第10話 最凶の異能者VS魔術師

「空間跳躍(テレポート)……厄介だね。さすがは異能の女王と呼ばれる力だけはある」


 無言で目標を睨みつける転校生に対し、トレロは優雅に獲物のマントを翻しながら語りかける。確認できるだけでも三種類の異能を扱った転校生に対しても、微塵たりとも怯む様子は見られない。

 異常という点では、奴も例外ではない。恐ろしく汎用性の高い能力と卓越した戦闘技能、そして迸るばかりの圧倒的な魔力で、複数の能力を使う転校生と五分の戦いを繰り広げていたのだ。

 むしろ、先ほどより発動される魔力の禍々しさは増している様にさえ絵里には感じられた。


「だが、発動のための条件は、随分と特殊みたいだね。それは、もともと君の〝力〟ではないんだろう?」


 トレロは妖艶な笑みを浮かべながら、挑発するかの様に言葉を続ける。


「〝テレポート〟──異能の女王とも称されるその力の使い手は、世界に二人しかいない。一人はあの〝特区の王〟である至高の魔術師。もう一人は〝魔道王(ソロモン)の花嫁〟と謳われた少女。〝ソロモンの花嫁〟は桃色の髪を持つ美しい少女らしいね」


 舌なめずりしながら続けるトレロの言葉に、だが絵里は聞き覚えのある単語を見つけた。


(桃色の髪を持つ、美しい少女? まさか、転校生が連れていた!?)


「ああ……もう一人知っているよ、〝ソロモンの花嫁〟から力を奪い取ったとある〝魔術師〟の存在をね」


 とどめとばかりに吐き出されたトレロのその言葉に──

 大気が震えた。

 転校生の少年から発せられた、荒れ狂わんばかりの圧倒的な魔力。それは、疑いようのない〝怒り〟の感情だった。

 天地を揺るがすほどの〝怒り〟──絶対の禁忌に触れたことに対して放出される〝魔力〟


「答えろ道化! あの男はどこにいる!? 貴様は知っているのか!?」


 怒りで荒れ狂う魔力をたたきつけながら、厳しく詰問する転校生。

 だがトレロは自分に向けて解放されたその魔力を──まるで愛しいオモチャを見る子供の様な澄み切った瞳で見つめ──

 直後、空気が毒づくほど禍々しい魔力をもって応じた。

 その瞳に浮かぶ感情の色に、絵里はゾッとする。


──まさか〝歓喜〟!?──


 信じられない。トレロは、奴はこの状況に、心からの喜びを見い出しているのだ。

 転校生の〝怒り〟に対する〝歓喜〟の感情。衝突する人外の魔力──

 弾かれた魔力が巨大な奔流となって、絵里の周囲に吹き荒れる。


──おかしい、この人たちは、おかしい!──


 魔力の強さとは、結局のところ精神力の強さである。


──いかなる業を積み重ねれば、人はこんな激しい感情を身につけられるのだろうか──


 両者の感情は、その性質こそ全く異なるものであったが、復讐に燃える弥生や、正義の思いに溢れる絵里のそれを、圧倒するものだった。


 ──嫌っ。こんなのは、嫌──


 まるで絵里や弥生たちの思いが、感情が、矮小なものになるような感覚を得て、言いようのない嫌悪感に押しつぶされそうになる。

 だが絵里が真の脅威に直面するのは、それからだった。

 激突する両者を尻目に、絵里の前に駆け寄ってくる黒猫。


「お嬢ちゃん、今の内に逃げるニャ」


「猫が喋った!?」


 人語を解する黒猫の姿に、思わず驚愕の声を上げる。


「魔術師の使い魔が喋っちゃわるいのか、ミー。

 拘束は解けてるはずニャ。とにかく逃げないと、とんでもない奴が来るニャ」


 確かに、絵里の足を拘束していた床下は、いつの間にか通常の状態に戻っていた。弥生が伏せっている床も同様だった。転校生との戦いのために、トレロは床下に発動していた力を解除したのか。


「とんでもない奴、ってあのレトロの事?」


「違うニャ。あんなの比較にならないのが、騒ぎを聞きつけて来るはずニャ。邪魔だから早く逃げるニャ」


「あいつより、すごい奴!?」


 黒猫の言葉に、思わず黒猫に聞き返してしまう。

 それが、最後の言葉だった。


 刹那、世界は文字通り〝崩壊〟した。

 周囲の空間が、次々と音もなくガラスの様に砕け散り、宙を舞う。


──これは、先ほどのテレポートと同じ現象!? また何か来るの!?──


 転校生の現出の際に起こったのと同じ現象の再現に、絵里は息を飲む。

 だが起こった奇跡は同じでも、その規模は先ほどまでとはまるで違っていた。

 空間の一部ではなく、目に付く世界全体が、まるでおもちゃ箱をひっくり返したように砕け散り、ゆっくりと反転していたのだ。 


──違う、何かが転移してきたのではない、今度は私たち全員が、強制的に別の空間に呼び出されているんだ──

 絵里は直感的にそう理解した。

 広範囲空間跳躍(ハイ・テレポート)による強制召喚、こんなことができる異能力者は、特区ですら、ただの一人しかいないはずだ。

 無数の欠片たるガラス片が音もなく去った後、目の前には荒涼とした異空間が広がっていた。

 天井も壁も地面も、およそ生命の存在と無縁の灰色の無機質な直線のみで構成された世界。


「ここは……亜空間?」


 こんな世界は通常では存在し得ない。信じがたいほどの力を持った異能力者が自らの力で作り出した亜空間で、間違いない。

 絵里だけでなく、転校生もトレロも、対峙したままの状態で異空間に転移を果たしていた。

 わずかな音すら忘却の彼方に忘れてきたかのように静まり返った世界。その中央、巨大な長方形の物質が幾重にも横に積み重なった塔の上に、上質のスーツとコートを着込んだ長身の男が立っていた。鮮やかな黒髪をたたえた端正なマスクに、氷のように鋭利な眼差しを発する男──


(あれは、まさか……特区最高理事の?)


 その姿は、今度こそ絵里の知りうる人物であった。特区のみならず日本においても知らぬ人のいない人物。特区最高の異能力者であり、古来から続く魔術師の末裔でもあると公言してはばからない男──


 〝来栖英政(くるすえいせい)〟──すべての異能力者の頂点に立ち、特区を統べる男。

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