第5話 戦闘直前


 絵里はトレロのアジトと目される教室からやや離れた、中央棟一階にある教室の窓際の机の影で息を潜めつつ、自身の能力を解放していた。


「目標──依然として教室から動きなし」


 絵里は弥生から渡されたインカムで、弥生に状況を伝える。『了解』と短い声の反応とともに、周囲に再び静寂が訪れる。ここで待機してから小一時間、外からはやんだと思った雨が再び降りだす音が聞こえた。

 再び降り出した雨の音を聞いて初めて、絵里は自身の制服と髪がすっかり乾いていることに気づいた。そんなことに気づかないほど、集中していたということか。

 絵里と同様、弥生は神経を尖らせて、敵の動きを待ち構えているはずだ。

 通路のほとんどが倒壊しているため、奴がアジトとしている教室から外に出るには、この中央棟の一階の廊下を通る事になる。廊下に面した教室で待ち構え、奇襲を仕掛ける手はずだった。


(弥生さん──表情には出していなかったけど、心は怒りで震えていた……)


 絵里は、仲間の気配がない事を弥生に告げた時に感じ取った、彼女の心情を思い出していた。

 表向きは無常を取り繕っていたが、仲間を殺された衝撃と怒り、それは絵里が今まで聞いた中でも、最も強い部類の激情であった。そしてその激情すら押し殺し〝思い〟を強化するために利用するという生粋のプロ

 ──弥生の〝感情属性〟はおそらく憤怒。

 怒りの感情は、最も強い感情の一つである。弥生の強い感情は、強力な魔力となって犯罪者を撃ち抜くだろう。

 それはあの〝最凶〟のトレロであっても例外ではないはず。

 だが、絵里はまとわりつくような嫌な予感を払拭できずにいた。

 嫌な予感がする。〝黒猫〟が運んでくるという不幸よりもずっと不吉な何かと、今日自分は相対するのではないか。


 いや、もう引く事などできない。それに幸いここは一階で、逃走のために教室の外窓は開けっ放しにしている。絵里の力をもってすれば、仮に奇襲が失敗しても、自分だけは確実に逃げる事ができるはずだ。その場合、弥生の身の安全は保障されない。むしろ絵里の時間稼ぎのためにも、弥生は一人残って戦うことを選ぶのだろう。

 結局、自分はプロである弥生の手助けをしているにすぎないのだ。


「──動いた!」


 そこまで考えたところで、絵里の思考は自身の超聴覚によって中断される。

 脳内のモノクロのフレームの中で、ただ一つ動き出した物体。


「……ゆっくりとしたペースで、目標は正面玄関へ向けて移動中。左手には棒状の……傘を持っているけど、マントは持っていないわ。約二分後、弥生さんの前を通過するはずよ」


 はやる気持ちを抑えつつ、手元の端末にむけて手短に情報を伝える。

 インカムから弥生が小声で『了解』とつぶやくのが聞こえた。あとは、絵里の全意識を集中し、弥生に攻撃のタイミングを指示するだけだった。

 わきおこる不安の念をぐっとこらえながら、絵里は再び全神経を目標に集中させた。

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