第25話 異能の強制覚醒施設


 硬直したまま微動だにしない英次に対し、絵里は異変を告げる。

 今なお発動中の彼女の能力〝フクロウの檻(アウル・ゲージ)〟で感じ取った人影は一つ。だが一人にしては空気のかすれが異様に大きい。おそらくは白衣を着た医師か研究者、とっさにそうあたりをつける。


「な、何だね君たちは?」


 事実ドアを開けて入ってきたのは、三十半ばの研究者風の男だった。いかにもインテリを思わせる神経質そうな男は、まるで自室の中に害虫が侵入したときのようなけだるそうな視線を絵里達に向けて投げかける。


「うわあ!」


 だがそんな視線は叫び声と衝撃音と共に一瞬のうちに失われた。いつの間にドアの側に移動していたのか、英次は瞬く間に男の首根っこを押さえつけ、そのまま激しく壁に叩きつけたのだ。


「俺の質問に答えろ! ここは、なんの施設だ? 彼らはなぜここに集められている?」


「何を言っているんだ君は? 関係者以外はここへの無断立ち入りは禁止され……

 ──ぎゃああああああっ!!」


 男の悲鳴が部屋中に響く。

 病室に充満する人肉が焼ける悪臭。男の白衣の一部が溶け、焼け焦げた肌が露出している。あれは物質を〝酸〟に変えるトレロの異能力。英次はその力を使い、男の肌を焼け溶かしたのか。

 つまりは拷問、英次は力に訴えてでも情報を聞き出すつもりなのだ。


「わ、わかったわかった! 何でも話すから、助けてくれ……」


 英次の気迫と力にはやくも屈したのか、苦痛に唇を歪ませながらも男は口を開く。


「ここは、何の施設だ?」


「……ここは〝特区当局〟が設立した異能力の強制覚醒施設だ」


「強制覚醒施設……ではあの薬物の投与も、当局の指導の下に行っているのか?」


「あ、ああ……異能覚醒シンボルだけで異能の力に目覚める人間はごく一部に過ぎない。力に目覚めるには、ある種の薬物の投与が必要になる。全て特区の指導にのっとって行われていることだ」


 苦痛に唇を歪ませながらも男が語った情報は、英次が先ほど絵里に対して話した内容とほぼ同じだった。つまり彼が知ってる情報を男の口から再度確認しているに過ぎない。

 だがどういうわけか、今の英次の形相は鬼神のそれを思わせるほど激しい怒りを内包していた。その形相に気圧されたのか、聞かれてもいないのに男は口早に言葉を続ける。


「し、仕方ないだろう? 米国が世界の憲兵の地位を放棄した今、日本が国家としてかろうじて存続できているのは、異能力者達が集う〝東京特区〟が存在しているからに他ならない。異能力者の確保は特区だけで無く日本政府の最優先事項でもあるんだ。全て法律にのっとって合法的に行われていることだ」


「これだけの薬物を投与すれば、耐えきれず精神が崩壊するものもいる。特に未成年はその確率が高い。強制的に彼らに薬物を投与して、それを〝仕方ない〟だと?」


「二次成長期前の未成年の方が異能力に目覚める可能性は高い。か、彼らだって一生〝ノーマル〟として外地で苦労して生きるより、何不自由ない特区の中で暮らしたいさ。私は、適性試験から外れた者達に、チャンスを与えてやっているんだ。それに〝全員〟が志願してここに来ているのだ。〝誰一人〟として、強制的に連れてこられた者はいない。

 ──〝残念〟ながら、〝彼女〟の弟も含めてね」


 突如、男の声色が変わる。聞き覚えのある女の声、まさか── 


「フフフ、どうかな。これが君の〝兄さん〟が作った世界だよ。〝魔術師〟」


「!!」


 そうささやく男の顔が溶けた溶けた飴の様にグニャリと歪んだかと思うと、英次の腕を振り払いながら白衣を脱ぎ捨てる。白衣はまたたく間に血のような赤に変容を遂げ、身を覆うマントとなった。白衣だけではない。その顔の〝皮膚〟もまた変容を遂げていた。仮面のように地面にうち捨てられた男の〝皮膚〟。その下から現れたのは見覚えのある美くも人形の様に生気の無い人影。


「……トレロ、貴様か」


「クックック……私自身の〝力〟で尋問されるのも、中々に楽しかったよ。いつもは尋問する側だからねえ。まあ貴方が望むなら、そういうプレイも悪くないけどね」


 淫靡に身をよじらせながら、不吉に笑うは〝闘牛士〟(マタドール)のトレロ。絵里も失念していたが、〝奴〟は変装の名手だとされている。なるほど触れた物を好きなように〝変質〟させることができる奴の力をつかって衣服と皮膚を再現すれば、変装などはたやすい事なのか。


「もっとも、ここの研究者として私がさっき答えた質問の答えは、全て真実だよ」


 トレロは優雅にマントを漂わせながら、挑発するかのように言葉を続けた。


「どうかね〝魔術師〟、お兄さんが作った世界の感想は? 力が全ての、素晴らしい世界だと思わないかい?」


「貴様!」


 露骨な挑発に、英次が応じぬ理由など無い。

 トレロを強くにらみつけながら、英次から放出されるおびただしい魔力に、絵里は息をのんだ。目視できるほど激しく濃密な魔力の嵐。傭兵との戦いの際とはまるで比較にならないそれは、英次が内面に蓄えていた怒りの感情の放出だった。  

 感情は魔力の源。つまり彼が激情にかられるほど、その力は増すのだ。

 猛け唸る魔力の中心にいる英次を、だがトレロはまるで長年恋い焦がれた恋人を見つめる乙女のような澄み切った瞳で見つめ──


「嗚呼……やっぱり貴方は、怒った顔が一番素敵だ。〝感じ〟ちゃうよ♡ だがその怒りは、いったい何に対するものなのかな?」


 刹那、一筋の風と共に、トレロの体もまた禍々しい魔力の覆われた。

 放出された両者の尋常でない量の魔力。両者の感情の激突は、巨大な渦となって研究室の中でせめぎ合う。

 魔力の強さは、人間の思いの強さ、感情はその増幅装置であるとされている。英次の感情は絵里には容易に理解できた。彼の感情の色、魔力の源は明らかに憤怒の情。英次のその感情は、およそ人間が持ちうる想いの限界値に近かった。


 だが──対するトレロの感情の強さもまた、英次のそれに劣ってはいない。奴の吐き気がするほど禍々しい感情の源は、いったい何なのだ? そして英次を挑発して、いったいどうするつもりなのだ? 

 絵里がそんな疑問にふけいる余裕すら無く、彼女の目の前で戦いの第二幕は切って落とされたのだった。 


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