第24話 特区の特殊施設
絵里が意識しながら〝異能の女王〟たるテレポートを体験するのは、初めての事だった。
発動された英次の魔力が二人を包んだと思ったその刹那、彼女の空間認識は完全に剥奪され、気づいた時には既に大きな部屋の中にいた。
二つの世界を一時的に連結する究極の異能の力。来栖によって一方的に召喚された時を含めれば、全くの未経験というわけではない。だが体験して改めて、英次が神秘にたずさう絵里たち異能力者達にとっても、更にイレギュラーな存在であることを痛感させられた。
もっともこのテレポートは決して万能では無いという。
「やっときたにゃ、待ってたニャ」
目の前に座っていたのは、彼の使い魔である黒猫。
英次の扱うテレポートは術者が把握できる範囲内に限られるという。つまり見えているところにしか転移できないのだ。本来なら視界の範囲内にしか転移できないテレポート、その有効範囲を大幅に高めるのが〝使い魔〟であるこの猫の役割だった。
魔術師の魔力を注ぎ込んだ使い魔は、術者と視力を共有することができる。そして使い魔であるこの猫の視覚内にも、英次はテレポートできるというのだ。
今も絵里の異能によって発見した、猫が入れそうな小さな通気口からレオが建物の地下に侵入し、その視覚内に英次達はテレポートしたのだった。
(そういえばトレロとの戦いの時も、この猫がいたわね……)
あのときも英次がテレポートしてくる前に、確かにレオの姿を絵里は見ていた。だがまさかこのふてぶてしい黒猫に、そんな役割があったとは想いもしなかったが。
「ここはなんかの医学施設みたいだニャ、あそこに患者を寝かせたベッドがあるにゃ」
尻尾を振りながら話すいつものレオの声色が、ひどく脳天気なものに響く。
事実、学校の体育館ほどの巨大なフロアの片隅には無数の薬品とファイルが収納された棚が置かれており、奥の方には多くのベッドが並んでいた。青白い蛍光灯に照らされたその雰囲気は、どことなく大学病院の一室を思い起こさせた。
「あのベッドの中に治療中の弥生さんがいるかもしれないわ」
絵里ははやる気持ちを抑えきれずに、ベッドの群れの方に駆け出す。
(ここはきっと病院で、負傷した弥生は病院に運ばれてベッドで治療中なのだ)
だが絵里が抱いたそんな淡い期待は、人々の変わり果てた姿によって打ち破られた。
「なんなの……これ?」
あまりの事に息をのむ。ベッドに横たわるのは、中学生くらいの子供達。彼らはただの一人の例外もなく、無残にも鎖で手足をベッドに拘束され細かい痙攣を繰り返していた。その目は虚ろで焦点が定まらず、虚ろな瞳でただぼんやりと天井だけを見つめている。すぐ側まで寄った絵里に気づいた様子は見られない。
病院──というよりもこれはまるで……
「絵里、上を見てみろ。彼らが見ているものは天井だ」
言われるままに天井に視線をうつす。
「……あれは、何かの紋章?」
巨大な天井に描かれていたのは円と線、それら複雑な模様が幾重にも積み重なった奇妙な紋章。確か魔術師達が使うとされている魔方陣がこんな形だったはずだ。
だが、どことなく既視感がある。絵里の意識の底の何かか、ずっと昔にこの魔方陣を見たことを覚えている。あれはいったいつのことだったか……
「これは〝ソロモンの鍵〟といって、人間の潜在意識に働きかけ、人間に眠っている〝異能の力〟を覚醒させることができる魔術的象徴(シンボル)だ。むろん単に見ているだけでは、異能の力に目覚める人間は多くはない。だがある種の薬物を併用し、トランス状態にすることによって、その可能性を高めることができる」
魔術師である彼にとっては馴染みのものなのだろうか、淡々とした口ぶりでかたる英次。
「……じゃあ、ここは〝病院〟じゃないの?」
「違う。ここにある薬物は、医療目的での使用を禁止されている劇薬ばかりだ。異能の力に目覚める可能性より、廃人になる率の方が遙かに高いレベルのな」
「〝薬〟!? 〝廃人〟!?」
その衝撃的な言葉に息をのむ絵里。
「この施設が特区の外れにある理由も、おおむね検討がつく。これは特区入学への〝最終試験〟であり、また特区からの追放という名の退学を避けるための〝最終試験〟でもあるのだろう」
「そ、そんな……廃人になるリスクまで使って〝力〟を手にしても意味ないじゃ無い!」
「皆が皆、〝異能の力〟が無くても生きていけるほど、強くは無い。葵の様にノーマルでも自らの力で歩める人は、決して多くは無い。外法の力を借りて、力に目覚めたいと欲する人がいても、それを否定はできない。
──む!?」
何かを見つけたのだろうか、先ほどまで淡々と語っていた英次が急に目を大きく見開き、ベッドの一つを凝視している。
「なんだと……まさか、そんな……」
「どうしたの?」
普段は冷静な彼が目に見えて動揺し、狼狽していた。
「結城、圭。葵の弟……」
「……葵さん、あなたの屋敷で働いているメイドさんの、弟さん?」
英次の視線の先、ベッドに横たわっているのは中学生くらいの少年だった。二次成長期前なのかその面影はまだ中性的で、言われてみれば確かに葵によく似ている。他の患者達と同様、手錠で手足を拘束されたままの状態だったが、彼の顔色は他の患者達と比較しても際だって青白く、おおよそ生気といっていいものは感じられなかった。
「そんな……なぜ君が〝ここ〟にいるんだ!」
ぞっとするほど低く震えた声で、そうつぶやく英次。その横顔は絵里が見たことの無いほど色を失い、かつ険しく歪んでいた。
その感情の色は怒りか、あるいは憎悪の色か……
──違う。これは何か大切なものに裏切られ、失った時の感情──
心情を読み解くことに長けた絵里はそう直感した。
英次の信念の根底を支える、心の柱の一つ。深く大切な信念。その一つが目の前に横たわっている少年の存在によって大きく揺らいでいるのだ。
いったいどういう事なのか? そんな疑問が脳裏をよぎった直後、絵里の異能は新たなる異変を感知した。
「──ちょっと待って英次、誰か来るわ」
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