第20話 妹の友達

 屋敷の一階リビング、そこのドアを開けた途端、英次はまるで他所の部屋に入り込んだような違和感にとらわれた。リビングに充満していた妙に甘ったるい臭いが鼻腔を刺激する。臭いだけではない。見知ったはずのリビングは、まるでパーティ会場のように華やかに変質を遂げていたのだ。


 中央のテーブルには見慣れぬフリルのクロスがかけられ、その上にはケーキスタンドが設置されていた。ケーキスタンドの上にはスコーンやらサンドイッチやらが所狭しと盛られている。そしてそれを囲むように琥珀色の紅茶が注がれたカップが並べられていた。


 周囲のソファーにたたずみ、アフタヌーンティーを楽しむのはブレザーの制服を着た四人の少女達。和やかで華やかな空気に、英次は思わず場違いな場所に来てしまった様な違和感を覚える。だが少女たちのうちの二人は、英次が知る人物だった。


 一人はクラスメイトでもある清水絵里。そしてもう一人は他ならぬ彼の妹。


「あっ、兄様……ですか?」


「真奈美、か……」


 ロビーに現れた英次の姿にいち早く気づいたのは、ソファーに腰掛けたまま歓談に参加していた少女、盲目である妹の真奈美だった。目が見えなくても、雰囲気で英次の気配を察したのだろう。


「よかった、お兄様。お目覚めになったんですね、本当によかった」


 こちらに向きより、嬉しそうに微笑む真奈美。

 いかなる花よりも可憐な笑顔。

 英次もまた、そんな妹の姿をみて安堵する。彼にとってこの笑顔は、どんなことがあっても守らねばならないものだからだ。


「ああ、もう大丈夫だ。

 ……それよりその制服は、どうしたんだ?」


 英次が指摘したのは真奈美が着ている制服だった。どういうわけか、いつものセーラー服ではなく、他の三人と同じブレザーの制服を着ている。


「はい。今の八代学園の制服は、ブラザーに変わったらしいので……この制服も絵里さんが用意してくださったんですよ」


「そうか……だが、あの制服を着るのを楽しみにしていたんじゃないのか?」


「ええ。でも今の制服も、とってもかわいいらしいですよ。私は見えませんけど……似合っていますか、兄様?」


「ああ、とってもかわいいよ。真奈美」


 そう言いながら、英次は優しく真奈美の左肩に手をのせる。


「……俺はずいぶんと眠っていたみたいだが、その間、学校では楽しく過ごせたか?」


「はい、とっても。絵里さんのおかげで、たくさんお友達ができました」


 真奈美が嬉しそうに、ソファーに腰掛け二人を紹介する。友達を紹介する真奈美のその姿が、ほんの少しだけだが誇らしげなように感じられた。


「ども、お兄さん。真奈美ちゃんのクラスメイトの立花理沙です。お邪魔してま~す」


 最初に元気よく口を開いたのは、真奈美のすぐ隣のポニーテールの利発そうな少女だった。仏頂面の英次に対しても、屈託のない明るい笑みを浮かべながら自己紹介する。


「ちなみに学校では真奈美ちゃんのバリアフリーを担当しています!」


「ここ最近、理沙さんは兄様に代わって私を学校まで迎えに来てくれるんです」と真奈美。


「こ、こんにちは。私は清水由佳里。絵里お姉ちゃんの妹で、真奈美ちゃんと同じクラスです」


 続いてややおどおどした様子で自己紹介したのは、ショートボブの見るからに気弱そうな少女。清水絵里の妹と名乗ったが、その儚げな雰囲気は絵里とは似ても似つかない。

 英次が怖いのか、それとも男性自体が不慣れなのかわからないが、小動物のように怯えた目つきでこちらを見つめていた。


「兄様、由佳里ちゃんはとっても料理がお上手なんです。このお菓子も、由佳里さんがわざわざ作って持ってきてくださったんです。お一ついかがですか?」


 困った様子の由佳里に助け船を出そうとしたのか、テーブルの上のスコーンを薦めてくる真奈美。


「ああ、後でいただくとするよ、真奈美。

 ……理沙ちゃんに由佳里ちゃん、真奈美の兄の英次だ。どうか今後も妹と仲良くしてあげてほしい」

 

 英次は唇をわずかに緩め、二人に対して微笑む。

 その言葉に理沙は元気よく「は~い」と返事し、また由佳里も小さく「はい」とうなずいた。由佳里の瞳に浮かんでいたおびえの色が、ほんの少しだが和んだ気がした。


(あの二人は俺のことは、深くは知らないようだな……)


 様子から察するに、この二人は英次の事を単に〝真奈美のお兄さん〟としてしか認識していない様だ。ならば問題はない。問題があるのは、この場にいる最後の一人──

 英次は先ほどから無言でこちらを見つめている清水絵里に視線を移した。


「清水絵里……別室で、少し話がある」


「ええ、長瀬英次。私も話さなきゃいけないことがあるわ」


 英次の問いに対し、堂々とした口調でそう応じる絵里。

 両者の視線が交差し、一瞬だが沈黙が訪れる。


「……兄様、少しだけ、良いでしょうか?


 鈴のような声色で、両者の沈黙を破ったのは意外にも真奈美だった。


「絵里さんも私の大切なお友達です。ですから……仲良くしてくださいね」


 不安げな様相で英次を見上げながら、そう懇願した。


「……もちろん。絵里は真奈美の大切な友達だからな」


 英次は、真奈美の予想外に積極的な態度に衝撃を覚えつつも、優しく彼女の手を取りながらそう答えた。

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