第6話 激闘

絵里から犯人(ホシ)が動いたとの知らせを聞き、弥生は小さく息をはいた。

 チャンスは一度だけ、だが思わぬ協力者の登場によって、そのチャンスを掴み取れる可能性は飛躍的に上がった。弥生一人では、奇襲どころかここへの侵入すら困難だったろう。

 しかもトレロは武器を持っておらず、丸腰だという情報すら手に入れることができた。民間人である絵里の手を借りることには気が引けたが、この僥倖をみすみす逃す手はない。

 気配を押し殺しながら、弥生は自らの礼装の触感を確かめる。無骨で黒くくすんだそれは、弥生の異能力による戦闘に特化したものだ。もとより、自身の武具には優雅さなど求めていない。目標を確実に〝撃ち抜く〟ことができさえすれば、それで事足りた。

 むしろ深紅のマントという、およそ実践に不向きな礼装を好むというトレロの方こそ、弥生には異常に思えた。どんな意味が込められているのかは知らないが、赤ほど目立つ色は無いからだ。


『弥生さんがいる棟に入ったわ。あと二十秒で、目標地点を通過……』


 インカムから協力者である絵里の声が聞こえ、弥生は息を飲む。


 一筋の汗が、音もなく頬を滴り落ちる。


 ──あと少し、もう少し──


 あと数秒で、全てが始まり、そして数十秒後には全てが終わっているはずだ。

 勝利の美酒に酔いしれるのも、死んだ仲間のことを嘆くのも、その後でいい。


 (時間の感覚が、遅い。絵里からの攻撃指示の言葉は、まだなのか……)


 全神経を集中した今となっては、その一秒一秒すらもどかしい。


『今よ!』


 待ちに待ったインカムからの声と同時に、弥生は勢いよく飛び出し──

 眼前に、目標を見た。

 廊下にたたずむ目標の背丈は、弥生より少し高い程度。

 左右に襟が広がった闘牛士帽を深くかぶっているため、その表情の確認はできない。

 だが、研ぎ澄まされた弥生の直感が告げていた。こいつが、仲間の仇で間違いないと──

 目標の左手に傘、右手には──絵里からの情報通りマントは持っておらず手ぶらだった。


「うおおおおおお!!」


 咆哮と共に、両手の礼装から、全魔力を目標に叩き込む。

 強化プラスティックを組み合わせて作り上げた弥生の武器、短機関銃(サブマシンガン)を腰元にしっかりと固定し、目標めがけて鉛の弾丸を雨と浴びせた。

 トレロは動じることなく、左手に握っていた傘を盾の様に銃弾に対してに展開させる。


(たかが傘! あたしの弾丸なら撃ち抜く!)


 必勝を確信する弥生、だが次に起こった驚愕の光景に、目を見開いた。

 弥生の異能によって超高速で打ち出された散弾は、柔らかいビニール傘に衝突し、傘に規則正しい無数の斑点を作り出したかと思うと──


 直後──衝撃と轟音がその場を支配した。


 教室のガラスが砕け散り、天井と柱に激突した〝何か〟が、凄まじい速度で壁に激突しては反射し、廊下を蹂躙する。


──跳弾!? まさか、弾かれた! あんな、傘で、あたしの弾丸を!?──


 高速の何かが頬をかすめ、鮮血が一筋の傷口から吹き出すと同時に、弥生は衝撃の正体を知った。あれは、自分が放った銃弾。弥生自身の〝異能力〟で打ち出した弾丸は、ひとつとしてあの傘を貫通せずに、すべて弾き返されたのだ。


「ちっ!」


 考えるより先に、体が動いた。弥生は跳弾で荒れ狂う廊下から、先ほどまで待機していた教室の中へ転がり込む。

 トレロは、マントを扱う異能力者のはず。通常、異能力者が複数の礼装を持つことはない。複数の力を扱う異能力者がいないのと同じことだ。したがって、とっさに自己の礼装を変えるなどできるはずがない。


(もしできるとすれば、それは異能力者などでは決してない〝存在〟だが、そんははずが……)


 教室に転がり込むと同時に、弥生はそんな考えを思い巡らせる。いや、敵の力の分析など後でいい。今はとにかく起き上がり、体制を立てなおさなければ──


 だがそこまで考えて、弥生はようやく自身の体がまるで動かないことに気づいた。


(何だ? 背中が、地面に!?)


 弥生の背中は、まるで強力な接着剤でも使ったかのように、地面に張り付いていた。腰も両腕さえも、どれだけ力を込めても動かすことができない。


(なんだ、これは?)


 仰向けのまま身動きが取れない弥生の眼前に、迫る足音。


「……ふ~ん、魔力を込めた鉛玉を高速で打ち出す力……銃は自作、か。なるほど、銃自体は容易に作ることができるが、銃弾は今の日本においても簡単には手に入らない。それを異能力で補うとはね。

 ……なるほど、面白い。だが発想が貧弱だ」


 美しいが生気のない声が響く。


「考えてもみたまえ、銃で異能力者に勝てるのなら、ノーマル達はかつての大戦で異能力者に勝利していたはずだ。異能とは術者の心象風景の投影、この世界に存在しないものを生み出してこそ、真の価値があるんだよ♪」


 仰向けで寝転ぶ弥生の目が、上から覗き込む視線と交差する。

 その時初めて弥生は、自らの目標の姿を身近に視認し、その姿に目を見開いた。


(なん、だと!?)


 寒気がするほど綺麗で整った顔立ちに、病的なまでに生気のない白い肌は、人間というより人形を思い起こさせた。だが何より弥生を驚かせたのはその性別だった。


──トレロは、女!?──

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