第13話 転校生の妹とメイド
「ああ、疲れた……」
絵里は疲れ果てた様子でソファーに座りこんでいた。全身の筋肉が悲鳴をあげている。
幸いソファーはかなり高級なものなのか質感がよく、疲れた彼女の体を包みこむ様に癒してくれた。絵里が今いる応接間もソファーと同様、上質で掃除が行き届いており、突然の来客である絵里を優雅にもてなしてくれているかのように思えた。
それもそのはず、ここは特区の田園街区にある邸宅。
この一角はマナハザード以前から日本有数の高級住宅街として知られ、また現在でも高レベル異能力者達が好んで暮らす地区であり続けていた。
「嬢ちゃん、よう頑張ったにゃ」
喋る黒猫が疲れ果ててぐったりしている絵里の頭を前足で撫でてくる。この黒猫の名前は、レオナルドという仰々しい名前らしいが、長いのでレオと呼ぶようにと、さっき言ってた。様々な異能で溢れる特区においてさえ、喋る猫など聞いたことがない。だが恐怖と驚愕の連続だった先ほどの事件を経験した絵里にとっては、もはや喋る猫程度でどうこういう気力は残されていなかった。
「よしよし、重かったろうに、偉いにゃ、ミー」
本来なら勝手に絵里の髪に触れる不遜な黒猫は問答無用で──そもそも普通の猫は喋らないので問答は無用だが──追っ払うところだったが、その元気もないほど絵里は疲れ果てていたのだ。
なにしろ、あの激戦地である学校跡地から、絵里は重症を負った転校生を背負い、ここまで運んだのだから。それにしても大変な重労働だった。制服の上から想像はしていたが、鍛え抜かれた転校生の体はまるで鉛のように重かった。絵里は魔力で身体機能を強化して、やっとの思いでここまで運んだのだ。
あれから何時間たったのか、日はとうにくれ、客間の窓からは優しい月光が差し込んでいた。
そもそも絵里はあの学校で救急車を呼ぼうとしたのに、この黒猫が、
「嬢ちゃん。この傷は、病院じゃ癒せないニャ。それに御主人の体はいわば神秘の結晶。病院なんかに行ったら逆に解剖されてしまうニャ。オリもホルマリン漬けにされちゃうミー」
と止めたのだ。
「治す方法は、御主人のアジトに運ぶしかないニャ。案内するから、早く担ぐミー」
「か、担いで行くの? あんたたちテレポートが使えるんじゃないの?」
「テレポートは膨大な魔力を使うにゃ。今の御主人には無理に決まってるニャ。
ささ、早く運ぶにゃ。急がないと、本当に命があぶにゃいニャ」
「わ、わかったわよ……うう……重い」
テレポートで一瞬で跳躍したであろう距離を、少年を背負ってトボトボと歩く。あまりの辛さに、もうあきらめて投げ捨ててしまおうかとも思ったが、
〝猫を連れたあの少年──〝彼〟の弟だが──死にかけているが、助けてくれるというなら、君の命もそれまではあずけてあげよう〟
トレロの言葉が脳裏再び脳裏に浮かぶ。転校生にもしものことがあったら自分が奴に殺されるかもしれない、そう思うと逃げるに逃げられなかったのだ。
幸いにして、屋敷に近づくにつれて彼の体は信じられないほどの回復を遂げ、屋敷のメイドさんに転校生の体を預けた時には、意識こそ朦朧としていたたものの、すでに傷は見た目上は完全にふさがりつつあった。何らかの治癒再現の能力を発動させたのだろう。
超回復能力。それ自体はさほど珍しくない力であり、特区においても使い手は何人かいるはずだ。もっとも、これだけの回復力を持つ異能力者となると、数えるほどになるはずだが。
「お客様、お茶のおかわりはいかがですか?」
「ありがとう、いただくわ」
ソファーでぐったりとしている絵里に、屋敷のメイドさんが暖かいお茶を注ぐ。葵と名乗った清楚なメイド服の少女は、絵里と同じくらいの年齢に見えた。シルクのような黒髪に白い肌と、どことなく小動物を思わせる愛くるしい瞳。噂どおりとても美しいメイドだった。
(これが上流階級のお屋敷、そしてメイドさん。あいつ、いい暮らししてるんだな~)
