第23話 弥生救出作戦
* *
「あそこに見えるのは、ゲートね。こんな特区のはずれまで来たの、初めて」
前方に見える入境管理門を見つめながら、絵里はそう答えた。英次達が暮らす屋敷から歩いて小一時間、ここは既に特区と外地との境界の地だった。
特区と外地の境界は旧東京都がそうだったのと同様、多摩川を境に区切られている。
もっともマナハザード以後の異能力者特区の成立により、その様相は大きく様変わりしていた。多摩川をつなぐ橋の上には国境線を思わせる巨大な門が設けられ、人間の動きを管理してる。
日本中の全ての富が集まる特区に済んでいるかぎり、特区の外、いわゆる〝外地〟に出る必要性はほとんど無い。そのため異能力者の中には、絵里のように特区の外に出たことがない人も少なくなかった。もっともそれは外地の人々が日々物資や労働力を提供するために通っているおかげであり、屋敷のメイドである葵もここを通過して英次が住む屋敷に通っていた。
「レオ、弥生がいるのはこの辺りでいいんだな?」
「間違いないニャ、オリに任せるミー」
英次と絵里を先導するのは、使い魔であるレオ。この小生意気な猫は、だが英次が眠っている一ヶ月の間に幾度となく偵察を行って、弥生の居場所を発見していたという。
「あんたね、弥生さんの居場所を知ってるならもっと早くそう言いなさいよ!」
「オリは嬢ちゃんの使い魔じゃないニャ! 命令されるいわれはないミー」
レオが弥生の居場所を知っていることを黙っていた事をたしなめる絵里に対し、レオはそっぽを向く。
「それに、場所がわかったところで嬢ちゃん一人じゃどうしようもないニャ。一人で近づいて危ない目に遭うだけニャ」
「それは……そうだけど」
レオの言葉に、絵里は言葉を詰まらせた。特区内の異能力者の犯罪は、特区当局でなければ裁けない。だが当局が手を出せないほどの異端であるトレロ相手に、絵里ができることは無いのだ。特区では強い異能者を断罪できるのは、より強い者しかない。その意味では絵里は結局のところ英次の力を借りざるをえず、つまりは彼の目覚めを待つしか手がなかったのだ。
「この建物だニャ。前は五階のベッドにいたけど、今は移されてしまったみたいだニャ」
目の前にあるのは、五階建ての赤レンガ造りの立派な建物。かつての学校と違い、内側から灯がともっているのが確認できた。すぐそばには多摩川が見える。本当に特区の最端の地だった。
「ここに、弥生さんがいる……」
──戦域能力〝フクロウの檻(アウル・ゲージ)〟──
そびえ立つその建物を見上げながら、絵里は自らの力を発動させる。
電流と化した絵里の魔力は建物を包み、全体の情報を彼女にもたらす。
「ダメ……人が多すぎてわからないわ」
かつての弥生と訪れた学校と違い、この建物は現在も使用されているらしく、中からは多数の人間の反応が感じられた。これでは弥生がどこにいるのか検討もつかない。
「……君は電気を操る異能力者のはずだが、そこまでできるのか?」
焦りを隠せない絵里を尻目に、英次は淡々としている。
「ええ、私は電撃の放出は苦手だけど、代わりに建物の構造を読み取るのは得意なの」
以前にも同じ様な問答を、弥生とした気がした。
「当局の管理データである〝英知の樹形図〟(セフィロト・コード)には、君はCクラス相当の異能力者と登録されていたはずだ。これだけの大きさの建物の構造を把握できるのなら、Bクラス入りは確実のはずだ。なぜ偽ってまで力を低く申告しているのだ?」
英次の疑問はもっともだ。絵里の力ならBクラスに昇格することも不可能ではない。それどころか、実は人間の心情さえも読めるとなると、さらに上のランクに至ることも可能かもしれない。
「高いクラスに登録されてたくさんの権限やお金をもらっても、使う時間が無ければ無意味でしょ? Bランク以上は研究に拘束される時間が多すぎて割に合わないのよ」
「そうか……実に恵まれた学生らしい意見だな。君の友達も、同じなのか?」
「ええ。低めに申告している人は、いなくはないと思う」
英次の質問に答えながら、絵里は内心苛立っていた。絵里の異能力など、魔術師である英次の前では赤子も同然なのだから。
こうしている間にも、弥生の生命が危険にさらされているかもしれないからだ。
「そんな事より、ここにはトレロはいないの?」
「わかんないニャ。あんな変態を探すのはごめんだニャ」
相変わらず、役に立たない猫だった。
「俺は行ってくる。絵里、君はここで待っていてくれ」
施設を見据えながら、単身施設に侵入しようとする英次。
だがそれは絵里にとって聞けない話だ。
「……私も行くわ」
「危険だ。中にトレロがいる可能性が高い」
「うっ……」
絵里の脳裏に浮かぶのは、禍々しく歪んだトレロの笑み。
背中に押しつけられたあの忌まわしいモノの熱い感触がよみがえり、背筋に冷たいものが走る。だがそれでも自分の逃がすために犠牲になった弥生のために、ここでただ待っているという選択肢はなかった。
「でも……やっぱり私も行くわ。弥生さんを探すなら、私の力が適しているし、トレロの気配も感じ取れるから」
「だが、場合よっては戦闘になるぞ」
「そっ、そのときは、あんたが私を守りなさいよ、そういう約束でしょ!?」
先ほど英次が妹と約束していた話を持ち出し、念を押す。
英次の真奈美に対する姿勢は本物だ。なら彼女との約束は絶対に守るはずだからだ。
「──わかった。確かにそういう約束だったな。君は俺が守るよ」
無機質な英次の声が絵里の胸に響く。
その約束の相手方は、絵里ではなく彼の妹の真奈美に対してのもの。
だが自身に向けられた約束ではなかったが、英次の抑揚の無い低い声は、不思議と絶対の安全を約束させるもののように感じられた。
「ところで絵里、先ほど把握したあの建物の中に、猫が入れそうな隙間は無かったか?」
「小さな通気口ならあったわ。でもとても私たちは入れないと思うけど……」
「それでいい。案内してくれ。それともう一つ、もしトレロと戦闘になった場合、君の異能は使わないでほしい」
続けて発せられた予想外の言葉に絵里は困惑の表情を隠せず、憮然とした表情で英次をみつめる。
「……別にいいけど、どうして?」
「戦闘になった場合、君の異能を〝借りる〟かもしれないからだ」
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