第9話 魔術師

あるいはそれが何かの合図あったのだろうか。

 刹那、時間が停止した様に静まり返った教室に、巨大な何かが衝突し、ガラス窓を破壊し大穴を開けたのだ。

 スローモーションの様にゆっくりと宙を舞う、砕かれた無数のガラスの断片。

 だがその断片が眼前を通過すると同時に、絵里は異変に気付いた。


「こ、これは!?」


 砕けたのは教室のガラスではなかった。

 宙を舞っているのは、絵里たちが存在していた世界そのもの。ガラス片に世界が写り込んでいるのではない。ゆっくりと宙をまうガラス片こそが、〝世界〟なのだ。

 つまり世界は何かの〝衝突〟によって砕かれたのだ。

 ガラス片の向こう側にあるのは一切の光の無い闇。

 その闇を隔てたさらに先に垣間見える、もう一つの世界。

 これは、まさか──


「〝空間跳躍能力(テレポート)〟」


 妖艶に眉を細めながら、トレロが小さくつぶやく。その言葉に、絵里の思いは確信へと変わる。

 〝空間跳躍能力〟──異能の女王とも呼ばれ、異能力者の到達点の一つとも称される、最高の超能力の一つ。

 今行われているのは、世界の破壊、ではなく。二つの世界の連結。連結した世界軸の間を異能力者が跳躍するという、奇跡の顕現。この異能の使い手は、特区ですらただ一人しか存在しないはず──

 ということは、跳躍者の正体は、

 だが二つの空間を繋ぎ、その中を突破してきたのは、絵里が想像だにしない人物だった。


「てっ、転校生!?」


 絵里と同じ学校の学生服を着た、鋭い目つきの青年、その姿には見覚えがあった。彼女のクラスにやってきた転校生にして、先ほども見かけた青年だった。

 転校生は教室に出現するや否や、猛然とトレロに襲いかかった。


「火炎、来い!」(ラ・インフェルノ)


 転校生が右手を突き出すと同時に、指先から赤々とした炎が発生する。


「発火異能力者(ファイア・スターター)!? いや違う!」


 何も無い空間に炎を発生させる異能力者なら、それ自体は特区においては決して珍しいものではない。だが呼び出された炎は、直後に発せられた別の能力によって桁違いに増幅された。


「大気、圧縮!」(エル・シルフ)


 続いて転校生の左手から生み出されたとおぼしき圧縮された〝空気〟が、炎の威力を数倍に増す。炎は灼熱の煉獄へと姿を変え、包み込む様にトレロに迫る。


「〝深紅のマント〟(ロホ・ムレータ)」


 だがトレロは動じずに、手にした深紅のマントを自身の前に展開させて、炎を迎え撃つ。

 猛る炎を、翻したマントで華麗にいなす。その姿はまさしく猛牛に対する闘牛士。マントが燃えずに炎を防いでいるのは、奴の力でマントを〝燃えない〟性質の何かに変化させているからなのだろう。

 だが展開されたマントは視界を狭める、

 いつの間にだろうか、転校生は炎とマントでせめぎ合うトレロの死角に飛び込み──


「──はっ!!」


 転校生の左手から突き出されたおびただしい魔力の塊は、それ自体が巨大な弾丸となってトレロを襲った。魔力を解き放つ放出系の攻撃。それは遮るマントと炎の障壁を突き破り──

 刹那、トレロの後ろの壁が魔弾の衝撃を受け、巨大な手の形に歪む。


「ヒュウ──」


 死角から放たれた不可避のはずのその衝撃を、だがトレロは人としては有り得ぬ動きでかわしたのだった。その横顔かららこぼれ落ちる歓喜の笑み。

 トレロの足元がねじれた紙の様に歪んでいるのが見える。


(そうか──自身の足場を〝変化〟させることで、不可能な機動を可能にしたのか)


 絵里はそう直感的に理解する。足が触れているだけで、そんな事も可能なのか。信じられないほどの技量だった。


「ウオオオオレレレエエエエエエッ──!!」


 続いて、トレロは巨大なマントで炎を絡め取りながら闘牛士さながらの奇声をあげ──

 マントを高々と掲げ、ついにまとわりついていた炎をねじ伏せた。

 周囲に舞い落ちる無数の火の粉の中心で、紅蓮の炎を従える深紅のマント、その姿はまさに勝利を宣言する闘牛士の様。

 その禍々しくも華々しい姿に、全員の視線がトレロとそのマントに釘付けとなる。

 だがそれは罠だ。

 嫌がうえにも目に付く深紅のマントは、闘牛士のそれと同じく陽動。闘牛士の真の武器が隠し持った剣であるのと同様、トレロの場合は


〝──危機は足元から──〟


「〝変幻自在の領域〟(ファンタズム・テリトリー)」


 変化した床下が複数の不気味な〝腕〟の形になり、いつの間にか転校生を囲んでいた。絵里や弥生を捕縛した床を変化させる力。だが動きを封じるなどという生易しいものではない。転校生の四方を囲むのは、触れた瞬間に体を焦がし溶かす性質の〝何か〟


──やられた。これは、避けえない──


 絶対の死地に、絵里は転校生の敗北を確信する。が、

 それは、あくまで絵里たち異能力者の常識による判断であり──


「──っ! 〝邂逅する二つの世界〟(ニア・テレポート)」


 いかなる死地でさえ、自身に到達しさえしなければ避けうるのが〝異能の女王〟と呼ばれるテレポートである。

 死の腕が彼の命を掴み取る刹那──転校生は何か呟くと同時に、絶命の死地から物理的転移を果たし、同時に教室の廊下に再現する。

 戦いは再びふり出しに戻り、二人は無言で向き合う。

 二つの空間をつなぐ物理転移(テレポート)。あらゆる異能の頂点に存在するというその力を操る限り、決して負けることなどありえないのだ。

 先ほどまでとは次元の異なる、異能の極致たる戦闘がそこにあった。


「ありえない……あんなの、ありえなわ!」


 眼前で繰り広げられる異端と奇跡の激突。その姿を目にしながら、絵里は思わず叫ぶ。

 トレロの力は異端ではあるが、まだ異能力者の範疇に収まると言えなくもない。だがあの転校生の能力は、明らかに異能力者の範疇を超えていた。

 何より、あの術式──展開されている複数の力と、異能の女王と呼ばれる空間跳躍能力(テレポート)。あれは異能力者などというものではない。あれはまるで伝承で語られる──

 マナハザード以後に現れた絵里たち異能力者(にわか)とは違う、

 有史以前より存在し、異能の神秘を秘匿し独占してきたという、忌むべき人々。

 信仰でなく── 

 善行でなく──

 禁断の知識と禁忌の御技によって、いと高きものの御座に達さんと欲する傲慢なる者達。


 その名も──〝魔術師〟──

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