第7話 最凶の異能者トレロ


 眼前にあったのは、信じられないほど美しい女の姿だった。

 女神の彫刻のように整った顔立ちに、病的なまでに精気のない白い肌をしたその顔は、まさに絶世の美女と言っていいもの。 

 あまりのことに弥生は思わず息をのむ。確かにトレロの性別は不明ではあったが、男であるとの考えが支配的だったからだ。しかし奴の正体がまさか女で、しかもこれほどの美女とは、さすがの弥生も想像もしていなかったからだ。

 陶器のように美しく、だがまるで死んでいるかの様に白く精気のない皮膚に対して、こちらを見つめるトレロの瞳だけが禍々しいほどの光を放ち──

 そしてその三日月形の口は〝獲物〟を捕食する無上の悦びに満ちていた。

 綺麗だが、どことなくちぐはぐな〝人形〟


 ──〝不吉〟を紡ぎ合わせて等身大の人形を作れば、こんな姿になるのだろうか──


 そんな言葉が脳裏をよぎった刹那、


「ぐああああああっ!!」


 激しい衝撃と、鈍い痛みが弥生を襲った。奴の足で、腹を思い切り踏みつけられたのだ。肋骨が軋み、内臓が悲鳴をあげている。


「かわいい声で鳴くね~。君も、やっぱ女の子なんだね♪」


 苦痛で悶える弥生の顔を、トレロはさも愛おしそうに覗き込む。

 足の上からひしひしと伝わってくるのは禍々しい〝歓喜〟の波動。こいつは明らかに〝嗜虐〟を愉しんでいると、弥生は直感する。


「〝魔力〟は高めさえすれば、それ自体が至高の武器になる。君はかわいいから心臓をえぐって、プレゼントしてあげるよ。綺麗に抜き取ってあげるから、動いちゃだめだよ」


 トレロは右手に魔力を集中させる。


(なんて魔力量……)


 禍々しく輝くそのエネルギーは、弥生が今まで一度もみたことのないほど高出力の魔力だった。あれだけの魔力で覆えば、手刀ですらその切れ味はナイフを凌駕し、目標をバターの様に切り裂くことができるだろう。


(まずい……あれで突かれたら、あたしの魔力では防ぎきれない!)


 背筋に、悪寒がよぎる。

 それは歴戦の弥生をしても初めて感じる、絶対的な死の恐怖だった。

 生きたまま心臓を──えぐり取られる!?

 ここで、死ぬ!?  

 仇を取れず、異能力すら愚弄されたまま、こんなところで……こんなヤツに!?


「ウフフ……恨むなら、自分の陳腐な異能(ちから)をうらむんだね」


 弥生を心底あざ笑うかのようなトレロの声が響く。


(あたしの異能が、陳腐!? この世に存在しない武器(もの)で戦うのが、異能力者達の真の戦いだと!?)


 弥生は苦渋に満ちた瞳で、トレロを睨みつける。

 歪んだ笑みをうかべるトレロ。そしてその肩越しの廊下と教室の外壁に、跳弾によってめり込んだ無数の弾丸の姿を視認した。

 そして銃弾を包んでいた弥生の魔力は、まだ生きていた。


──なら、望み通りくれてやる。この世界に存在しない武器(もの)を──


 弥生は渾身の力で、隠し持った最後の切り札を発動させる。


「死ね!! 〝全方位から穿つ弾丸〟(オール・ディレクション・マシンガン)」


 弥生の渾身の叫びと同時に、無数の〝衝撃〟がトレロの背中を襲った。

 トレロの背後、廊下と教室にめり込んだ状態の弾丸の支配権を一瞬だけ取り戻し、それらを高速で打ち出したのだ。

 弥生にとってマシンガンの銃身はただの加速装置にすぎない。領域内にある〝金属〟の運動を操作する力。それが弥生の真の異能力であった。

 鉛の弾丸は金切り音をあげながら、次々とトレロに激突し、その体を穿つ。

 凄まじい衝撃が轟音となって、教室中に響いた。


「……はっ……ははは、やった。やったよ……。みんな、仇は……とったよ」


 舞い上がる粉塵で目標の姿こそ確認できないが、今度は確かな手応えがあった。今度はマントも傘もない、弾丸は奴の無防備な背中を貫いたはずだ。

 背後からのあの襲撃は、何者だろうと防げないはず──だが、


「……何が、そんなに嬉しいのかな?」


 煙の中から女の声。


 ──まさか、そんなはずが……──


「全方位から目標を狙える銃弾か……どんな奥の手を持っているのかと思って期待してたけど……やっぱり君、たいしたことないや」


 視界がクリアになる。

 眼前には変わらぬ余裕の笑みを浮かべるトレロの顔。先ほどとただ一つ異なっているのは、その背中に大きく展開されていた物体だった。

 〝何か〟が、トレロの体を大きく覆い、奴の背中を守っていた。それは強度と粘質を兼ね揃えているのか、弾丸は一つとして貫通せず、また弾き返されもせずにその〝何か〟の中にめり込んでいた。


(あれは……床の、タイル?)


 トレロの足元タイルが大きく〝変質〟して水飴の様に伸び、奴の背中を覆い、弥生の弾丸を防いだのだ。


「そう、私の力は〝変幻自在の領域〟(ファンタズム・テリトリー)。領域内の物質を、任意のものに変換し操作する、君〝達〟と同じ広域に作用する異能力さ。

 もちろん手に持ったマントの性質を〝酸〟に変化させることもできる。〝深紅のマント〟(ロホ・ムレータ)。こちらの方が〝有名〟みたいだけどね」


 トレロがポケットから深紅のマントを優雅に翻す。

 同時に、変質していたタイルが吸い込まれる様に元の状態に戻る。直後、無数の弾丸が音を響かせながら雨の様に地面にこぼれ落ち、廊下中に無機質な音が鳴り響く。


(くっ……派手なマントと通称は、本当の力を隠すためのダミー。マントだけでなく、傘も地面さえも、奴の武器になり得るということか。しかし……)


 触れたマントを〝酸〟に変えるだけでも、十分な力と言える。さらに自身の周囲を、変化させて操るなど、それは単一の異能の範疇には収まりえるのか?

 異能力者──マナハザード以後に世界各地で出現した彼らは、原則として一つの力しか使えない。複数の力の使い手がいるとすれば、それは古来より異能の力を独占してきた者達。すなわち〝魔術師〟と呼ばれるものに限られるはずだ。


(奴が〝魔術師〟なはずがない。だが、複数の力を使える特級のイレギュラーなら、なぜその存在が明らかにならなかったのだ?)


 弥生の心を読んだかのように、トレロは唇に笑みを浮かべる。


「さて、ここで問題です。私が〝酸〟異能力者であると呼ばれる理由は、何故でしょう?

 ①番、現場に酸の跡しか残さないから。

 ②番、この力の秘密を、巧妙に隠していたから。

 ③番、襲撃者はもちろん、〝目撃者全員〟を、始末してきたから」


 〝目撃者全員〟……? その言葉が秘めた意味に、弥生は息を飲む。

 まさか──


「……答えは、④番。……全部だ、のぞき中の、学生さん♪」


 弥生はトレロと目が合う。全てを見透かし、全てをあざ笑うかの様な、爬虫類の様に冷酷な瞳。その瞳に唯一ある光、それは獲物を捕食しようとする〝愉悦〟の色。


「絵里、逃げろ!!」


 刹那、弥生はそう叫んでいた。

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