第14話 転校生
先ほどの葵という名のメイドが、規則正しいノック音と共に戻ってきた。わざわざゆっくりめにノックしてきたのは、絵里が転校生と会うための、精神的なゆとりを与えてくれたのだろう。
相変わらず気配りのきいた柔らかい仕草、だが続いて応接間に入ってきた転校生の鋭い視線は、そんな気遣いを帳消しにするほど、鋭いものだった。
何人も寄せ付けぬような獣じみた瞳で、絵里を射抜くかのようにまっすぐに見つめる転校生。学校での戦いが証明していた。複数の〝異能〟を扱う彼は、おそらく現代に残る魔術師。マナハザード以後に力に目覚めた自分たち異能力者とは違う、古来より禁忌と神秘を独占してた者達の末裔──
だがその視線に圧倒されてばかりはいられない。絵里は、少なくとも転校生をここまで運んだ貸しがあるのだ。それに一応クラスメイトというつながりも、あることはある。
「こ、こんばんは、長瀬英次君、でよかったよね? 勝手にお邪魔していたわ」
「ああ」
鈍い金属の様に響く無機質な声。その声色が予想以上に低かったため、絵里はギョッとしたが、気を取り直して言葉を続ける。
「私の名前は清水絵里、知っていると思うけど、あなたのクラスメイトよ。学校では風紀委員をしているわ」
「知っている」
「そ、そう。よかった」
先ほどの学校での話は避け、あくまで同級生として話をする絵里。直感的に、そうしたほうが安全だと思ったからだ。だが英次の答えは冷淡で、会話の糸口さえつかめそうにない。
英次は本当に魔術師で、そしてあの来栖の弟なのか?
聞きたいことは山のようにあったが、射抜くような彼の視線が絵里の言葉を詰まらせた。
わずかながらにもあった余裕は次第になくなり、焦りだけが募っていく。
「……兄様、お友達にそんな乱暴な言葉遣しちゃダメですよ、もっとこう……優しく接してあげてください」
何も知らない真奈美が英次の口調をそうたしなめる。
英次は真奈美の優しく真奈美の髪を撫でながら
「──ああ、そうだな。
真奈美、今日はもうおそい。先にお風呂に入りなさい」
絵里に対する冷たい視線と態度とは異なる、まるで宝物に対するかの様な柔らかい言葉と笑顔。それは絵里が初めて目にする彼の表情だった。妹に対するその言葉のあまりの暖かさと自分に向けられたそれのギャップに、絵里はおもわず面食らう。
「兄様、お風呂なら、あとで入りますから……」
「ダメだ。葵が家に帰るのが遅くなってしまうだろう? それとも後で兄さんと一緒に入るか?」
「そ、それは……恥ずかしいです」
うつむいて顔を真っ赤にする真奈美。このあたりは、絵里には普通の少女に思えた。
「葵、真奈美をお風呂に入れてあげてほしい」
「はい。
真奈美ちゃん、一緒にお風呂に入りましょう」
「……わかりました、葵さん」
しぶしぶならがも納得した様子の真奈美を、葵が浴室に連れていく姿を確認し、英次は絵里に対し再び口を開いた。
「……君がをここまで運んでくれたのか」
その口調は重く、妹に対するそれとまるで異なる冷たいそれに戻っていた。
「そ、そうよ。感謝してよ、おっ、重かったんだから」
「そうか、ありがとう……だが、さよならだ」
そう言うと、英次は右腕が怪しく光る、
肉眼でも確認できるほど濃密な魔力、それを手のひらに集中させ、そのまま絵里の頭を右手で鷲掴みにした。
熱い──絵里の額から一筋の汗がしたたりおちる。
「ちょ、ちょっと……わたしは貴方の恩人でしょ? 何するの? や、止めて!」
「怖がる必要はない。記憶を消させてもらうだけだ。俺のことも、先ほどの戦いのことも、忘れてくれ」
トレロの言葉を思い出し、足がすくむ。彼が本当に古来から異能の力を独占して着た魔術師なら、記憶を操作する力(サイコメトリー)を持っていても、おかしくはない。
絵里の額に触れる手のひらが、驚くほど熱を持つ。
脳を直接触られるような嫌悪感と、背筋に冷たい液体を流し込まれるような悪寒。
「ちょっと、待って、お願い!」
絵里は必死の思いで英次の腕を振り払おうとする。
だが絵里の意思に反し、彼女の両腕はまるで他人のものになったかの様に、まるで動かなかった。
まるで蛇ににらまれた蛙。これはトレロに対した時と同じ、圧倒的な強者を前にした際にあらわれるという、生物が持つ原初の恐怖心──
目の前の存在は、異能力者としては絵里とは比較にならないほど、遥かに格上の存在。体が、全身が、痛いほどにそう叫んでいた。
「すぐにすむ。君は俺たちには、関わらない方が、いい」
絵里はもはや声すら出ない。だが本能が理解していた。今自分が持っている記憶を消されば、得られるものは決して安穏などではない。
──確実に、絶対に、近い将来自分は死ぬことになる──
涙であふれた瞳に浮かぶのは、歪んだ笑みを浮かべるトレロの横顔。あいつはなんと言っていたか──
なんとか、なんとかしなければ……
だが黙したままこちらを見つめる無機質な英次の瞳に、絵里の言葉が届くとは到底思えなかった。
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