マナハザード以後の特区において、ノーマルの家政婦は別に珍しいものではない。強力な異能力者なら、多くのメイドや執事を雇っていることも多い。ただ葵にはどこなく他には無い気品があり、この屋敷の空気にも完璧に溶け込んでいる様に感じられた。
「レオさんも、ミルクはいかがですか?」
「もらうニャ、ハチミツを忘れるニャ」
「はい、わかりました」
彼女は使い魔である喋る猫も見知っているらしく、慣れた手つきで黒猫にミルクをやっていた。
「私は、英次さんの様子を見てきます。お客様はごゆるりとなさってください。
真奈美ちゃん、ここはお願いしますね」
「はい、葵さん。まかせてください」
絵里の隣でそう答えたのは、桃色の髪を持つ少女だった。
先ほど雨の中で目撃した転校生の妹であるという彼女は、間近で見ると噂どおり妖精のように可憐だった。彼女の名前は真奈美。転校生の妹らしいが、確かに全く似ていなかった。
目が見えないためかその瞳は閉ざされたままであったが、それでも絵里の方を向いて嬉しそうに微笑む。
「あの、絵里さん……聞いてもよろしいですか?」
「ええ、別にいいわよ」
鈴のような声で遠慮がちに問いかけてきた真奈美。
絵里は警戒をとき、余裕の表情をとりつくろいながら答えることにする。
「絵里さんは、兄様の彼女さん……なのでしょうか?」
「ぶふっ!」
予想外の質問に絵里の余裕は一瞬にして失われ、紅茶を勢いよく吹き出す。吹き出された紅茶はレオを直撃し「ニャ!!」と猫らしい悲鳴をあげているが、いまはそれどころではない。
「違う! そんなわけないじゃない!」
真奈美はどういう思考の結果、そういう答えに至ったのだろうか?
思わず強く否定した絵里の言葉に、真奈美は小さく首をかしげながら、
「そう……なのですか? でも二人っきりで帰ってこられたので、てっきりおデートかと」
どことなく安心した様子で、そう言葉を続ける真奈美。あまりに脳天気な彼女のその姿、だがその理由に、絵里はすぐに気づいた。
そう、真奈美は血だらけの英次の姿を見ていないから、状況をよく理解していないのか。
いや、目が見えないだけではない。おそらく英次の容態の詳細も伝えられていないはずだ。目が見えないことに加えて、外の情報から徹底して保護されているのだろう。
(目の見えない、カゴの中の小鳥……と言ったところか……)
「……では、絵里さんは兄様のお友達でしょうか?」
「まあ、そうね……一応、クラスメイトだし」
転校生とはほとんど話をしたことがなかったものの、一応友達と答えておくことにした。
「そうですか……兄様のお友達ですか。よかった、兄様にもお友達ができて……」
小さく微笑む真奈美。それはまるで野に咲く花のように可憐な微笑みだった。
先ほどの激戦とはまるで異なる、穏やかな空気、それがここには流れていた。
しかし、
(〝ソロモンの花嫁〟は、桃色の髪を保つ美しい少女……か)
絵里は戦闘中にトレロが語った言葉を思い出した。先ほどの戦闘中、絵里はトレロと転校生の会話を完全に聞き取ることができていた。そしてトレロが語るには、この少女から魔力と記憶を奪った魔術師こそ──
(……まさかね、すくなくとも、大切にされているみたいだし)
魔力や能力は、マナハザード以後の日本においては命の次に大切なものだった。
中学一年生の時に行われる異能測定試験で、魔力の保有量と異能力の将来性について一斉検査される。そして無異能力者(ノーマル)と判定されたものは、よほどの秀才を除いては高校以上に進学することはできず、卒業と同時に働くのが通例となっていた。ましてや特区の名門高校に通うなど、ありえるわけがない。
異能の窃盗は──仮にそんなことが可能なら──重大な犯罪行為になるはずだった。
〝──トン・トン・トン──〟
「お客様、英次さんをお連れしました」
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