するはずがなかった。


「ククク、もう認めたまえ」


 いつのまにか英次の背後にまわったトレロが耳元でささやく。

 その甘美な声と共に、英次は自身の右側に凍り付くほどの悪寒を感じ、そのまま衝撃と共に吹き飛ばされた。


「ぐっあ……」


 右肩に熱さをともなった激痛──直後、右肩から蛇口の様に吹き出すおびただしい鮮血──目の前の地面に転がっている自身の右腕を、英次は苦痛をこらえながら見つめる。


「ククク……右腕は取れちゃったね。しかし、残念だよ、貴方はもうちょっと強いと思ってたんだけど……

 こんなんじゃあ、いくら頑張っても〝お兄さん〟には、届かないよ?」


 まるで旧知の友の様に親しく、恋人の様に愛おしそうに、英次に寄り添い肩を抱くトレロ。


「なんなら、ワタシと一緒に子作りしてみるかい? 貴方では敵わなくても、ワタシ達の子供なら〝あの男〟に届くかもしれない。なぁに、腕の一本や二本無くても子供は作れるさ」


──コイツは、いったい何を言っているのか?──


「何って……プロポーズだよ」


 まるで英次の思考を読み取ったように、歪んだ唇でトレロはそう言い放った。

 情欲を満々とたたえ、禍々しく光るその瞳が、奴の言葉が本心からのものであることを証明していた。

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